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11. 足跡が、雪の上に点々とついていく。 もう季節はすっかり冬になっていた。 あれから半年。早いものだ……と思うジェミネの脳裏から、天使の笑顔はまだ消えていない。 父親の稼ぎで生活の安定したジェミネは、メキメキと学力を伸ばしていた。純粋に学問が面白いと思ったためもある。だがその機動力は、やっぱりワシュレイの病気が原因だったと言って良い。 あの時ジェミネは自分の力のなさを痛感した。今さら医者になるなどというのは荒唐無稽な話だったが、ジェミネは本気で何かになりたいと望むようになった。何かを得たいと思った。 自分が、知識もなく身のこなしも知らない、狭い世界の中で自分を悲観している子供にすぎなかったことを知ったのだ。 せめてワシュレイが話す言葉の意味ぐらいは、分かるようになりたい。 ワシュレイの着ていた服がどういうものなのかを知りたい。 ワシュレイの隣にいて恥ずかしくないような歩き方をしたい。 ワシュレイの触れてくれた唇に乗せるリップぐらい、上手に引けるようになりたい。 ジェミネは勉強にいそしみ、日曜日にはチャリティーにかよう日々を送った。病棟で闘う人たちのすべてに、ジェミネはエールを送り続けた。 そんな第七王子様の手術は、無事成功したらしい。 というのは、驚くほど小さな記事で新聞に出ていたものだ。 入院後しばらくしてから、ワシュレイの手術は行われたらしい。らしいというのも、そう新聞に書いてあるのを読んだだけだったからだ。何度、大使館に電話をかけようかと思ったか知れない。しかしそのたびにジェミネは自分のその行動を、あの金をくれた男に「気が変わった」と思われるのが嫌だったので、絶対に受話器を取らなかった。 電話をかけたくなった夜は、自分の前から電話を追いはらって、ベッドに丸まって彼の寝顔だけを思い続けた。 王子はほどなくして、国に帰った。と、これまた小さな記事でポツンと書いてあった。 そうして半年が経過したのだ。 急に変貌したジェミネとベルスは、最初「あの2人付き合ってるぜ」と噂されたものだったのだが、やがて皆それが間違いだったと気が付いた。 半年もたつ頃にはベルスが一方的にジェミネに付きまとっている図が普通になっていた。 「なぁ、まだ駄目かよー。ちゅーの一個ぐらい、くれたって良いじゃんかよ」 「それ貰って嬉しい?」 ジェミネの冷静なツッコミに、ベルスは沈黙するしかない。いつかは彼の気持ちに応えたいと思う自分もいるが、それはジェミネにとって、まだ、今ではない。 そうした日々を送る、ある日の夕方、学校から帰ったジェミネが宿題をしていた時に、それはやってきたのだった。 巨大な荷物が。 「はぁ?」 両手で抱えきれるかどうかという大きな段ボール箱だったが、それを持ってきた配達員は、驚くほど軽そうにそれを扱っていた。男は玄関先にそれをそっと降ろして、しわがれた声で「配達でぇす」と言った。 配達員は風邪を引いているのか、マスクをしている。目深にかぶっているその帽子がどこの配達会社のものなのかが分からなくて、ジェミネは怪訝な顔をした。 すると、まだ若そうなその配達員は、 「すみません、荷物の確認をしてもらって良いですかね?」 奇妙なことを言った。 手を出しあぐねているジェミネの代わりに、その男が箱を開けてしまった。人一人が入れそうなほどに大きなその箱から出てきたのは……。 「ウェディング……ドレス?」 まぶしく輝く純白のドレスが、玄関いっぱいに咲き乱れたのだ。 大きく胸が開いていて、そこにたっぷりとレースを施してあるデザインは、いつかジェミネが寝物語にワシュレイに語って聞かせたドレスそのままだった。ジェミネはその時に言った自分のセリフを、憶えている。 長いトレーンと大きなスカート。スカートに散らばるビーズは真珠にしてねと冗談を言って笑った。言ったそのままを形にしたものが、ここにある。 女が一生に一度だけ、お姫様になれるドレス。 ジェミネが顔を上げると、配達員がジェミネを見おろしていた。翡翠の目だけで分かる、優しい微笑み。帽子の隙間、耳の前にだけ、ほんのわずかに短い金髪が見える。 ジェミネは震える手で彼のマスクと帽子を外した。 髪はつんつんに短くなっていたが、その笑顔は変わらない。むしろ以前に見た時よりも血色が良いような気がする。少し頬もふっくらとしただろうか。手術の成功を物語っていた。 「頭を丸ぞりにしたからね。生えてくれて良かったよ」 ワシュレイ殿下は、おどけて言った。 「半年間、リハビリや手続きで忙しかったんだ。けど……もう忘れられたかと思ってた」 ワシュレイの口調は、ジェミネが彼のことを忘れていないことを悟っている。 「忘れちゃいたかったわよ!」 叫んだと同時に、堰を切ったようにジェミネの両目から涙が流れた。 その髪も肌も、綺麗な瞳も。天使の笑顔も。 ワシュレイは指を伸ばし、ジェミネの頬をぬぐった。 「来週、僕の誕生日なんだ。パートナーを探してるんだけど」 ジェミネはもう両手で口を押さえて涙を堪えるのに精一杯で、出てくるのは嗚咽ばかりで、何も話せなくなった。ジェミネは必死で首を縦に振った。 ワシュレイはドレスを両手に持ったままの状態で「良かった」と笑った。 「半年の間にプロポーションが変わってたら、どうしようかと思ったんだ」 「失礼ね!」 思わずジェミネは吹きだした。 「腰は詰めてもらわないと、ぶかぶかのはずよ」 「本当に?」 そう言うとワシュレイは箱にドレスを戻して横にどけて、ジェミネにぐわしと抱きついた。 「あ、細い」 「ワシュレイはたくましくなったわ」 ジェミネもつま先立ちになりながら、彼の首にしがみついた。 固く抱きあったまま、ワシュレイがジェミネの耳元でふと呟いた。 「まだ受けとり貰ってないや」 どこまでもトボけた王子様である。 涙に濡れたままジェミネは笑顔になり、 「受けとり印よ」 と言ってワシュレイにキスをした。 ◇ ある洋服店の店長は、必ず「アルハイメンという国を知ってますか?」と客に尋ねるらしい。 大抵の客は知らないと答えるのだが、時々その国を知っている者に出会うと、彼は揉み手の小指を立ててニコニコと微笑む。 「あちらをご覧下さい」 彼が指さす先には、額に入った3枚の写真が飾ってある。一つは優雅な笑顔で、この店長と共に立つ少年の写真。その少年が、3人の立ち姿では友達のような顔をして満面の笑みになっている。さらに隣にはそれを拡大した写真だ。拡大された方には3人のうち2人しかいない。その少年と、中央の少女。 隣りに立つ少女の顔はどこか怒ったような、それでいてはにかんでいる、見る者の笑みを誘う表情をしていた。 店長は客がその写真を堪能した頃を見計らって、こう言うのだった。 「第七皇太子ご夫妻が、初めて一緒にお撮りになった写真なのですよ」 fin
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