夜明け 2.



 埃っぽい風が、往来する人々の足元を吹き抜けて行く。少しは雨が降ってくれた方が町がうるおって良いのだが、しかし今日に限っては天気が良くて良かったと、そこにいる皆が思ったに違いなかった。何しろ闘技場に、屋根などと言う豪華なものは付いていないのだから。
 その人の群れの中を泳ぐようにして、玄関から外に飛び出した少年のことを、最初誰も気に止めなかった。皆が振り返ったのは、柄の悪そうな男たちが彼のことを呼び止めたからだった。
「待て!」
 群衆にさえぎられて上手く走れなかった為と、体調が万全でなかった為に、ガルダンはあっさり捕らえられてしまったのだった。
「離せ!」
「やっと捕まえたぞ、この野郎」
 厄介事に巻き込まれたくない群衆は彼らからサササと退いたが、試合後の興奮が残っている為か、半数ほどが野次馬の輪を作った。その中からはさっき戦っていた子供だぞと言う声も聞こえて来て、ガルダンは声の方向から顔をそむけた。
 逆に、その声の方向に顔を向けた者もいる。ボーンだ。
「何の騒ぎだ」
 彼は馬から降り人垣を掻き分け、渦中の人間を見てホウと声を上げた。
「どうした小僧」
「ガルダンだ」
「嘘付け、偽名使いやがって!」
 ガルダンを捕らえた男が憎々しげに言い、もう1人の男がガルダンを殴った。ガルダンは声を上げなかった。
 ボーンは2人の男に不快感を持った。
「ほら、来い!」
 とガルダンを引っ張る男の腕を掴んで、ボーンは険しい表情をした。
「彼は負傷している。手荒な真似をするな」
「あんたにゃ関係ねぇ」
「ある。彼とわしは、戦った仲だ」
 思わず2人は、顔を見合わせた。ガルダンを捕らえる機会をうかがって、ずっと玄関先にひそんでいた2人は、このひげ面の男が誰なのか分かっていなかった。だからこの台詞に驚きを隠せなかったのだ。
 兄貴、と1人が小声で呟いた。不安そうな面持ちの子分を一笑に伏して、兄貴分がボーンに向き直る。ひげ面ながらもどこか気品ただよう不可思議なボーンと言う男を、口元に笑みを作ったままの兄貴分が胡散臭げに見上げた。
「旦那、こいつはこれでもご領主様の息子さんでねぇ。気まぐれで農地から逃げ出されたんでさぁ」
「嘘だ。俺は奴隷だ」
 ガルダンはすかさず口をはさみ、兄貴分を睨み上げた。男は嫌な顔でガルダンを見たが、ボーンの視線に気付いてまた笑みを顔に貼り付けた。
 ボーンは腕を組みひげを撫でていたが、
「あい分かった」
 と言うとすかさず、男の虚を突いてガルダンを取り上げてしまった。面食らった男たちと、ガルダンに向けても、ボーンは言った。
「この者はわしが預かる。領主とやらがわしを訪ね、自分のことを“奴隷だ”とまで言わしめる彼の処遇をわしに弁明出来るなら、お返しいたそう。でなくば、2度と現れるな」
 そう言った後ボーン・マハだと名乗ったこの騎士に、畏怖しない者は殆どない。地に膝を突いて平伏しかねない2人にボーンは数枚の金貨を投げて、立ち去るよう告げた。
 この時代、騎士の立場はまだかなり優遇されているのだ。諸侯らに仕える程度の騎士でも領地と城を持つことが可能なほどなのだ、その辺で農園を繰り広げる程度の領主なら、まず太刀打ち出来ない。
 中でもボーン・マハと言えば、王都の大通りに屋敷を構え郊外に2つの城を持つ、王直属の富豪だ。腕の憶えも前述通り、世間にまかり通っている。今回優勝すれば、さらに名は広まることだろう。試合はまだ、数日かかるのだ。
 たかが少年1人、そのボーンと一戦交えてまで連れ帰る気はなかったらしい。2人はしっかりと金貨を拾ってから、足早に去った。
 その一連の出来事を不愉快に思っているのは、他ならぬ当人、ガルダンだった。
 野次馬も退いたのに、自分の馬に手をかけるボーンの背をじっと睨んだきり、ガルダンは動かない。
「どうした? 来い」
「嫌だ」
 40歳くらいかと思われるボーンの目尻が、くしゃりとしわを作った。
「はっきり言うな」
「あいつらも嫌いだけど、金を出すあんたも嫌いだ」
 笑みをたたえるひげ面を嫌そうに見上げながら、ガルダンは吐き捨てた。
 短い言葉では分からなかったが、今度の台詞のイントネーションに方言が含まれていることを、ボーンは感じた。地方の言葉づかいだ。先ほどの男たちにはなかった。
 だが奴隷として使う種族、クグライバル人とは体つきも髪の色も違う。さてどちらが嘘つきだろうとボーンは先の男の言葉を思い出したが、何となく彼らが領主を連れてボーンの元に来ることはないだろう予感がした。
 しかし本当に彼らが訪ねて来ても、この子は帰りたがらんだろうな。生まれ故郷に帰りたくて試合に参加し、旅費を稼ごうとした、とも考えられるかも知れない。
 そんな思いがボーンに、
「では好きにしろ」
 と言わせた。
「え」
 馬に乗るボーンの態度に、今度はガルダンが慌てた。まさか本当に走り去ろうとするとは、思わなかったのだ。
「おっさん」
「ボーン・マハだ」
「ただの哀れみかよ」
「いいや。出来れば、一緒に来て欲しいがな」
 しかしお前が嫌だと言うなら、無理強いはしない。そう言う大人をついぞ見たことのなかったガルダンは、信じられない言葉に目を丸くした。奴隷だと言ったのに、このような、人間に対して使う言葉を使う男に出会ったのは、初めてだったのだ。
 しかも、
「俺の名前も聞かずに、信用するのかよ?」
 偽名の、素性の知れない子供だ。何か企んでいるのかとも一瞬思ったが、しかしこんな偶然の重なった結果手に入った子供で、何をするとも考えられない。
「“ガルダン”だろう?」
 ひげ面には、屈託のない笑みが浮かんでいる。男たちとの関係すらも、聞く気がないらしい。
 ガルダンはボーンに興味を持った為と、今ここで彼と別れて、もし先ほどの男らに捕まるはめになっても面白くないと思った為、ついて行くことを決めた。
 彼が肩を竦めたのを了承の合図と見て、ボーンは馬の腹を軽く蹴った。
「年齢はいくつだ?」
「11歳」





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