|
登る日 2. マハ家の家族は、ボーンの他には誰もいなかった。 屋敷を好きに歩いて良いと言われて散歩してみたが、どこを見ても女や子供が住んでいた形跡はない。肖像画なども、見あたらなかった。 執事は口を割りそうにないタイプだったし、自分が何も教えていないのに他人の私生活をあれこれ探るのは不公平かと思い、ガルダンは何も聞かないまま日を過ごして行った。 門番はボーンに忠実で、絶対に外へ出してくれなかった。とは言え、ガルダンも無茶をする気がなかったが。抜け出すのはたやすかったが、そうすると2度とここに戻って来られないだろうからであった。元働いていた農地からも迎えが来る様子がなかったので、今の所ガルダンは、この不思議で恵まれた生活を楽しんでいた。 彼は髪を切り身なりを整えしゃんと立っていると、貴公子にすら見えた。淡い栗色の髪が軽く風になびき、その下に光る一重の目は涼やかである。初めて身なりを整えた時ボーンが、 「将来が楽しみだな」 とひげに手をやり、笑ったものだった。ボーンの髪も茶色いので、親子に見えないこともない。それがボーンには、更に嬉しいらしかった。 連日中庭で剣技を行い、元々日に焼けて濃かった肌の色だったがさらに焼け、とうとう髪より黒くなる有り様だった。暑い季節なので、動くとすぐに汗びっしょりになる。シャツを脱ぐと、これが本当に子供の体かと思える精悍な造りの上半身が現れた。 「少し背が伸びたな」 ある日、ガルダンの着ていたシャツとズボンを見て、ボーンが言った。 「当面はメリレルに言って、服を繕い直してもらえ。そのうち、新しい服を買いに行こう」 ボーンもまた、成長の早い子供を見て楽しんでいるらしかった。 メリレルは召し使い長だ。一番年輩で、誰にでも面倒見が良かった。召し使いの為の部屋は2つあり、メリレルはそこにいた。 ガルダンは、ノックすることを学んでいた。 「開いてるわ」 落ち着いた、少しかすれた声がした。 「入ります」 まだたどたどしかったが、人間関係を円滑にする為の言葉と態度も、ガルダンは少し憶えた。彼女の目には、まだまだ新入りガルダンへの嫌悪がぬぐえていなかったが。ガルダンはその目に気付かないふりをしている。 2人部屋だが、もう1人は出ている。少し居心地の悪さを感じ、身じろぎした。 服の寸法を大きくして欲しい旨を伝え、もう少ししたら服を買いに連れて行ってくれるらしいとガルダンが言うと、退室のきっかけを失わせるかのように、メリレルがほがらかに笑った。 「あなたを、気に入っているのね」 仕立屋を呼べばほんの1時間で済む所を、わざわざ店まで行こうと言うのだ。 気に入られたくてここで勉強している訳ではない、とガルダンは心中抗議したが、口には出さなかった。ではどうして、ともし聞かれたら、答え辛かったからだ。 ガルダンは、代わりに別の言葉で答えた。少し毒を含んで。 「息子の代わりにされてるだけだ」 すかさず彼女は叱咤した。 「ほらまたその言葉づかい!」 「……されてるだけ、です」 さっきまでの笑みが消え、困った顔になっている。メリレルは、ガルダンの言動を正す役目も行っていた。 「知ってるの?」 「本人が言いましたから」 「“本人”って。ちゃんと“ボーン様”か“お屋形様”と言いなさい」 「俺が使ってる本は、ボーン様の息子のものだったです」 「ええ」 メリレルは戸口に立ったままでは何だから、と椅子がないのでベッドにガルダンを座らせた。狭い部屋なので、椅子や机がない。ガルダンは浅くベッドに腰かけた。今自分にあてがわれている物より、質の劣るベッドだった。 「言葉づかいはまだまだねぇ。“息子”じゃなくて、せめて“息子さん”と言えるようになさい。本来なら全ての方を様付けで呼ばなきゃいけないんだけど、あなたの立場は少し変わってるから」 そうなのだ。 最初から奴隷らしからぬ扱いだと思っていたが、召し使いより良い部屋に住まわされ、掃除や洗濯もせずとも良く、時にはボーンと食事さえ同席する、そんな奴隷なぞこの世にいない。賓客とまでは言わないが、ガルダンは明らかに奴隷ではなかった。後から知った話だったが、ボーンが他人を自分の書斎に入れると言うのも、まれなことらしいのだ。 ふとガルダンは、メリレルたちの心中を思った。 もし急に入って来た子供が、客人とも奴隷とも付かない妙な立場で住みつき、自分たちより待遇が良かったなら、そりゃあ戸惑うし、面白くもないだろう。 だがそれに気付いたからと言って、今さら彼女たちをねぎらったり気づかったりすることは、返って失礼だと思った。自分がボーンに買われた時、とても気分が悪かったことと同じだ。 「分かった?」 即答せずに考え込んでしまったので、メリレルから追い打ちが入った。ガルダンは反抗を止め、子供の顔をして、こっくりと頷いて見せたのだった。 「分かりました」 彼の表情を反省と思ったらしいメリレルは、若干表情をゆるめた。 「御曹子様は、お可哀想だったわ」 少し窓を見る。ボーンが“息子”と口に出した時と、同じ表情だった。 「生きてらっしゃれば、さぞご立派におなりでしたでしょうに」 ああ死んだのか、とガルダンは思った。離婚していなくなったのか死んだのかどちらだろうと、考えたことはあったのだ。それ以上メリレルは言わなかったので母親については分からなかったが、それは追求しなかった。 息子の代用品でも構わない、それで体が鍛えられるなら。とガルダンは思った。 出来れば、再度あの他流試合に望みたかった。そしてそこで優勝する為には、ボーンさえもしのぐ腕前にならなければいけないのだ、よそ見などしている暇はない。 あの試合で優勝しなければ、意味がないことだからだった。 |