2004年5月15日 第2回祈りのコンベンション 平石太朗牧師

「祈りの原点に戻る教会の原動力」
               

今日はこの「神よ。私の心に聖霊の火をともしてください」という本から話してくださいと
言われたのですが…
この本は、1年くらい前に小岩教会の週報に、推薦図書として何回か紹介されていました。
みなさんの中でこの本を読んだという方がいらっしゃいましたら、ちょっと手を上げていただけます
でしょうか?

 まだ読んでいない方々に、申し上げますが、この本はとても内容のある、良い本です。
まだ教会の入口に何冊か置いてありましたので、興味のある方は是非、スタッフの木村さんに
言って買って読んでみてください。

この本の帯を読みますと…
「神の心を動かす祈りとは? ニューヨークの20人足らずの荒廃した教会に赴任した若き牧師。
彼が見た神の御業は、まさに飢え乾いた、叫ぶ祈りから始まった!
『祈りの力』が、単なる奇蹟のわざに偏重でなく、教会の中核をなす働きになっていることに
大きなチャレンジを受けました。
この本は、読む者に熱い火をともし、教会にはリバイバルをもたらす導火線になるでしょう。」
と書いてあります。

  この本の原題は英語で「Fresh Wind, Fresh Fire」という題で、直訳すれば「新鮮な風、新鮮な炎」
という意味です。勿論、風、炎とは聖霊さまのことを意味します。



T:祈りこそ教会を動かす原動力
さて、この本を書いたジム・シンバラ先生は、アメリカのニューヨークにある
ブルックリン・タバナクル教会の牧師です。
彼は約30年くらい前に、アメリカの中で最も伝道が困難であると言われるニューヨークの
ブルックリンという荒れ果てている町の、荒れ果てた教会に赴任してきました。
教会の周囲を取り巻く状況は、麻薬、暴力、同性愛者、売春婦、子どもを性愛の対象とするような
性的倒錯者、夢が破れて途方に暮れている人々、ホームレス、体も心も病気の人々という状態です。
約30年前、教会のメンバーは20人くらいだったそうです。
しかし、アメリカの中で最も伝道が困難な場所であるにもかかわらず、今は何とメンバー数が
6000人を超えるほど成長しています。
また、この教会のクワイヤー聖歌隊は、グラミー賞を受賞しました。
何故、この教会が人々に希望を与え、人々が救われ、クリスチャンがリバイブされ、
世界中の教会から注目されているのか…
それを短い時間で全部話す事はできないのですが…
いくつかお話させていただきます。  

このブルックリン・タバナクル教会のジム・シンバラ先生は、聖書学校や神学校で学んでいない
牧師です。
牧師の資格がない人、牧師になるための専門的な訓練を受けたことがありません。
彼は結婚した奥さんの父親が牧師で、その牧師から彼は牧師になることを勧められて、
気がついたらブルックリンのその小さな教会を導く事になっていました。
そしてその教会の牧師になってから彼は系統的なみことばの学びを始めました。
ジム・シンバラ先生は自分のことを素人牧師、アマチュア牧師と言っています。
そして実際、牧師をやり始めた頃は、自分が何をしているのか、自分自身でさえわかって
いなかったそうです。
それにお金もなくて、食事代や車のガソリン代を払うのが精一杯、健康保険にも入ることができず、
自分の家の家賃を払うこともできないような状態でした。

  彼はやがて様々な困難と自分を取り巻く暗闇にうろたえて礼拝で説教さえ続けられない
最低の状況に陥ります。
その時にジム・シンバラ先生は大発見をします。
「神は弱さに引きつけられるお方である」ということ。
また、「いかに切実に主を必要としているかをへりくだって素直に認める者たちを、
主は捨ててはおかれない」(p23)
ということです。

  みなさん、私たちが自分の足りなさ、弱さに真剣に向かい合い、それを認めて、
そして主を呼び求めるなら、私たちのその弱さの中にこそ、神の力があらわされます。
ジム・シンバラ先生は、自分の弱さを認め、牧師らしく見せることをやめて、
ただ神の御言葉を最善を尽くして語り、人々を教会を、祈りと讃美に導くようにしました。
そこから、祝福が豊かに注がれ、救われていない人々が教会に来るようになり
人々がどんどん救われ始めました。
そして彼もギリギリの生活をしながらも、必要は満たされていきます。

  彼は「自分はこの働きに適していない、牧師としての才能がない、牧師らしい声もでないし、
雄弁でもないし、もう疲れた…」と自分に言い聞かせたこともあったそうです。
それに父親はアルコール依存症だし、母はそれにふりまわされているし、友人からは
『あなたがたのような若くて素敵な夫婦がこんなところで一体何をしているの』と言われる始末
だったけれども…
それでも確かにひとつひとつ問題が解決して、教会は前進していきます。
問題が解決しても新しい問題はすぐにまたたくさんやってくるけれども、さらにそれを乗り越えて
成長していきます。
みなさん、何故でしょうか。 
それは、彼らが祈ったからです。
ですから救われていない人々がたくさん教会にやってきて、イエス様に出会い、
救われてどんどんキリストの弟子になっていきました。
また、落ち込んでいたクリスチャンが息を吹き返しました、リバイブしました。
人々が変えられていきました。
みなさん祈りこそ教会を動かす原動力です。
アンドリュー・ボナーという人は「神はご自分の民が、祈り以外には望みがない、というところまで
追い込まれるのを願っておられる。ここにこそ教会の、世に立ち向う力がある」と言いました。
みなさん、私たちは今、そういう状況に追い込まれているのではありませんか。  



U:わたしの家は、祈りの家である
みなさん、イエス様は「わたしの家(教会)は、祈りの家でなければならない。」と(ルカ19:46)
言われました。
教会で語られる説教・メッセージは勿論とても大切です。讃美もとても重要です。
また、他のクリスチャンとFelloeship交わりの時を持つことも大切です。
しかし、聖書には「わたしの家は、説教の家と呼ばれるべきである」などと書いてある個所は
ありません。
また、「わたしの家は、讃美の家と呼ばれるべきである」とか、「わたしの家はクリスチャンの
交わりの家と呼ばれるべきである」とか、そういうことはどこにも記されていません。
聖書は、はっきりと「わたしの家は、すべての国の人の/ 祈りの家と呼ばれるべきである。」
(マルコ11:17新改訳)と断言しています。

  イエスさまが言われた「わたしの家」というのは、当時においては神の宮、神殿を意味していますが、
それは今の時代においては教会と言うことができます。
勿論、それは単に教会堂や十字架が立っている建物を意味してるのではありません。
どういうことかと言うと、もっと突っ込んで言えば、実は今や私たちクリスチャンが神の宮、
神の神殿なのです。
パウロは、あなたがたは神の神殿です、「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊が
あなたがたに宿っておられることを知らないのですか」
(1コリント3:16)、と言っています。
とすれば、祈りが第一であるというイエス様のメッセージは、私たちにとってどれほど重みを
増すことでしょう。

  みなさん私たちはますます祈りを大切にする必要があります。
私たちは絶えず祈ろうではありませんか。
セルグループで誰かの家に集まって祈ることも大切です、また個人的に隠れたところで
ひとりで祈ることもイエス様は勧めています。
そして勿論、自分が所属する教会に来て、他のクリスチャンの兄弟姉妹と一緒に祈ることは
とても重要です。
小岩教会の場合は遠くから来ている方も多いですから、教会の祈り会に毎回参加するのは
難しいという方もいらっしゃるでしょう…
でも、できるだけ教会の祈り会に参加しようではありませんか。
教会は、説教も讃美も交わりもとても大事ですが、だからと言って、祈りを二の次にしては
いけないんです。



  結び:神が共におられるのだから祈ろう
牧師や伝道者の評判というのは、日曜日の礼拝に来る人々でわかります。
あるいは聖会に来る人々でわかります。
しかし、イエス様の評判は、祈り会に来る人々によってわかるんです。
スポルジョンというイギリスの大説教者は大変厳しいことを言いました。
「教会の状態は、祈り会を見れば実に正確に判断できる。
…もし、神が教会に近くおられるならば教会は祈るはずであり、近くにおられないなら、
神がそこにはいないしるしとして、まず祈らなくなる」。

  この言葉を皆さんはどうお受け取りになりますか?  
この続きはこのあとの分科会で分かち合いたいと思います。





この教会には神がおられるのですから、神様のすばらしい臨在を感じる教会ですから、
もっと祈ろうではありませんか。  
教会が、私たちが、悔い改めて祈りを大切にしていくならば大丈夫です。
祈りは、神に近づくことそのものです。
ヤコブは「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」
(ヤコブ4:8)。と言っています。

  使徒の働き1章、2章を読むと、弟子たちが祈りに専念していた時に聖霊さまが降ってきて、
そして生きた教会が始まりました。
私たちも主に期待して、祈りに専念しようではありませんか。
リバイバルは起こります!                                 

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