頂点 8.


 振られた、と言ってしまうには中途半端な言葉だったのだが、何か情勢でも変わらない限り無理だろうなと思えるサーリャの強さが、そこにはにじみ出ていた。
 ガルダンとは会いたいが、マハ家に行く訳には行かない。と彼女は、はっきり言ったのだ。
 教会に縛り付けられていると言う訳じゃないのは、こうして堂々と外を歩いている時点で分かる。いや、今はまた働き先を変えているかも知れないのだが、とにかく彼女がどこでどう働いているにしろ、サーリャを買い取るだけの財力が、今のガルダンにはある。しかしそれはお断りだと、彼女は言ったのだ。
 買い取る、と言う思想が、彼女の気に入らないのだろう。
 それに今の仕事にやり甲斐を憶えているのだ、と彼女は言った。
「私がいなきゃ困るんじゃないか、って思えるくらいなのよ」
 孤児院で保母のようなことをしているのだと言ったサーリャの表情は生き生きしていて、本当に毎日が楽しいらしいのだと分かる。
「結婚したとか好きな人がいるとか、そんなんじゃないわよ」
 机に肘を突いて、少し上目遣いに彼女は笑って見せたのだった。
「え。俺、そんなことは一言も、」
「顔に書いてあるわ」
 思わず顎に手をかけてしまったガルダンに、サーリャはカラカラと笑ったのだった。
「でも好きな人なら、いるかもね」
 意味ありげに呟いて、そこで話を終わらせるものだから、完全に振られたとは言い難いのだ。しかも会いたいとまで、ちゃんと言われている。6年振りに再会した娘は、多少したたかになったらしい。
 しかし彼女に出会えたことは、ガルダンに気力を与えた。
 サーリャのとても前向きな姿を見たら、自分も少しやってみようかと言う気になって来たのだ。
 城内での今の自分の扱われ方は、ほぼ最低である。これ以上、今のところ、酷くもならないだろう。最も酷い状態に相当する「死」は、既に覚悟が出来ている。
「やってみるか」
 ガルダンは1人ごちた。
 その日入城するガルダンの顔は、いつも通り無表情だったが、いつもとは明らかに何かが違っていた。
 今日は、隊の皆で練習試合を行う日である。
 中庭から見える秋の空は高く、ガルダンの心を映すかのように、突き抜けた青さをたたえていた。それを見上げてからガルダンは息をつき、集合した皆より一歩前に進み出て、
「隊長」
 と、敬礼した。
 向かい合って立つ親衛隊隊長の3歩後ろに、今日はファバムも立っている。隊長、と呼びかけながらガルダンは、ファバムを見ていた。
「今日は真剣で、ファバム様と手合わせをさせて下さい」
 ガルダンの左手には自分のものとは別に、剣が1本携えられている。彼の腰にあるものも今日は真剣なんだと言うことに皆が気付き、場が一気にざわめいた。
 ファバムも意外そうな顔をしたが、
「面白い」
 すぐ気を取り直して、隊長よりも先に返事をした。隊長が割って入る。
「駄目です! お怪我でもなされましたら、どうするおつもりですか?!」
「戦争が始まっても、同じことを言うか?」
 冷ややかなファバムの問いに隊長はうっと詰まり、その隙にファバムは彼を避けてガルダンから剣を受け取ったのだった。無論、ファバムが前線に出るような戦いはそうはないだろうし、隊長の言葉は正しいのだ、ファバムに怪我をさせる訳には行かない。
 だが儀礼的にそう思っているだけの言葉に説得力はなく、だからファバムに押し切られてしまった。
 他の皆も結局、2人が剣を抜くのを止めることが出来ず、ただ場所を広げて見守った。後で勝手なことをしでかした罰を受けるが良い、と思っている為もあったかも知れない。
「やあっ!」
 ガキンと剣同士が火花を散らした。
 切り込んで来たのはファバムの方だったが、ガルダンは剣を斜めにして彼の力を受け流した。いつもの刃引きされた鈍い光でなく、鋭利な輝きが2人の間に舞った。どちらの剣も、鍛え抜かれた逸品である。
 この輝きが、人を殺すのだ。
 そう思ったファバムは、一瞬だけ気を取られた。
 だがガルダンは、そこに付け入ることをしない。
 彼の呼吸が整うのを待ち、テンポを合わせて剣を振った。
 何度か斬り結ばれる剣。
 そこに居合わせた者の、誰が気付いただろうか。実際に剣を振るファバムでしか、分からなかっただろう。
 ガルダンはわざとファバムの呼吸に合わせ、ファバムが剣をどこにどう振ったら良いかを、無言で示している、などと。少しでも剣が体に触れれば、肉が削がれ血が飛ぶのだ。そんな真剣で戦いながら、しかも相手に指示も出さず剣の振り方を指南するなど、神業に等しい。
 等しいが、ガルダンは指南しているのだ。
 ファバムの腕前も、決して悪くはない。まして今日持つ真剣の重みと鋭さに感覚は研ぎ澄まされ、普段より格段に集中力が増している。
  だから分かってしまうのである、ガルダンの隙を。
 その時その時に、ここにしかないと言う隙をガルダンが作っているのだ。そこ以外には切り込めない。だが、だからそこに剣を振ると、ガルダンの剣に止められてしまう。ところがそのリズムが、そのテンポが、心地よく体に浸み込んで来るのである。
 不思議な体験でもあった。
 隊の皆が自分に対してわざと隙を作り、上手く負けているらしいことは、ファバムとて知っていた。だがそれで良いと思っていたのである。どうせ自分という者の扱われ方は、この程度なのだと開き直っていた。皆がそうなるようにし向けたのも、彼自身なのだ。
 だがガルダンの、自分に対するこの剣の振り方は、どこか違っていた。
 ただ単に負けようとしているものではないのだ。
 真剣である、そのようにわざとらしい演技でもしようものなら、本当に斬ってやろうと思っていた。自分への当たりが厳しいからと、このような真似をしでかしたのだとしても、後の報復を考えていた。
 ところが、彼の剣にもまた、気迫が入っている。対等にファバムと勝負をしたい意気込みすら感じられる気がする、崇高な剣だった。
「はっ!」
 うやむやとした考えを振り切るかのように、ファバムは勢いよく降った。大きく空振りし、体勢を崩す。当然のように、ここでもガルダンは突っ込んで来ない。
 ファバムは急に、彼の思惑に乗ってしまっているような剣技が嫌になり、ガルダンがわざと作った隙ではないところへ剣を振った。
「やあっ!」
 早々、思い通りになど動いてやらない!
 そんなつもりで切り込んだ。これが彼の胴に入るかも知れないことなど、頭が回らなかった。
 しかし。
 剣が悲鳴を上げる。
 ファバムは、はっとした。
 受け止められたのだ。
 しかも、ただ受けられただけではない。
 ガルダンの剣が、重かった。彼が、攻撃に転じたのだ。
 受けて、ガルダンの剣がとても重く鋭利なものであることを知って、初めてファバムは、彼が今まで自分に攻撃をしたことがなかった事実に気が付いた。いや、ガルダンだけではない。隊の誰からも、このように厳しい剣を受けたことがなかった。ガルダンの剣は、本気の剣だった。
 ――来る!
 殆ど反射的にファバムは、剣を構えていた。
 剣身を思い切り叩かれる。危うく取り落としそうになり、当然体制が崩れた。ところが今度はガルダンの動きが止まらず、ざっと踏み込む音が聞こえたのである。
「ま、待て!」
 叫んだのはファバムでなく、隊長だ。気が付いて慌てて自分の剣を抜き、割って入ろうとしたが、それはガルダンの動きに到底追いついていなかった。
 ピタリ、と。
 3人の動きが止まった。
 ファバムは動けなかった。
 顎から落ちた汗が、その真下にあるガルダンの剣先にポタリと落ちた。正確に頸動脈を狙ったガルダンの剣は、ファバムのそこを斬るわずか手前で止められていた。反撃を許さないほどスピードの乗った剣を直前で止めるのに、どれほどの腕力が必要かということを、そこにいる誰もが知っている。そして改めて、ガルダン・マハと言う人間の持つ剣技が、あのボーン・マハのものをそっくり受け継いでいるものであることを認めない訳に行かなかったのだった。
 だがその腕と取った行動は、別物である。
「貴様……。ファバム様に対してこのような無礼を」
 怒りに打ち震える隊長を尻目に見ながら、ガルダンは剣を収めて息を整え、ファバムに敬礼をした。
「ファバム様。それがあなたの実力です」
「ぶっ、無礼な! 無礼な!」
 まるで自分が言われたかのように、隊長の方が狂ったように叫んだ。彼は彼で、自分の地位をガルダンに取られてしまうと危惧し、我を忘れてしまったのだろう。隊長が見ても分かるほど、ファバムの方はガルダンの行動を無礼と思っていない為に。
「お強いが、受けることを知らない剣だ」
「分かった」
 若干放心気味だったファバムのガルダンの言わんとするところを察し、笑顔こそ見せなかったが、しっかりと了承の頷きを返した。
 ガルダンに剣を返す。皆に背を向けたファバムだったが、去り際に1度ひょいと振り返り、
「今度は皆で、勝ち抜き戦にするか」
 と言い残して去った。あっさりした表情だった。胸のつかえが取れたかのような……。
 言葉で上手く通じ合えないなら、体ごとぶつかるしかない。少々乱暴だがそんな答えを見出し、今実行し終わったガルダンは何とも言えない爽快さに身を包まれた。
 すぐに隊の歓声と羨望の声が、代わりに身を包む。
「見直したぜ!」
「そうか、お前そういう奴だったのか!」
 勿論皆が皆同じように言ってくれた訳ではなかったし、そうして声をかけてくれる者も何人が今のやり取りの真意を理解しかたも、分からない。それは今後、少しずつ分かり合うしかないだろう。ファバムとのやり取りのように。
 ガルダンはこの時初めて、自分を表現することの喜びを知ったと言って良かった。
 まだ始まったばかりである。
 しかし、問題の何もかもが解決出来そうな、解決出来たような、そんな気持ちよさを味わった日だった。
 深く青い、澄んだ空に、まだ雲の影はない。





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