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7. アンネとは、ベルスの母親である。 アパートを経営しているので生活に余裕があり、おかげでベルスもバイクを乗り回せる。女手一つでベルス以下5人の兄弟を育てあげた肝っ玉母さんで、困った時には頼りになるストリートの母でもある。 ジェミネとワシュレイはそんなアンネを尋ねて、かくまってもらうことになった。アンネはアパートの空き部屋を貸してくれた。そこはジェミネもよく利用させてもらう、仲間たちのたまり場でもあった。 「安心おし。一晩、ゆっくり休むと良いよ」 恰幅の良いアンネは、おおらかな笑みで2人を迎えいれてくれた。ジャンクストリート。元より、得体の知れない者も集まる、ごった煮のような街だ。 空き部屋といっても、いつも使っている部屋なので埃も少なく綺麗な部屋である。 それでも王子様に似つかわしい部屋ではない。窓際のソファに落ちついて、外を眺めるワシュレイを見ていたら、ジェミネは急に自分がとんでもないことをしてしまったという後悔に襲われた。 ここに来たのは、間違いだった。 ホテルに行くべきだったのだ。 もみくちゃにされた自分の格好も何やらみじめで、ジェミネはいい加減このドレスも脱がなければなと現実にかえった。もう夢は終わっている。今ここにあるのは、夢の残骸のようなものだ。 「着替えなきゃ……。また明日来るわ、殿下」 そう言ってジェミネは、何とかおどけた笑顔を見せてワシュレイに挨拶をした。ぎこちなくドレスを上げる仕草に、ワシュレイが「どうしてワシュレイって呼ばないんだい」と立ちあがった。 「行かないで」 夢だ。 夢の残骸だ。 そう思うのに、頭のどこかはしごく冷静に「のぼせ上がるなジェミネ」と自分を叱りつけているのに、体が思うように動いてくれなかった。自分を包む繊細な肢体を逆に包みかえして、あまつさえ、しっかりと抱きしめて……動けなかった。 お互いがお互いを絡めとるようにして、離れられない。 もっと近寄りたくて、もっと一緒になりたくて、精一杯、体をくっつける。隙間がないほどにまで固く抱きしめあった2人は、いつしか唇を重ねていた。触れるようなキスでなく、噛みつくような乱暴さでなく、求め、自分の中に相手を取りこみたいと欲しがるような、それでいて愛しむような。 2人は息もできないほど、呼吸を忘れるほどに互いをむさぼった。 こんなに知らない人なのに、とジェミネは心のどこかでそう思う。 相手もまた自分のことを何も知らない。 なのに、生涯でこの人だけだと思えるほどに、ワシュレイのことしか考えられない。他に誰も見えない。ワシュレイもまた自分しか見ていない。 目を開いて彼の顔を覗きこむと、ワシュレイもその視線に気づいて目を開けた。名残惜しそうに唇が離れる。 見つめあう互いの目に互いしか映っていないのを確認して安心したのか、ワシュレイはまたジェミネを抱きすくめ、唇をまさぐった。ジェミネもそれに答えて彼の下唇をちょっと舐める。 そんな2人がベッドに移動しようとしたその時、扉をノックする音が響いたのだった。 「俺だよ。ベルスだ」 「ベルス! 無事だったのね」 心臓が跳ねあがったのを隠すようにして、ジェミネは慌てて扉を開けて、大袈裟にベルスをいたわった。ベルスはヨレヨレのタキシードのままだった。両手に抱えていた2つの紙袋を落としそうになり、「おっとと」とおどけている。 「お坊ちゃんには食べつけないかも知れないけどな。俺たちのディナーだよ」 紙袋からは、ハンバーガーやポテトの匂いが立ちのぼっていた。まだ暖かいらしい。その時になって2人は、何も食べていないことに気づいたのだった。 「あと、これ。弟の服だけど、着替え。その格好じゃ寝れんだろ」 「気が利くわねぇ」 「おふくろだ」 「やっぱり」 ドツかれた。 ワシュレイが笑いながら「食べようよ」と2人を即した。 「お腹がペコペコだよ」 王子様が大袈裟にお腹を押さえてみせた。ジェミネもはしゃいで、 「コーラも入ってる? ハンバーガーにはコーラよ」 と紙袋をひったくるようにして部屋に戻る。 ベルスは目を細めたが、何も言わないで部屋に入った。 「しかし惜しかったよなぁ。二度と行けないぜ、あんなレストラン」 「でもベルス、ナイフとフォークの使い方も知らないじゃん。オシャカになって良かったよう」 ジェミネがぼやくベルスを慰めた。ジャンクフードのパーティはこの上なく楽しかった。途中、交互に風呂に入りながら、それでも宴会は続いた。誰も明日のことは話さなかったし、昨日のことも話さなかった。 大事なのは、今日のこの瞬間だけだ。 「大体さぁ、ジェミネって本当に可愛いのに、自分でそれを分かってないところがまた可愛いよね」 ワシュレイがそんなことを言いだしたのは、ベルスがビールを買ってきやがったせいだ。王子様はアルコールに弱かったらしい。 ジェミネは、レストランをたつ前にワシュレイが見せた不調が気になったが、そんなジェミネの視線にワシュレイは微笑んだだけだった。大丈夫という意味で。 ひとしきり騒いで夜も更けた頃、ベルスが部屋を出た。殿下はベッドに撃沈している。ジェミネだけが扉に立って、ベルスを見送った。 「下にいるからさ、何かあれば呼べよ」 「あ、ベルス。私ももう……」 「良いって。分かってるから」 「え?」 扉越しにベルスを見送って立ちつくすジェミネに、ベルスは苦笑した。 「俺は金持ち坊ちゃんを、頃合いを見計らって誘拐でもすっかぁと思ってたんだ。けど、お前に負けたんだよ」 「どういう意味よ。分からないわ」 ベルスはジェミネの額を指で弾いた。 「いたっ。何すんのよ」 「分かられたら俺の立場がねぇからな」 もっと分からない。ことにしておこう。 廊下を歩いていくベルスは、背中越しに手を振った。 「ラブストーリーに出てくるライバルは、お人好しって相場が決まってんだよ」 next back index home |