法 律 雑 記 帖  第4話 帰ってきた4人ーーメルボルン事件3

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 飛行機が成田空港に近づき、高度を下げる間、浅見喜一郎さん(70歳)は、小さな窓から外を食い入るように見入って、微動だにしなかった。
 日本時間の昨夜(2002年11月6日)午後11時30分にオーストラリアのメルボルン空港を出て、タイのバンコックを経て20時間に及ぶ航路を終えようとするとき、急に寡黙になった背中に、10年という年月の重さがにじみ出ていた。

 メルボルン事件(事件の概要については、第2話 異国の法廷で届かぬ無実の叫びーーメルボルン事件)で懲役15年の刑を宣告・執行されて10年、5人のうち4人が、仮出獄でようやくにして自由を回復したのである。
 3人のうちのふたり、勝野正治さんと勝野光男さんは、浅見さんより30分早くメルボルン空港を飛び立ったから、今頃は一足先に母国に降り立っていることだろう。
 もうひとり、本多千香さんは、やや遅れて11月18日の帰国である。
 しかし、他のひとりは、20年の刑だから、仮出獄の条件を満たすには、あと数年を要する。
 そして何より重要なことは、まだ誰ひとりとして、冤罪を晴らすことはできていない。

2002年11月7日、成田空港で記者会見する、左から浅見喜一郎・勝野正治・勝野光男の各氏

 5人のうち4人が、まもなく仮出獄となるから、弁護団から出迎えに行こうという話しが出たのは、春ころのことだったが、私が行くことになったのは、予定していた弁護士が直前になって都合が悪くなってのことだった。
 まず勝野正治さん、光男さんと浅見さんが帰国することになったが、2便に分かれるということで、弁護団事務局長の田中俊弁護士と私が渡豪し、田中弁護士が勝野さん兄弟と、私が浅見さんと同行することとなったのである。
 10月末に事務所を移転したばかりで、山積みのダンボール箱を開けるいとまもない訪豪であった。

 帰国の段取りの打合せのためメルボルンの刑務所で面会した3人は、冤罪を晴らすことなくオーストラリアを離れることに無念を感じながらも、自由の回復を控えた晴れやかな表情が垣間見られたのも事実である。
 仮出獄により、同時にオーストラリアでの滞在資格がなくなり、日本への送還となる浅見さんたちは、飛行機に乗り込むのも一般旅客とは別に係官に先導される。したがって、刑務所での面会後に浅見さんとお会いしたのは、飛行機の中だった。
 しかし、飛行機の中では、係官の同行もなく、席を移り、隣の席でご一緒することができた。
 田中弁護士と違って私は2度目の面会に過ぎないが、機中で浅見さんとは色々と話をすることができた。
 裁判のこと、刑務所生活でのささやかな楽しみなど・・・。

 バンコック到着時、スチュワーデスが席にやってきて、浅見さんについて来るように促したので、そこでいったん浅見さんと別れ、私は旅客として降機した。
 幸運なことに、空港建物に入ったとたん、空港の警備官らしき人物と歩いている浅見さんに出会い、私も"I am his lawyer."と名乗って、同道することとした。
 イミグレーションらしき部屋で書類を作成、クーラーの効いた部屋で時間を過ごす。
 タバコが吸いたいと言えば喫煙室に、コーヒーが飲みたいといえばカフェに連れて行ってくれた。
 常に係官がそばにいるという状態ではあったが、その態度は親切で、自由にふるまえた。
 再び別々に飛行機に乗り込み、機内で席を移動して隣席し、日本に至った。

 成田到着時にバンコック同様浅見さんと別れると、今度は降機後運良くすぐ会えるとは限らないので、どのような扱いになるのかをスチュワーデスに尋ねたが、バンコックでは何の申し送りもないとのこと。メルボルンからバンコックまでは浅見さんに渡されていなかった帰国用の特別の旅券がバンコックで浅見さんに渡されたというので、ひょっとしたら成田では特別の扱いはないのかもしれないなと思いながらも、成田到着時に何らかの指示が出た場合には知らせてくれるよう頼んだ。
 やがて成田に到着、係官が浅見さんを待っているとスチュワーデスが知らせに来たので、今度は浅見さんと一緒に降機することとしたが、空港建物に入った途端、大勢のマスコミの出迎えを受けることになった。
 ハワイ帰りの芸能人に対する取材などでよくテレビで見る「動く歩道」のところで、カメラとマイクの砲列が待ち構えていたのである。
 フラッシュの嵐の中で、マイクを突きつけて「帰国しての感想は?」という質問攻めに、「後にしてあげて下さい」とかばいながら、入国審査場へと向かった。

 荷物を受け取った後、出迎えの弁護団、先に到着していた勝野さんたちと合流、記者会見までのわずかな時間、空港内の寿司屋へ。私にとっては空腹を満たすだけの寿司も、3人にとっては、日本に帰ってきた実感を何よりも感じてもらえる機会となったことだろう。
 そして定刻の8時30分、空港内の記者会見場へ。
 会場いっぱいのマスコミを前に、3人は帰国の喜びとともに、冤罪を晴らし得ていない無念さを口々に答えた。
 その模様は、その日と翌日のテレビ・新聞で報道された。
 記者会見を終えて、ようやくフリーとなった一行は、その日の宿である日航ホテルへ移動、ホテル内のレストランで、あらためて乾杯をし、長旅の疲れを癒した。

2002年11月7日、記者会見に詰めかけた報道陣

 自由を回復し、故国の地を踏めたとは言え、冤罪を晴らすには、道はまだ遠い。
 3人にとっては、本当の闘いはこれから始まる。
 これまでは、海の向こうの、しかも壁の向こうだったが、これからは本人と弁護団とが直接手を携えての闘いとなる。
 最後にこのホームページでこの事件のご報告をしてから、何度もマスコミで事件が取り上げられた。国会でも質問され、日本政府がオーストラリア政府に早期釈放を要請するという出来事もあった。
 無実をかちとってはいないとは言え、仮出獄としては最短距離で自由を回復できたのは、世論の力によるところが大きい。

 今後も各位のご支援をお願いする次第です。

(後記)
 弁護団のホームページでは、最新の情報をお伝えすよう努めていますので、ときどきご覧下さい。

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