8.

 ワシュレイは、酔いつぶれた風情でベッドに沈みこんでしまっていた。
「あーあもう、これのどこが王子様よ」
 ジェミネはボヤきながら、ワシュレイの靴を脱がせてやった。半分空いた窓から、初夏の風が吹きこんでくる。ほてった体のジェミネにはちょうど良かったし、ワシュレイも飲んでいるから……とは思ったが、ジェミネは窓の隙間をほんの少しだけにした。
「うー……」
 王子様らしくないうめき声である。
 っていうか、ぶっちゃけ、ただの青年だ。
 たった一日で恋に落ちてしまった、愛しい青年だ。

 壊れやすいように見えて、結構強い。
 彼がかいま見せた不調も自分の考えすぎなのかも知れない。
「大丈夫?」
 ジェミネはベッドの端に座って、ワシュレイの柔らかな金髪を撫でた。するとワシュレイはジェミネの腕を掴んで仰向けになり、ジェミネを引っぱった。体勢を崩した彼女がワシュレイの胸に落ちる。膝を立てそうになったジェミネはそれがエルボーだと気づいて、慌てて万歳をした。ワシュレイの胸に体当たりになった。
「ぐえ」
「止めてよ、カエルみたいな声出して」
「カエルの王子様」
「笑えない」
 ジェミネは笑いながら、ワシュレイの隣りに転がった。

 酔ったワシュレイの声が、自分の経緯を紡ぎだした。
「朝、パークを散歩してたんだ」と。
 お付きが一人いるんだけど、彼に身代わりを頼んで公園のトイレで服を交換してSPをごまかして。今日のあのレストランに絶対に戻るから、それまで一日伏せっていることにしてって頼んだんだけど、失敗しちゃった。映画みたいには上手く行かないもんだよねぇ。
 そう言ってワシュレイは、くすくすと笑ったのだった。
「お店で服を買って着がえてね。それから僕は、天使を見つけたんだ」
 かゆい。
 この展開で天使などと登場したら、それが誰を指して言ってんだか、いくらジェミネでもさすがに分かる。ジェミネは「止めてよう」と手を振ってワシュレイのストーリーを中断した。
「天使っていうのは、あんたみたいな人をいうのよ。分かる? プラチナブロンドと翡翠の瞳に、白い肌。今日、大聖堂を見たでしょ、む」
 矢継ぎばやにしゃべるジェミネの口がふさがれてしまった。今日、何度目のキスになることだか。

「天使が嫌なら、聖母様でも良いよ。君、通りで転んで怪我した少年に手を貸してたよね? でも、その手を拒まれた。拒まれたのに君は笑ったんだ。その瞬間に、僕に何かが生まれた。それから君をずっと追ってた。目が離せなかった。……ごめんね、つけ回したりして」
 つけ回されたことよりも、ワシュレイの中にも何かが生まれた瞬間があったのだと思った方が、驚きだった。自分が感じたものと同じらしいという直感が働いた。
 でもジェミネは、そのことを言わなかった。口に出したら消えてしまいそうな感覚の気がして。

「色んな君が全部、魅力的だった。通りで出会ったおじさんに挨拶してるのも、危ない自転車を怒鳴る君も、雑貨店のウィンドウを眺める横顔も素敵だったんだ。書店に入った君がしようとしていたことは、むしろ僕にはチャンスだと思えた。ここで君を捕まえなきゃ、きっともう君を捕まえられないと思った」

 黙って見つめていたら、ワシュレイが少し身を起こした。金の髪が自分の頬にさらりと落ちてくる。のしかかってくるワシュレイに、ジェミネは身を任せた。
 ワシュレイなら、良い。
 そう思った。

 けれど彼はしばらくジェミネを抱きしめていたかと思ったら、そのまま、また身を離してしまった。隣りにごろんと横になり、けれど、ジェミネを掴んでいる手は離さずに……彼は、ため息をついた。
「ごめん、僕……。こんなにジェミネを口説いておきながら肝心のことができないなんて、情けなくて仕方がないや」
「え」
 かなり露骨な言い方に、間違えようのない結論がついている。完全に100%それを確認するのは失礼すぎるし、かと言ってここまで盛り上がっておいたジェミネは何を言えば良いのか分からなくなってしまった。

 このままハッピーエンドにはならないだろうとは思ったけれど、真夏の夜の夢もないんじゃ寂しいです神様。


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