進出 6.


 聞き間違える訳がない。ずっと2人でいたのだ。
 よく舌の回る口から出てきた様々な声の色は、全て憶えている。部屋の中から聞こえてきたのは、あまり聞いたことのない弱々しい声だったが、トマジに間違いなかった。
 生きていたのだと喜ぶより先に、何故ここに彼がいるのだという疑問の方が生まれた。気絶する前に見えた状況からすると、逃げ切る為にはガルダンを見捨てるばかりか彼の馬をも取り上げて、すぐさま走らなくてはならなかっただろうからだ。トマジの馬は、主を残して走り去って行ったのだから。
 5人もの盗賊を小さな弓だけで倒せたとも思えない。そう思うガルダンの表情は、自然と険しくなった。
「まさか死んではいないと思うのですが」
 さまようようなトマジの声は、恐れていると感じられる。ガルダンは思考を切って、耳をそば立てた。
 もっと窓に近付きたかったのだが、どの角度から自分の頭が見えてしまわないとも限らない。気配も完全に消せている自信がないので、油断出来ない。
「くそっ」
 と舌打ちした声は、トマジのものではない。彼が話しかけた相手のものだ。一言だけでは誰か分からなかったか、
「奴が“マハ”でさえなければ、殺しておけたのに」
 次に紡がれたねっとりとした嫌味な言い方が、隊長である左大臣のものと知れた。その声を聞いただけで、脂ぎった顔が思い出せる。部屋の中にいるのは、この2人らしかった。
 誰のことを言っているのかは、嫌でも分かる。自分がボーンの息子でなかったら、殺されていたのだ。何となく軽んじられているかの扱いのくせに、なのに偵察を命じられて別行動をさせられたりしていた疑問が、少し納得出来た気がした。
「あ、あの……」
 控えめなトマジの声。どうやら絶句してくれていたらしい。左大臣の言い方があまりに素っ気なく、犬か猫のことでも言っているかの口調であったから。
「彼を置いて来たのは、間違いでしたでしょうか」
「いや、盗賊に捕まって生きたまま釈放されると言う筋では、無理がある。奴が気絶している間にその場を去ったのは、一応賢明だと言えるだろう」
 ガルダンは自分の考えを振り払う為と、なるだけ気配を消すよう努めんと、ぎゅっと目をつむってゆっくり呼吸した。平静になれと自分に言い聞かせた。心を乱して、彼らの話を聞き漏らしている場合ではない。
 だがそう考えていることがすでに、他事である。
 ふと気付いたら、左大臣が何か言っていた。様子からすると、愚痴のようだ。
「大体、会わないようにあいつを連れ回すのがお前の役目だったのに、ばったり会ってしまうとは何事だ!」
「それは奴らに言って下さいよ。俺のこと分からねぇで、仕掛けて来やがって」
「奴らは人を見れば襲うのは、当然だ! お前が気を付けろ!」
「そんな無茶な」
 左大臣の声が大きくなるにつれ、トマジは押されてさらに弱く消え入りそうな声になって行った。
 大袈裟な溜め息を演出してから、左大臣は言った。
「まぁ良い。捜索に出した者も、明日か明後日にはガルダンを連れて戻るだろう。我々は盗賊を退治して、お前を救い出したことにする。口裏を合わせろ」
「それも無理がありませんか?」
「ではお前は屍にするか。信憑性が出る」
 何の感情もなく、虫でもつぶすかのような言い方に、続いてトマジの言葉はなかった。驚いているのか睨んでいるのか、顔は見えないが、
「何だその目は。本当に死ぬか?」
 と左大臣が言ったので、多分反抗的な目でもしていたのだろう。
 トマジがはっと言ったように聞こえた。うなだれたのだろうか。その後物音がして、扉を開け閉めするらしい響きがあった。それからは会話がなくなったので、多分左大臣が退室したのだろうと思われた。これ以上の会話は、望めない。
 だがこれ以上を、望むべくもない。
 むしろ、これ以上何か聞いていたとしても、もう何も考えられなかっただろう。
 ガルダンは自分の心臓の音が室内に残るトマジに聞かれるのではないかと思って、右手でぐっと胸を握りしめた。左手は壁にくっついて硬直したまま、体を支えているので精一杯だ。胸に当てた手がじっとりと汗ばんでいることにも、気付かなかった。
 とにかくまず、離れなければならない。
 宿から離れるだけではいけない。すでに自分を捜しに出ている者がいるのだ。ここに来るまでの間に、そんな男たちには出会わなかった。どこかですれ違ったと言うことか。
 ガルダンは緊張しながらゆっくりと足を上げ、一歩前に踏み出した。音は出ない。周囲に人影もないし、中にいるトマジも気付いてないらしい。
 と、思ったその時!
 ガタリと室内で大きく音がした。瞬時に見付かった! と思ったガルダンは首をすくめ、体中から冷や汗を吹き出させた。
 ガルダンは一歩踏み出した状態のまま、背後の壁の向こうにある気配が段々と自分に近付いて来るのを感じようとしたが、そんな気配は一向に伝わって来なかった。それどころか、コツコツと歩いているらしい音が、左大臣の消えた方向に消えて行くのだ。どうやら、見付かった訳ではなかったらしい。
 トマジの呟きが、聞こえた。
「ボーン様なんか嫌なことは下っ端に押し付けて、自分は甘い汁吸えるんだからよ。気楽なもんだぜ」
 低く、語尾が殆ど聞き取れない小さな声で、しかもそれと重なって扉を開ける音がしたので、正確に全部を聞けたとは言えない。だがトマジは、はっきりと“ボーン様”と言った。
 ガルダンは目をむいた。隊長たちが盗賊と何らかの取り引きをしているらしいと分かった以上の、ひどい驚愕を感じた。
 思わずガルダンは、振り返った。窓を凝視する。そこに人影はない。
 すぐにバタンと言う音が聞こえて、室内は全くの静寂になった。もう誰もいないのだろう。
 ガルダンは眉を吊り上げ歯がみをし、窓から中に侵入したい衝動を必死になって押さえつけた。扉全てを開いてトマジを探し、胸ぐらを掴みたい気持ちである。それを殺して冷静になれと、感情で動くな理性的になれと、自分に何度も言い聞かせた。
 今は、去れ。
 何が最善の道かは、分かっていなかった。だがとにかくこの場を離れ、それからでないと、まともに頭が働いてくれない気がしたのだ。
 ガルダンは土を蹴り、急に思い付いたかのように走り出した。走り続ければ、あの部屋を後にすれば、あのような話が全てなかったことになるかの錯覚を憶えた。
 だが、真実なのだ。
 到底思い付きもしなかった、自分がいかに愚かな人間だったかを思い知るような、深く胸をえぐる真実なのだ。視界がぼやけて来たのを感じてガルダンは、絶対に泣くもんかと歯を食いしばった。
「何だってんだ、畜生!」
 走りながら、悪態をついた。
 村は、遠くなっていた。夜の闇を疾走する彼の叫びに耳を傾けた者は、誰もいない。
 サーリャの時ともファリィの時とも違うのだ。こんな風になど、泣きたくなかった。泣いても道が開ける訳ではない。答えが出る訳ではない。冷ややかに自分で自分の心に問いかけなければ、誰も助けてなどくれないのだ。
 だが1つだけ、答えの分かったことがあった。
“敵”がはっきりとしたことだ。





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