4.

 清潔なポロシャツと白いスラックスを着こんだ坊ちゃんと、高級ブティックのワンピースにすれた顔を乗せている、金メッキのお嬢さん。それに汚いGパンTシャツで一緒に歩く、ヤンキー兄ちゃん。
 どう考えてもそれは変なメンバーで、ジェミネは街を行く人々が半径2mは退いているような気がした。

 夕食はネクタイ着用だからと気軽に言って店に入り、ぽんと着替えてしまう辺りも恐ろしい。
 そしてワシュレイのカードを確かめた店長の顔色が変わる辺りも、なお恐ろしい。ついでに言えば、揉み手するその小指を立てるの止めろオッサン。

 ジェミネは着替える男2人を待つ間、呆然とするしかなかった。店内に設けられた本皮のソファに座ると、尻が埋まった。まっすぐちょこんと、なんて座れるわけがない。ジェミネは金メッキを全部はがし落とす勢いで足を投げだし、だらんと寝そべって退屈な時間を過ごしたのだった。
 チップスでも買っておけば良かったかと思ったのだが、夕食の楽しみが半減するのも、もったいない。ああ、でもせめてガムでもあれば良かった。

 良い感じにお腹も減っている。自分の感覚で言えばマクディナルド辺りでビックチーズハンバーガーにコーラと行きたいところなのだが、今日はヤツがご主人様だ。
 ベルスも、あまりにぶっ飛びすぎているスポンサーの金銭感覚に目を回しているようで、今は大人しい。ジェミネはこのまま何もなく終わってくれよ、と、店の窓から見える夕日に祈るばかりだった。

 するとそこへ、同じく仕立て待ちで待機している店長のオッサンが近寄って来た。脂ぎった顔にカマっぽい笑みを浮かべて、目はジェミネを値踏みしているような嫌らしい目で……。
 嫌悪感を持ったジェミネは、さりげなく体を起こして足を揃えた。
「何の用?」
 オッサンはジェミネのはすっぱな口調に、目を丸くしていた。だらしない格好だったのに、お嬢様だとでも思っていたのだろうか。ジェミネはオッサンの審美眼のなさに思わず笑ってしまった。
 その笑みに釣られたのだろう、オッサンもにしゃあっと笑った。
「おとぼけにならないで下さいよ。お忍びであることは承知致しておりますから」
「は?」
「アルハイメン王朝ワシュレイ皇太子様でございましょう。先日のテレビで拝見したばかりでございます」
 世界が揺れたような気がした。
 ジェミネは目眩で額を押さえた。
 あのビョーキ坊ちゃんが本当に王子様だった?!
 クレイジーな一日だとは思っていたが、ここまで見事にぶっ飛んでしまうと、人間は何のリアクションもできなくなるらしい。ジェミネはうつむいたまま固まった。

 どどどどどどどうするんだ私、落ち着け落ち着け落ち着け、何を言えば良いんだ? いや、何も言わなくて良いのか、っていうかそれを私に確認して、このオッサンはどうしたんだ、何を考えて──……!

「……何をお望みですの?」
 あ、私ハリウッド女優になれるかも。と、ジェミネは一瞬、馬鹿なことを考えた。
 切りかえされた余裕のある微笑みに、オッサンは明らかにひるんだ。ただの小娘ではないと見てもらえたようである。
 オッサンは低い背をさらに縮めて、目尻を垂れ下げ、声をひそめた。
「大したことではございません。ワシュレイ殿下とのお写真を撮らせて頂きたいだけなのです。あの、できればサインも頂きたいのですが。店内に飾りたく……」
 お断りします。と、喉まで出かかってからジェミネはとまどった。
 そんなことを決める権限は自分にない。
 けれどワシュレイは(本当か嘘か知らないが)追われていると言ったし、お忍びだと言った。でもでも、そんなワシュレイを追うような人なんて見当たらないし、今までずっと普通に街を歩いてきたし……。

 決めかねたジェミネは立ちあがって2階に上がった。廊下に向かい合う部屋の一つをノックする。個別で、仕立ててもらった服を合わせていくのだ。一発でワシュレイにヒットした。
 手早く説明したジェミネに、ワシュレイが扉を開けて応答した。いいよ、と。
「そんなの断ってゴネられるよりは、写真一枚で済む方が楽だからね。出たら写してもらうよ。あ、ジェミネやベルスも、皆で撮ってもらおう」
 黒いタキシードに身を包んだワシュレイはさらに男前を上げており、それを見たジェミネの目に星が飛んでしまった。プラチナブロンドと黒の調和が美しすぎる。それをいろどる翡翠の瞳が、綺麗すぎる。
 その姿の前には、付け焼き刃な格好をしている自分が恥ずかしくてならなかった。ジェミネは顔をそむけて、
「簡単な話ねぇ」
 と吐きすてた。
 この王子様はもしかしたら、ベルスのこともそう思って同行を許したのかも知れない、などとと思いつつ。それでなかったら、自分とだけ付き合ってくれていたのかも知れない。
 その考えを振りきるように、ジェミネはワシュレイを睨めあげた。
「お忍びなんでしょう? 写真なんて撮られて良いの?」
 だがワシュレイはあいかわらずのアルカイックスマイルで、まったく動じていない。
「良いよ。もうすぐ終演だから」
 ワシュレイは詩的な表現で「夜」を強調した後、突然、仕立て師を部屋に残して扉を閉め、向かいの壁にジェミネを押しつけた。
「な?!」
 叫びそうになったジェミネの唇は、塞がれてしまった。顎に手をかけられて、抱きしめられて──。

 ファーストキスではない。
 けれど恋人などというものを作らずにバイト三昧だったジェミネにとって、それはとても久しぶりに味わう感覚だった。
 久しぶりの。けれど、初めて感じる感触だった。震えるぎこちない性急なファーストキスと違い、もっと穏やかで優しくて柔らかで……切ないキスだった。
「ん」
 堪能してしまっている自分に気づいて、ジェミネは声を上げてワシュレイから離れた。精一杯、睨みつける。
「何のつもりよ」
「何のつもりだろう?」
 ワシュレイは寂しそうに笑った。
「ジェミネ、一目惚れって信じる?」
 それが答のつもりらしい。ジェミネはワシュレイを押しもどして、小声で、しかし鋭く、
「信じないわ」
 と言って階段を駆けおりた。

 写真に写った自分の顔がどんなだったのか、ジェミネは見たくもないと思った。


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