「ガルダン」


  夜明け 1.



 理性は“逃げろ”と言っていた。
 だが逃げる場所など、どこにもない。
 逃げようとは思わなかった。
 背中を見せる気はない。
 力の差は明らかだった。むしろ、まだ死んでいない方が奇跡と言えるほど。
 少しでも隙を見せれば、相手は容赦なく斬りつけて来た。試合中に斬られて死ぬのは、ルールのうちだ。実際死んだ選手もいる。
 だが寸前で避けるのもおっくうなほど、体が重くなって来ていた。剣を構えなおすが、もう足に力が入らない。時間の問題だった。
 相手はまだまだ元気なもので、何が面白いのか、屈強な肉体の上に乗ったひげ面が笑みを作ったままだ。
 そもそも短剣と言って良いほどの剣1本で、斧なぞ相手にまともに戦える訳がない。剣対斧では速さだけが秀でているところとなるが、ところがこの男、速いのだ。筋力だけの鈍重な外見に似合わない腕前は、さすが国1番か2番かささやかれているだけのことはあった。顔の大きさの倍はあるかと思われる斧が、まるでナイフを振り回しているように見える、と言うのは、言いすぎではあるまい。
 すでに勝負は、ついていた。
「まいったと言やあ、死ななくて済むのに。強情な奴だな」
 ひげ面の戦士ボーンは、斧を下ろした。むろん、そんな自分の態度を隙と見て彼が斬りかかって来るだろうことは予知していて、ガルダンの剣は呆気なく叩き落とされてしまったのだった。
 歯を食いしばって、殴ろうとする。ボーンは半ば呆れ顔になって、ガルダンが振り上げた拳を掴んだ。ガルダンはやっきになるが、いくつかの怪我と疲れのせいで力が入らず、ボーンはびくともしない。
「離せ!」
「もう言え。まいっただろう?」
「いいや」
 答えるや否や、ガルダンはボーンの手にぶらさがり、思い切り彼の腹を蹴飛ばそうと跳ねた。だがそれすらも彼には読まれていて、ガルダンの足は宙を蹴って終わったのだった。
「サルみたいな奴だな」
 次の瞬間、ふいにボーンの手が離れた。体勢を直せなかったガルダンは、ぶざまに尻餅をつくはめになってしまった。
 真っ赤になった彼の耳に、ひそひそと話す誰かの声が入って来た。
「何であんな子供が、ここまで勝ち抜けたんだ?」
「子供じゃない!」
 ガルダンは思わず、群衆に向かって叫んだ。だが闘技場をぐるりと取り巻く群れのざわめきは、収まらない。お喋りは一層ふくれ上がり、波がうねるかのようにひとかたまりに聞こえた。固まりとなって、ガルダンをつぶそうとしているかのように押し寄せる。
「小僧」
 ボーンがすいと彼の前に立った。
 ハッとして顔を上げた。すぐ睨んでみたが、もう遅い。
 自分が戦いの最中であったこと、ボーンが目の前にいることを、一瞬と言えど忘れてしまったのだ。これが普通の戦闘であれば、ガルダンはとうに死んでいる。
 しかしガルダンは、
「小僧じゃない!」
 と立ち上がって拳を構えるではないか。とうとうボーンは堪えきれなくなり、腹を抱えて笑った。
「何がおかしい!」
「じゃあ、名を教えろ。名で呼んでやる」
「……ガルダンだ」
 名を聞きながら近づいて来たボーンの、次の動きは素早かった。当て身を食らい気を失う間際にガルダンは、彼が「良い名だ」と言ったような気がしたが、聞き返しは出来ず、深い闇に落ちた。






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