2004年7月25日 聖歌隊サマーコンサート 平石太朗牧師
「どんなことでもできる!苦悩から歓喜へ!」
(ピリピ人への手紙 4章13節)
それでは、さっそく聖書をお読みします。ピリピ人への手紙4章13節をお読みいたします。
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
今、先程、私が歌った曲「Ich liebe dich」は、ドイツ語の歌で、恋人に神様からの祝福がありますように、
という内容の歌です。
あの大作曲家ベートーヴェンが作った曲です。
ベートーヴェンはこの曲を25歳の頃に作りましたが、その頃からだんだんと耳が聞こえなくなり始めます。
そして30歳になる頃には、耳がかなり悪くなって、どんどん聞こえなくなっていきます。
耳が聞こえなくなるというのは、音楽家にとって大変なことです。致命的なことです。
彼は本来、とても社交的な人でしたが、自分の耳のことを友達に打ち明けることができませんでした。
そして、自分の致命的な耳の病気について人に気づかれたくないので、だんだんと人を
避けるようになり、人を寄せつけないようして、ひた隠しに隠しました。
私は以前、ベートーヴェンの映画を見たのですが…
ベートーヴェンが、回りに誰も人がいないことを確かめてから、ピアノの前に座り、
耳をピアノに押し当てて「月光」引いているシーンがとても印象に残っています。
しかし、やがて隠し切れなくなってきます。
そしてベートーヴェンは友達である牧師に手紙を書き、ついに耳のことを打ち明け
「私はこの世で神が作られた最も惨めな人間だ」と書いています。
「ハイリゲンシュタットの遺書」と言われる手紙の中では、彼は「神様、私はいつまた喜びに
出会えるのでしょう。その日はもう決してこないのですか。それではあまりにも残酷です」と
神に訴えています。
いろいろと治療を試みましたが、聴力は回復せず、耳はどんどん悪くなっていきます。
やがて不安と苦しみの中でベートーヴェンは神にすがり、神に助けを求めるようになっていきます。
その頃、彼は友人に「運命の喉元をしめつけてやる」という手紙を書いています。
また、「私の芸術は、苦しんでいる人々の運命を改善するためにささげる」と言っています。
やがてこの逆境の中で、あの有名な「運命」と呼ばれる交響曲第五番が生み出されます。
そのテーマは「苦しみを通って勝利へ」です。
T:幻を持つ
みなさん、私たちは何のために生きているのでしょうか。それを自覚することはとても大切です。
そして、私たちの使命は何でしょうか。
主は私たち一人一人を目的を持って創られました。
神は私たちに生きる目的を与えておられます。
主は、私たちひとりひとりに福音を宣べ伝える使命を与えておられます。
そして、ひとりひとりに何らかの賜物を与えてくださっています。
賜物がひとつもない人などひとりもいません。
ベートーヴェンは、「神に近づいて、神の栄光を人類に広げる仕事以上に美しいことは何もない」
と言いました。
私たちはそれぞれ福音を、イエス様のことを、どのように人々に伝えていくか、
幻、ビジョンを持とうではありませんか!
体が弱いからとか、環境が悪いから駄目だなどということはありません。
ベートーヴェンは音楽家でしたが、ろう者となってしまったのです。
それは音楽家としての死を意味します。
ところが、そこから彼の音楽家としての新しい人生が始まったのです。
また、年を取ったから駄目だなどということはありません。
聖書に出てくる人物の中にはかなり年を取ってから再出発をしている人物が何人もいます。
アブラハムは75歳からの再出発、ヤコブは90歳を過ぎての再出発、
モーセも80歳を越えてからの再出発でした。
イザヤ40:30-31にこうあります。「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」
U:前向きにものごとをとらえる
私たちは前向きにものごとをとらえていく必要があります。
苦しみの中にあっても私たちは希望を捨ててはなりません。
ベートーヴェンは、まだ耳が聞こえていた頃の初期の作品も素晴らしいですが、
中期、後期となるにつれてより素晴らしい作品が生みだされました。
驚くべきことに、彼は耳がまったく聞こえなくなってから、偉大な作品をつくりました。
「荘厳ミサ曲」という主イエスキリストを礼拝し三位一体の神をあがめる曲や、
あの最高傑作である「第九」、交響曲第9番「合唱付き」は、聴力をまったく失ってからの作品です。
「第九」は「歓喜の歌」(喜びの歌)とも言われますが、そのテーマは「苦悩から歓喜へ」
(苦しみ悩みをつき抜けて、喜びに至れ!)です。
これはみなさんもご存知の通り交響曲の中に合唱を入れた、型破りの曲です。
第九の初演はベートーヴェン自身が指揮をしましたが、耳が聞こえないので、
ふたりの副指揮者がつきました。
その演奏会は大成功しましたが、ベートーヴェンは聴衆の拍手喝采に気づかず、
アルトの歌手が彼を客席のほうに振り向かせて気づかせました。
実は、私は、かつてウィーンに行ったことがあり、第九が初演された場所に、
もうそこはホテルになってしまっているのですが、第九の初演の地に行ったことがあります。
この第9の合唱の部分の歌詞は、シラーという詩人の詩にベートーヴェンが書き加えたもの
なのですが、簡単に短くわかりやすくまとめるとこんな内容になります。
「友よ声を合わせて楽しく歌おうではないか
喜べ、喜びにあふれて自分に与えられた道を歩め
喜び勇んで、勝利の道を進め
全世界の人々よ互いにいだきあえ
人々よ、確かに神はおられる
世界の人々よ、神の前にひれふすか?
この世の者たちよ、お前を創造した神がわかるか?
神はかならずおられる、天におられる神をあがめ、神を求めよ」
と、これが「歓喜の歌」の内容です。
聖書に「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)とあります。
また、「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」(詩篇37:4)
ともあります。
ベートーヴェンは苦しみ悲しみの中から求め続けた「喜び」を、信仰の中に見出し、
それを力強く音楽に表現したんです。
そして、彼は天に召される2週間前に「私の人生がどんなに苦しいものであっても、
神の御心に従うことによってこそ苦しみに耐え抜く力が与えられる」と書き残しました。
V:超自然的な力とつながる
みなさん、最初のみことばに戻りますが、
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
これは聖霊に導かれてパウロが書いたことばですが、パウロはこれを心地よい机の上で
書いたわけではありません。
彼はこれを牢獄(牢屋)で書いていたんです。
彼の前には鉄格子があったでしょう。手かせ足かせがあったでしょう。
けれども彼は超自然的に力を自分に与えてくださるイエス・キリストさまにつながった時に、
鉄格子が消えたんです。手かせ足かせが消えたんです。
彼にとっては現実であったことが現実ではなくなり、非現実だと思えることが現実の世界となったのです。
ですから「私はどんなことでもできる」と言えたんですね。
結び:キリストにつながって歩む
今、あなたに必要なのは、その超自然的な励ましではありませんか。
どうぞ、今週もこのお方、主イエス・キリストとつながり、
生き生きとした人生を歩もうではありませんか。
主イエス・キリストにつながり、喜びに満ちた勝利の人生を歩もうではありませんか。
ひとことお祈りします。
天のお父様、私たちを祝福し、天から新しい力を与えてください。
イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
<救いへの招き、祈り>
今日、まだクリスチャンでない方で、私もイエス様を信じて救われたいという方が
おられましたらどうぞ手をあげてください。その方のためにお祈りします。
まだクリスチャンでない方で、私にもイエス様が必要だという方がおられましたら、
どうぞ手をあげてください、その方のために祈ります。
感謝します。主の御名をほめたたえます。
それではどうぞ私に続いてお祈りしてください。
「イエス様、私はあなたを必要としています。私の罪のために身代わりとなって
十字架で死んでくださり、ありがとうございます。そして3日後に復活されたことをほめたたえます。
私は今、イエス様あなたを、私の救い主、人生の導き手として受け入れます。
イエス様、今、私の心にお入りください。
イエス様、あなたを信じます。
あなたが私のすべての罪を赦してくださり、永遠のいのちをあたえてくださり、
神様の子どもとしてくださり、救ってくださったことをありがとうございます。
イエス様、私の心の中心で私を導き、あなたの望むような者に、私を変えてくださることを感謝します。
イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」