進出 5.


  山の夕暮れは寒い。
 日頃住み慣れた王都の風に比べ、芯の凍るような冷たい風が、ガルダンの頬を突き刺して行った。
 前日の夜から歩き続け、まだ村にたどり着いていないのに、また夜が来てしまったのだ。もう、歩く自分の足が自分の物なのかどうかも分からないほどだと言うのに。
 前日の夜。ガルダンは、自分がもう死んだものと思っていた。
 気付いたのは、今のような赤い空でなく、もっと日が落ちてからだった。最初は目を開けることさえままならず、すっかり体も冷たくなっており、指先に草の触る感覚さえなかったのだ。手をわずかに動かして、そこに土があることを確認してやっと、自分が生きてそこに倒れているのだと分かったほどだった。
 気合いでまぶたを押し開くと、暗闇が押し寄せて来た。だが完全な闇ではない。厚い雲が逆に空を明るくしてくれて、見通しが良かった。
 ずるずると自分の肩の横に手を突き、うつ伏せになった上体を持ち上げると、ぐっと腕に力を込めた反動で腹が痛んだ。腹を覗き込み、夢でないのだと主張するかのように、折れた矢がガルダンの腹から生えている。ぶらぶらと、折れた先が揺れていた。
 ちっと悪態をつき、ガルダンはさほど何も考えずに矢を引き抜いた。だが幸いなことに、矢は体に残らず全部抜けたばかりか、血もほんの少ししか付いて来なかった。斜めから刺さっていて、体の完全な下敷きにならなかったことが救いだったのだろう。血は吹き出すほどもなく、応急処置程度で良さそうだ。服の下に着けておいた皮の鎧が、それなりに役立ったらしい。
 そう思ってからガルダンは、自分の衣服がはぎ取られていないことに気付いた。
 とどめも刺されていないのだ。
 トマジは無事だったのか?
「トマジ?」
 ガルダンは自分の声がちゃんと出るかどうかと、周りに誰かいるのかどうかの確認も兼ねて、トマジの名を呼んだ。返答はない。誰かが近くにいる気配もなく、荒野のような山道に1人ポツリと取り残されてしまったらしい。
 だがすぐにあることに気付いて、慌てて立ち上がって見回した。気配がないからと言って近くにいない訳ではなく、死んだかも知れないのだ。自分が悠長に気絶している間に、トマジが殺されたのだとしたら。
 今近くにいないからと言って、だから生きている保証もない。誰の何の影も見えないことは、安堵につながらない。
「いや」
 呟いて、ガルダンは唇をかんだ。自分が生きているのだ、彼とて死んだとは言えない。
 気に入らない相手だからと言って、半ば無視するような態度しか取っていなかった自分が、今さら悔やまれた。だが、もっと親しくしていたなら現状は変えられたのかと言えば、それは分からない。
 ガルダンは首を振り、服を裂いて包帯を作り腹に巻くと、自分の肩を抱くようにして歩き出した。どの道ここで夜を明かすのは得策でないし、また盗賊らが戻って来ないとも限らない。
 ――そうして歩き続けたガルダンは、幸か不幸か誰に出会うこともなく、今に至るのであった。
 本隊のいる村を拠点に周囲を偵察して廻っていたので、歩きでもそんなに遠くないはずだという見通しが非常に甘かったことは、翌昼になっても何も見えて来ないことから、思い知らされていた。幸い視界は良く、街道をそれた記憶はないので村に向かっていることは間違いないと思うのだが、歩いても歩いても一向に見えて来ないのだ。自分の体調が万全でないことも関係しているかも知れない。自分が歩いているのか止まっているのかさえ、分からなくなって来たのだから。
 夕陽が山すそに沈んで行くのを見ながらガルダンは、いっそ盗賊に殺されておいた方が楽だったのではなかろうか、とふと考えた。今このように大変な思いをして隊と合流しても、失態を咎められるのが関の山だと思えたのだ。馬をなくしトマジとも別れ、盗賊の足取りも掴めなかった。
 きっと自分のことを飄々とした小僧だと、隊の誰もが噂したに違いない。自分でも嫌になるほど、心の開き方が分からないのだ。そんな自分がおめおめと隊に戻って、何を言われるか。そう思うと、足取りは余計に重くなった。
 戻っても騎士への道が開けるどころか、笑い者になって終わるだけかも知れないのだ。ボーンにも顔向け出来ない。……ファリィにも。サーリャにだって、もう会いになど行けない。
 元々騎士になりたいという気持ちは、サーリャに会いたいが為だ。騎士になれるほどの人間になってから自分に会いに来い、と言う意味だったのだと、ガルダンは今は解釈している。だからこの、人間として向上した姿だと言えない状態は、資格を失ったも同然であり、ガルダンにとっては道が閉ざされたと思える絶壁だった。
 なのに、光を見た時。
「村だ」
 思わず呟き、安堵の溜め息が洩れた。
 はっとして、口を押さえた。自分の溜め息に驚いてしまったのだ。皆に何と言われるだろうか、隊長にどんな顔をされるだろうかと思っているくせに、もうサーリャに会えないと思ったくせに、灯を見て最初にホッとした自分がいる。誰もいないからこそ露呈した自分の本心が、唇を噛み切りそうな位に悔しかった。
 口元を拭った。手の甲に血が付いたようだったが、もうすっかり空が暗くなり、あまり見えなかった。
 逆に言うと、暗くなったから家に灯がともって、そこに村があると分かったのだ。案外近くに灯は見えていた。
 だが皆にすぐ会えない引け目があり、正面から堂々と入ることが出来ず、ガルダンは窓からそっと中を伺った。我ながらみっともないとは思いつつも、状況を把握する為だと自分に言い訳をして、隊が泊まっているはずの宿舎を覗き込んだのだった。
 初めは部屋の中に誰もいないように見えて、窓の開いている隙間にぐっと顔を突っ込んでしまった。
 人影が見えて、慌てて退いた。窓から離れて、壁に背を貼り付けた。冷や汗が頬を流れた。
 見られていないと思うのだがそれよりも、ちらりと視界に入った姿があり得ない人物であったかのように見えてガルダンは、壁に貼り付いたまま凍ってしまった。
 声が出せる状況なら、まさかと位は呟いていたに違いない。
「大丈夫でしょうか?」
 トマジの声がした。





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