Act 2 (分析)
2.
「美海ちゃん!」
買い物袋を下げた美海は、呼ばれた方向を見て、目を少し細めた。千鶴とは、久しぶりに会った気がした。福山千鶴。六郎の研究所に勤める、美海の姉のような存在だ。
以前、恋人の伊藤博也(と共に夕食に誘ってくれたことがある。美海が、二人はまだ結婚しないのかと言ってからかったのが、遠い日のようだった。
「久しぶり。千鶴さん」
「あら、今日は私があげたコロンの香りがするわ。そうか、君達学生には休日なんだものね」
肩を竦める千鶴に美海は笑ったが、夏休みだからコロンをつけているのでなく、洵が旅行から帰って来る日だからだった。買い物袋にはそのための、いつもより少しだけ豪勢な食材が詰め込まれていた。
そんな彼女の気を知らず、千鶴は、今度こそ夕食に行こうと切り出した。夏バテだと思ったらしい。
「だって美海、そんなに痩せて。何も食べてないみたいに見えるんだもの」
先ほど千鶴が彼女の名をことさらに大きく呼んだのも、懐かしかったからでなく、驚きから出たものだった。
「仕事が終わったら迎えに行くわ。今日は大丈夫でしょう? 前回駄目だったから。ね?」
美海は、“前回”夕食の申し出と共に「私の妹にならない?」と言う彼女の冗談のような申し出を、ボンヤリと思い出した。
「でも今日は、研修から兄が帰って来るので」
昨日までなら良かったんですが、と言いかけて、止めた。ゆるく首を振る。
先月の私とは、もう違うのだ。千鶴さんも私の正体を知っていれば、こんな風に話せやしないはずだ。ましてや、養女など。 そんな思いがあって、美海は知らず知らず、表情に影を落とした。
「でも洵君は帰ってくるの、遅いでしょ? 今日は大杉教授も学会で戻らないんだから」
千鶴は、美海が手にしている買い物袋にそっと手をかけながら、
「1人の食事は寂しいわ。私はね、美海、あなたさえ良ければ、側に付いていたいのよ」
と、暮らす事をほのめかす。千鶴は研究所内でも長く勤めている方で、一緒に遊んだり、泊まりに行くことすらあった。恋人の博也も美海に良くしてくれる。祖父よりよっぽど気を許している存在であることは確かだったが、暮らすとなると考えてしまう。
買い物袋をゆっくりと自分の方に引きながら千鶴は、美海を見たまま言葉を待っている。
美海は千鶴が言った事をやっと飲み込んで、そこに違和感を感じた。
「なぜ、ですか?」
美海はやっとそれだけ言うと、言葉を続けるため息を吸った。
「どうして千鶴さん、私を養女にしたがるの? どうして今日、お兄ちゃんが遅いって知ってるんですか? 私は、何も知らない」
買い物袋を持とうとした千鶴の手が止まった。美海は手を引いた。ガサリと袋が音を立てて、元の、美海の手の中に収まった。その音に、千鶴ははっとして我に返った。
「どうしてって。それは、教授に伺って、」
言いかけたが、それが下手な嘘と自分でも分かるほど露骨だったので、千鶴は途中で言葉を切った。
「……良いわ。美海の、2つの問いに答えるわ。答えを、見せてあげる」
身を起こして肩を竦める千鶴の仕草は、諦めたような風だったが、美海の目には、それが観念とは映らなかった。むしろ勝ち誇ったイメージが、苦笑いの影に潜んでいた。
心の中で首を傾げながらも、美海は千鶴に頷いた。
人々の行き交う雑踏の中、2人は歩き始めた。
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