登る日 1.



 バルドナットと言う国が建国して、もう67年になる。
 赤土に覆われ緑の少ない大地には、常に埃にまみれた風が吹いている。
 だが今の王は4代目だが、戦争を知らない王だった。今の暮らしに満足し、バランスも取れていると思っているのだ。
 クグライバルと言う名の国を滅ぼし属国としたのは、もうかれこれ40年も前のことだろうか。かの国の種族独特の黒髪・黒い瞳の人間を奴隷と称し使役することを、バルドナットの人々は当たり前のこととして過ごして来た。この国が砂多き大地であっても、裕福な国として栄えている理由はひとえに奴隷のおかげである。
 そんな平和を味わう国民の娯楽となっているのが、王都中央にかまえた闘技場を使って年に1度行われる、御前試合であった。王侯貴族も興奮し魅入る、他流試合である。基本的には、武器も流派も何も問わない。勝者には莫大な賞金も出るし、諸侯の覚えも良くなる為、我こそはと思う有志が毎年沢山集うのだった。
 しかしそんな安穏とした生活に密やかな影が忍び込んでいることは、まだ国の誰も知らなかった。この国の南には、この国を狙う大国・エルアルバが息を潜めている。そして奴隷クグライバル人は、彼らもまた人間なのだから、いつかこの立場を不満に思う日があってもおかしくないのだ。

          ◇

 トーナメント制のこの試合を4回戦も勝ち進むことは、運のみでは難しい。試合前に工作などしたとしても、全試合になど、ほぼ無理である。
 1週間彼を客間に住まわせて、その言動を観察したボーンは、確信した。
 彼には、実力がある。と。
 逃げようともしないガルダンに、ここの奴隷になる覚悟があるのかを聞くために、ボーンは彼を書斎に通した。
 執事に連れられて入室したガルダンは、ここでもまたポカンと口を開けてしまった。屋敷に足を踏み入れてから、驚かないことはない。屋敷の大きさだけでも通りで一番目立っていたと言うのに、今日新たに通された部屋の四方を埋め尽くす本の洪水に、ガルダンは溺れそうな思いがした。
「ここに座れ」
 部屋の真ん中にある机の下から椅子を引っぱり出し、ボーンはその向かいに回った。退室する執事が扉を閉める音を聞きながらいぶかしげな顔をしたが、ガルダンは彫刻の施された艶のある椅子に腰かけると、再び室内を見渡した。
 棚に入りきらなかったらしい本も、いくつか床に山を作っている。本の表紙にはガルダンの見知った文字の形もあり、そうでないものもあった。
「読めるか?」
 ボーンは比較的薄い本を1冊、机の上に置いた。
 読めない、とは言いたくなかった。
「“水と……のこと”」
「何?」
 ボーンは途中ガルダンがゴショゴショと声を小さくした部分を、聞き返した。途端に、ガルダンの顔がぶすくれる。
「この単語が読めないんだな」
 ガルダンが言葉をごまかした部分を、指さした。それに“こと”と言ったのはこの場合、“物語”が正しい。彼はその読み方を知らず、適当に当てはめたのだ。普通に学校に行けば7,8歳で学ぶ文章を読めるのだな、とボーンは思った。しかし、
「読めないんじゃない。忘れたんだ」
 と、ガルダンは腕を組むではないか。
「では本当は知っている、と?」
 頷く、負けず嫌いな少年を微笑ましく思い、ボーンは目を細めた。確証を得た、と思った。少なくとも、彼はやはり生まれついての奴隷ではない。こんな態度は取れないはずだ。
「書く方はどうだ?」
 ボーンは棚から、紙とペンとインクを取りだして来た。ガルダンの表情が硬くなる。差し出されたそれを、ガルダンは受け取らなかった。
「こ、こんな物、使ったことがない。家にある奴なら」
「あの男たちのいる農場か?」
 ガルダンは曖昧に頷いた。目がさまよっている。ボーンは完全に面白がっていた。
「なら、外に出よう。土に指で書いてみろ。何の字が書ける? 自分の名前のつづりを言ってみろ」
 たたみかけられて、ガルダンは怒りで顔を赤くした。だが逆上して暴れたりなどしない所に、救いがある。ボーンは肩を竦めて、机に肘を突いた。
「その場限りの適当な嘘は、すぐボロが出る。1つの嘘は次の嘘を生み出し、しまいに手が付けられなくなる。上手い嘘がつけんなら、正直者になれ」
 覗き込んで来るボーンの顔を見上げた時、ガルダンは自分が観念していることに気付いた。体から余分な力が抜けている。この男には嘘がつけないと言うことが、返って自分の気を楽にさせたらしかった。
「言葉は魔物だ。自分が言ったことには責任を持たんといかん。その覚悟がないなら、何も喋らん方が利口だ」
 ボーンの言わんとする所を察したガルダンは、すぐに椅子から飛び降り、床の空いている所に平伏した。
 思わぬ行動に言った本人の方が驚いたが、ボーンはガルダンのそれを「彼は自分が『自分は奴隷だ』と言ったことの責任を取れと言ったのだ」と解釈したらしいと悟った。そんなつもりで言ったのではなかったのだが、なるほど言われてみれば、そう取れる。ガルダンの勘の良さに、ボーンは満足げな笑みを浮かべた。
「立て」
 ボーンの一言に素直に従ったガルダンの目には、決意があった。
 そのガルダンの目前にボーンは、
「まずは、これを」
 先ほどの本よりさらに薄い、手書きのような小冊子を掲げた。手渡して来るので、ガルダンはパラパラとその本をめくってみた。比較的優しそうな単語が、ずらりと並んでいる。
「全部読み書き出来るようになれ。それが午前の仕事だ。午後は、剣術の訓練。分からないことは、わしや執事のイライフに聞け。召使い長のメリレルでも良い」
 それらの言葉を呑み込むのに、ガルダンはたっぷり数秒を要した。本から目を離し、顔を上げ、つばを飲み込み、瞬きをしてから、
「それが、仕事?」
 小さく、自信のなさそうに呟いた。呟いた自分の声にハッとしてガルダンは再度本をまじまじと眺め、きちんと声を出してボーンに問うた。
「これが仕事?」
「そうだ」
 ボーンの表情は、至って真面目である。
「今日明日中になどと、無茶なことは言わん。時間をかけて、ゆっくり憶えろ。もっと難しい本も読めそうなら、読んで構わん。屋敷のどこへでも、好きに動け」
 完全に、普通の子供扱いである。いや、町で暮らす子供より優雅だろう。この時代に終日読み書きにふけることが出来るなど、国王か貴族の子供かと言った所だ。しかも、剣の練習まで行えるとは。
「文字は誰に教わった?」
「母さんと……」
 うっかり別の者の名前まで言いそうになって、口をつぐんだ。
「母さんと父さんか?」
 ガルダンは反応しなかった。だがボーンはまぁ良い、と片手を挙げるではないか。
「言いたくなったら、そのうちな。上手な嘘でも思い付いたら、言ってくれ」
 と、彼は似合わないウインクをした。
「この本は、あんたが作ったのか?」
「ああ」
 ボーンは少しはにかんだ笑みをした。その中に若干の寂しさのようなものが含まれている気がして、ガルダンはボーンの目を見つめた。
「昔、息子に作った」
 遠い目だった。
 ガルダンは先ほど言いかけた名前を、やはり口に乗せようかと思った。けれど、そのまま黙ってその冊子に目を落とし、ガルダンは今日の言葉ですっかり変わってしまった自分の人生について、思いを巡らせた。





   next

   back

   index