頂点 2.


 土色の四角い建物が林立する埃っぽい町。春の風が少し強く、砂を巻き上げて吹き抜けて行った。
 そんな中、通りを馬に乗ってゆったりと歩く若い騎士を、誰が昔奴隷だったと言って信じようか。領主の息子でもない。立派な姿だった。
 この日をどれほど待ちわびたかと思いつつ歩を進めるガルダンは、本来なら馬を疾走させて向かいたい心境だった。
 出鼻をくじかれた気はしたが、王子の親衛隊に加えられたとて騎士には違いないのだ。
「王にお願いがあります」
 誓いの儀式が終わると同時に男が斜め前に座し、王に頭を下げた時、ガルダンは再度嫌な予感を覚えたものだった。
 男は王の次男、ファバムだと名乗った。王子にしては随分奔放な性格だ、と王に同情しかけたガルダンだったが、すぐに他人事ではなくなった。
「ガルダン・マハを私に下さい」
「え?」
 思わず声を上げてしまったのは、ガルダン本人である。衛兵の1人が無礼なと言った気がしたが、ガルダンの耳には届いていなかった。
 ガルダンのことを気に入ったから引き取りたい、という訳でもなさそうだ。ファバムの眼光は優しくない。王に了承を得たファバムが、
「時に、お前は幾つだ?」
 と聞くのも、口は笑っているが、目が挑戦的なのだ。
「17歳でございます」
「なんだ、年下か」
 明らかに落胆した、王子の声。先ほどの立ち会いで、年下にやられたのかと恥辱を感じたらしい。
 思わずガルダンが先行きを不安に感じたのも、無理はない。今まで騎士になることを目標にして来たが、違う、ここからがスタートなのだ。幸か不幸か、ルガイヤも左大臣のままだ。彼の顔も拝みたかったが、ごく内輪の小さな儀式だった為、ルガイヤの姿はなかった。
 しかし自分に課した指名は、まず果たした。
 堂々とサーリャに会いに行けるのだ。ボーンとのしがらみなどは、彼女には関係ない。自分の平穏の為にも、彼女の顔を見たかった。そう、自分の父親と継母に会ってしまうだろうことも、いとわないほどに。ガルダンは馬上でつい、背筋をピンと伸ばしたのだった。
 館までの道中に、農場が広がる。まだ青い麦に隠れるようにして働く人がちらほらと見えるその中に、サーリャの姿は見えない。さすがに6年もたつと、分からないものなんだろうか。だが自分は見つける自信があっただけに、残念に思った。
 館に門番はない。ガルダンは馬を止め、目を細めて館を見た。生まれてから8年間を暮らした自分の家。馬小屋に追い出されてからも時々眺めた。憎しみを込めて。今は、何の感慨もなかった。ただ、あんなに大きいと思っていたこの家が、ボーンの屋敷や別荘より、はるかに小さかったんだなと思っただけだった。
 扉を叩いて出てきた召使いには、自分はガルダン・マハだと名乗った。
 別にコルチェでも良かったのだが、今の自分の名はもうガルダンなんだと思っていたし、もし父らが自分のことを分からなかったらそのままで良い、と思った為だった。
 案の定、と言うべきか。
「いや、これはこれは」
 もみ手でもせんばかりの領主が愛想笑いを浮かべて近づいて来た時、ガルダンは寂しさを感じた。そしてやっぱりこの人はもう、俺の父親じゃないんだ、と自分に言い聞かせた。
 ガルダンの足元にすり寄りそうに深いお辞儀をする領主は、全くガルダンが自分の息子、コルチェであることに気付きもしない。後妻も顔を出して来たが、こちらも気付く気配がなかった。
 自分がコルチェ・セオだと告げたら2人は、特に後妻はどんな顔をするだろう。ガルダンはそんな思いに駆られたが、そっと苦笑しただけで、また胸の内にしまっておいた。
「実はこちらに、サーリャと言う娘がいたと思うのですが」
 ガルダンはさっそく本題を切り出した。1秒たりともいたくないと言うほど嫌悪感がある訳ではないのだが、応接間に通されてくつろぐのも遠慮したかった。
「サーリャ……ですか?」
「……奴隷です」
 突然の来訪の上、会っていきなり立ったまま奴隷の名を口にした騎士に、さすがに領主も後妻も怪訝な顔をしたが、剣を持った者においそれと口答えも出来ない。領主は農奴の顔と名を順に思い出して行った。
「サ、サーリャでございますか。サーリャ、サーリャ」
 つまり領主の記憶にも薄い程度の存在でしかないのだな、と思いながらガルダンは、老けた領主の額を眺めた。そびえ立つように高かった父の背を、今はすっかり追い越してしまった。家と同様に、父親もまた小さくなっていた。
「サーリャが、何か?」
 領主が馬鹿正直に懸命に思い出そうとする横から、後妻がすいと割って入った。涼しい顔をしている。その脳裏にきちんとサーリャの姿が思い出されているのかどうか、定かでない。
「引き取りたいと思いまして」
 ガルダンは正直に言って、懐をポンと叩いた。金貨がジャラッと鳴った。金貨であるかまでは分からないにしても、銅貨にしたって相当な額の音だった。
「なぜサーリャを? 奴隷市場もありましょう」
 それは、となるだけ平静を装って返答を考えていたガルダンは、
「ああ、サーリャか! 2、3年前に出てった、」
 とうっかり口を滑らせた領主に助けられたのだった。不振を抱いた後妻に質問攻めにされず内心ホッとしながらも、ガルダンは領主の言葉に眉をひそめた。
「出て行った?」
 言ってしまってから、後妻の顔が自分を咎めていることに気付いて領主は、情けない顔をした。だが観念したらしく、ボソボソと呟き出す。
「教会の司教様だとか言う人が来て……。どこのどなたか教えてくれませんでしたので、今はもうどこに行ったか……」
 教会に買い取られた訳である。もしくは教会の名を借りて、自分の身を自分で買い戻したのかも知れない、領主にそれと分からないように。ただ普通に農地にいるだけで、教会がやって来るはずなどないのだ。
 今の奴隷の殆どは、占領地クグライバル国から不当に借り出した人材であることが多い。それを阻止しようとする動きもあるとは聞いていたし、領主もそれを知っていたから、されるがままになっていたのだろう。口止めに足る金を積まれているのかも知れない。
 いかんせん、道は絶たれてしまった。
 解放運動の一旦なら、今頃は国に帰ってしまっているかも知れないし、年も19歳のはずなのだ、結婚すらしていてもおかしくない。
 ガルダンは、先ほどとは違った寂しさに襲われた。
「分かった。済まなかったな。邪魔をした礼だ」
 懐から金貨を2枚取り出すと領主の手に握らせ、ガルダンはきびすを返し、2度と振り返らなかった。金貨を握らせる時持った父親の手は、カサカサでゴツゴツしていた。諸侯らの脂ぎった分厚い手ではない。苦労の手だ。あまり長く握っていても変なので、すぐに離したが。
 まだ、それでも領主の記憶は目前の騎士が自分の息子である、とは到達しない。コルチェが今なお生きていると言う報告を受けていれば考えついたかも知れなかったが、昔逃走した彼を連れ戻すべく命令した2人の男は、コルチェを死んだことにして金貨を自分たちのものにしてしまったのだ、それが嘘だとは想像しなかった。
 領主の方は。
 たくましい若者の背を見つめながら顎に手を当てる後妻の方は、眉をひそめて考えにふけっている様子だった。





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