頂点 7.


「神様って、本当にいるのかもね」
 2人分の食事と麦酒を注文してサーリャは、そんなことを呟いた。ガルダンは無神論者だったが、時々は信じてみても良いかな、とさすがに考え、
「かもな」
 と相づちを打った。トマジ辺りが見たら、卒倒して皆に言いふらしかねない素直さだ。そんなガルダンの面を知るのはサーリャだけだったし、この先も彼は彼女にしかこの面を見せないつもりでいるが。
「コルチェ、」
 身を乗り出したサーリャを制してガルダンは、
「最初に1つだけ」
 と人差し指を立てた。
「俺は今、名前を変えたんだ。ガルダン・マハ。騎士になった。……君を、守りたくて……」
 暗に“自分と共に来て欲しい”と言う含みを入れたつもりだった。今言うべきかどうかは迷ったのだが、今言わないともう会えない気がして、言ってしまった。彼女が自分を許してくれているのかなど確認していなかったが、彼女の顔色は、自分を許してくれているとガルダンは信じていた。
「まさか、本当に騎士に……?!」
 最後の台詞の1つ前に、サーリャは引っかかった。
「他流試合で優勝した訳じゃないんだけど。運が、良かったんだ」
 運が良かった。本当に。
 サーリャと出会えたことでガルダンは急に、今までの自分の人生が全て素晴らしいものであったかのように思えた。どんよりと厚かった雲の切れ間から、天の光が射し込んで来たかのような気分である。ボーンと出会えて騎士になれ、今こうして彼女と顔を合わせることも恥ずかしくない。サーリャと同じ農奴になって働いた日々すらも良かったのだと思えて来る。彼女と知り合えたのだから。我ながら浅はかだなと思ったが、全てのことが重ならなければ今の自分はないのだ。こんな日くらいは祈るフリでもしておかないと、バチが当たりそうである。
 馬鹿正直にサーリャにそう告げると、彼女は声を立てて笑った。
「コル……じゃない、ガルダン、外見がとっても立派になったからドキドキしちゃったんだけど、中身がそのままで嬉しいわ」
 誉められた気がしない。
「あ、良い意味で言ってるのよ。私が好きな、あなたのまんまだわ」
 サーリャの言葉づかいはさらに優しさが増し、女性らしくなっていた。ほどなく運ばれて来た酒を手に取り、
「乾杯」
 と言って、杯を半分ほどまでくいと空けてしまうと、さっそく彼女の目尻は下がり、色気をかもし出した。
「俺のまんま、か」
 呟いて、ガルダンも麦酒に口を浸け、はっとして顔を上げた。
「そう言えばサーリャ、あの本はまだ持っているのか?」
“俺のまんま”と呟いて、思い出したのだ。サーリャとの過去を思い出す時、殆ど必ず彼女が大事そうに抱えていたあの本を思い出す。正確な題名は憶えていなかったが、“恋”と言う字だったことを学んだ日、その言葉だけがガルダンの胸に刻まれたのだった。
 ガルダンとしては、当たり前に聞いたつもりだった。
 だがサーリャは、
「あの本?」
 全く記憶にないらしかった。
 まだ6年だが、もう6年でもある。2人の共通の思い出が彼女の中に残っていないらしいことは、ガルダンに若干のショックを与えた。
 いや、いいんだ。そう言おうとして、気を取り直した。
「ほら、昔、俺にもなかなか見せてくれなかった本があったじゃないか。宝物だとか言って……」
 途中で気付いたらしいサーリャは、段々合点の顔をし、ガルダンが言葉を切った所で、
「ああ」
 と言ったが、楽しそうではなかった。ガルダンの視線に苦笑する。
「ただの本だったの。宝物じゃなかったって気付いただけよ」
「読めるようになったのか?」
 だがサーリャは首を振った。
「半分ほどだけね。でも、不幸せな話みたいだったから、途中で止めちゃったの。どうせなら、明るい話が読みたいじゃない?」
 そう笑って、彼女は首を竦めて見せた。
 だがあんなにも読めるようになることを望んでいたサーリャが、話の内容が不幸らしいと分かっただけで、あっさり止めてしまうものだろうか? しかも半分しか読めていなくて? 本当に希望に満ちた話であることだけを願って、宝物だと言っていたのだろうか?
 そういう考え方をすると、ガルダンはサーリャの希望を打ち砕いた直接の原因は自分ではないか、と思い当たってしまい、気持ちが沈んだ。
 サーリャの首もとは、すっぽりと隠されている。その下に一生の不幸を刻みつけたのは、自分なのだ。
 多分それが、サーリャから夢を奪ったのだ。そんな風に思った。
「俺が、悪かった」
「え?」
 突然押し殺すような声で出されたガルダンの謝罪の言葉に、意味が分かりかねてサーリャは目をくるりとさせた。
「あの事件のせいで、本に夢が持てなくなったんじゃないか?」
「あの事件」
 ガルダンの言わんとするところを察したサーリャは、弾けるような笑顔になった。
「関係ないわよ」
 努めて明るい声を出すと彼女は、何でもないことのように襟をめくって、傷をさらけ出した。少しピンクがかったケロイド状の傷跡が左側の鎖骨の上に見え、その下方までずっと伸びている。
「もう、痛くも何ともないわよ」
 そう言いながら服を戻し、サーリャは当時ガルダンが逃亡した時のことを思い出した。
「あの時は、どうかしちゃってた」
 額に手を当て、目を伏せる。反省しているらしいサーリャの態度は、あれを一時的なものだったと物語っているようだった。
「私が出てって、って言ったから、出てっちゃったんでしょ?」
「いや……」
 言葉を濁した。完全否定したいのに出来ない自分の態度が悔やまれた。けれど彼女は明るかった。
「結果的には、人生良くなって良かったわ」
「でも俺は、」
 サーリャに謝っても謝りきれない傷を残した。そう言いかけて言葉を詰まらせたガルダンは、サーリャの顔を真っ直ぐ見つめることが出来ず、俯いた。
 ガルダンの頬に、そっとサーリャが手を触れた。水仕事でもしているのだろうか、所々あかぎれていて、苦労を感じさせる手だった。細く、冷たい。だが優しい手だった。
「あなたが悪いんじゃない」
 ガルダンは頬に当てられたサーリャの手を取った。今度は逃げなかった。
 もう1度、先ほど無視された格好になってしまった台詞を言おうとして、
「サーリャ。俺と、」
「お待ちどう様」
 給仕に邪魔をされた。





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