Act 6 (暴挙)
2.
1限目のチャイムが鳴るまでは、まだ間があった。美海は鞄を持ったまま、玄関の下駄箱の前に立っていた。
のそりのそりと靴を脱ぐふりをしながら、彼女は自分のスリッパを出しかけた状態で止まっている。
校庭の門を見る。
腕時計と玄関の大きな時計を見比べても、あと何分もないのは同じだった。美海は、もしかして今日は欠席か、と思い、焦った。
「早く教室に戻りなさい」
「あ、はい」
通り過ぎる教師が、美海に声をかけていった。美海は慌てて履き替えるふりをしたが、それでも彼女は靴を脱がず、スリッパをボックスから出しただけだった。教師が行ってしまい、誰も通らないことを確認すると、彼女は再びボックスにスリッパを戻して、校庭を見た。
「あ」
走って来る人間が2・3人。遅刻組の中に、前川隆顕はいた。
「あいかわらず、遅いねぇ」
「あれ? 何なの、お前」
美海はさり気なく、苦笑しながら額に手を当てた。
「風邪?」
「無理して来たら、悪化しちゃったみたい」
「馬鹿だな」
隆顕は靴を脱ぎながら、
「早く寝ろよ」
と、美海を見た。美海ははにかみながら、少し首を傾げた。
隆顕はふと、昨日までの彼女と様子が違う様に感じた。が、どこがどうとは分からない。一瞬やっと彼女も自分になびいて来たのかなどとも考えたが、風邪のためと思う方が信憑性が高い。
「じゃあね」
「ああ」
不可思議に思いながらも、2人はお互いに背を向けた。隆顕は、ふと振り向きたくなった。彼女が消えてしまっているのでは、と不安になった。
「前川君」
先に振り向いたのは、美海だった。何かしら煮え切らないものを感じつつ、隆顕も肩越しに美海に振り返った。
「前川君て、どこの駅から乗ってくるの?」
「え。“鳥の橋”だけど」
「あ、だからなのか」
「何が?」
「いつも遅刻するから、遠いんだろうと思って」
「まあな、」
7時に起きれば間に合うけど、と言いかけて、隆顕は口を閉じた。自慢にならない。
美海は微笑みながら、玄関を出て行った。
その後ろ姿を眺めていた隆顕だったが、ふいに気付いて教室に駆け込むのだった。
「あれ?」
と言う声に隆顕は立ち止まった。
「何だ?」
「ううん。美海、休みかなと思って」
厚子である。
「え。こっちに来なかったのか?」
てっきり早退を誰かに告げてから帰宅したものと思っていたので、隆顕は首を傾げた。
玄関先で、今日は帰ろうと思ったのなら、もっと早々に帰っていても良いはずではなかろうか。
あの時美海は、ふと気付いたように彼の家の駅を尋ねて行った。
いつもと様子が違った彼女。
今日の美海には、最近なかった明るさと穏やかさがあった。代わりに、昨日までの寂しさが消えていたのだ。
この間、美海の兄らしき人物を見たのは、自分の家の近所だった。
「まさか」
隆顕は呟き、口を押さえた。奇妙な予感が、彼の心に渦巻いた。
「どしたの。こっちに来なかったかって。美海、来てたの?」
「風邪だっつって、さっき帰った」
そう言った隆顕の頭上で、チャイムが鳴った。はじかれたように彼は顔を上げ、鞄を持ち直した。
「俺も風邪」
突然隆顕は、授業の準備にどよめく同級生たちの間をすり抜けて、前の出入口に向かいだした。
「え?!」
つられて、厚子も立ち上がる。
厚子は隆顕の表情に、何かあったらしい事を悟った。慌てて鞄の中から財布だけ取り出すと、
「あたし、保健室に行ったって言っといて!」
と隣りの級友に告げて、教室の後ろに走ったのだった。
隆顕は、前から出ようとしたため、教師とぶつかっていた。
「こら、何立ってるんだ」
「すみません、先生。俺、早退します」
「何ぃ?」
突然言われて理解しかねている教師は、出入口に立ったまま動かない。焦る隆顕の目の前、教師の後ろを、厚子がひゅんと横切っていった。要領勝ちである。
「あーっ」
「訳分からんことを言っとらんと。早く席に着け!」
「すんません、本当に早退させて下さい、気分悪いんで!」
教師を押しのけて逃げるように走り去る隆顕の背に、教師が、
「どこがだぁ!」
と怒鳴りつけた。
誰かが騒がしい教室の中で、駆け落ちだとはやし立てていた。
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