2004年1月18日 聖日礼拝  平石太朗牧師

「飼い主、我が主よ」
      (詩篇 23篇)

みなさん、主はすばらしい! いつもそうです!

みなさん、教会の週報に書かれているディボーションの聖書個所を読んでいらっしゃる方は、
先週は、あの有名な「ヤベツの祈り」が出てきたことをご存知でしょう。
そこに、ヤベツは「神に呼ばわって言った」と書かれています。
呼ばわるというのは、「大声で叫ぶ」ということです。
ヤベツは主に向かって大きな声で叫んで祈ると、「そこで神は彼の願ったことをかなえられた」
と記されています。
主は、ヤベツの祈りに答えてくださいました。
ヤベツは豊かに祝福され、地境、領域が広げられ、恵まれ、そして、わざわいからも守られました。

  みなさん、私たちも今、いろいろな願いがあるでしょう。
みなさん、私たちは今、「主よ!」と3回、大きな声で主に向かって叫びましょう。
主はあなたの祈りに答えてくださいます。
それでは、今、一緒に、「主よ!」と3回叫びましょう!

 
それでは、聖書を開きましょう。今日は詩篇23篇1節から6節です。旧約聖書の849頁です。
メッセージの準備をしている時に、聖霊さまに、今回は、詩篇23篇からメッセージをするように
導かれました。
それでは、詩篇23篇1節から6節をみなさんと交互に読みましょう、交読しましょう。

「ダビデの賛歌
23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。  
23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。  
23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。  
23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」




  T:主は私たちを養い導いてくださる
1節を見ますと「主は私の羊飼い」とあります。
ここで、主なる神様は羊飼いとして、私たちは羊として、たとえられています。
そして、この「主」とは、まさに私たちの主イエス・キリストのことです。
新約聖書を見ますと、イエス様は「わたしは、良い羊飼い(牧者)です。良い羊飼い(牧者)は
羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)と言われました。
その言葉の通り、イエス様は私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださいました。
しかし、イエス様はそれから3日後に復活されました。
私たちは、この素晴らしい羊飼い、主イエス様に出会って、イエス様を心に受け入れて
信じて救われました。
私たちはイエス様の十字架によって、罪が赦され、義とされて、永遠のいのちが与えられ、
たましい霊の救いを経験しました。
勿論、それが1番大きな大切なことですが、しかし、それだけではありません。
イエス様は、私たちの病気をいやしてくださいます。解放してくださいます。
心も体も健やかにしてくださいます。
イザヤは十字架につけられたイエス様についてはっきりと語っています。
「彼への(主イエス・キリストへの)懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の(主イエス・キリストの)打ち傷によって、私たちはいやされた。」
(イザヤ53:5)
そして、ペテロもこう言っています。
「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(1ペテロ2:24)
みなさん、アーメンでしょうか。

  また、詩篇には「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」

(詩篇103:3-5)とあります。
イエス様は、私たちが日常生活の中で直面するいろいろな問題や困難を解決してくださいます。
そして豊かに恵んでくださり、私たちの一生を良いもので満たしてくださいます。
イエス様を自分の羊飼いであると徹底的に認め従っていくなら
「主は私の羊飼い、私は、乏しいことがありません」
みなさん、乏しいことがないんです。
みなさん、この中に今、とても辛い思いをしていたり、道端に座り込みたいような苦しい思いを
している方がいるかもしれません。
いろいろな問題が山積みで途方に暮れている方もいるかもしれません。
しかし、目に見える状況がどんなに悪い状況であっても、「私たちは、見えるものにではなく、
見えないものにこそ目を留めます。」
(2コリ4:18)。
私たちは主を見上げて、主に告白しましょう。
みなさん、主の御前での告白はとても大事ですよ。そのとおりになるからです。
この詩篇23篇1節のみことばを、「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」と、
みなさん今、この1節のみことばを、一緒に少し大きな声で告白しましょう!
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」
アーメン! アドナイ・ロイ、アドナイ・イルエ、主が備えて下さる!

  第3ヨハネの手紙2節で、「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているように
すべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」
(3ヨハネ2)とヨハネは祈っています。
私たちの羊飼いである主は、ヨハネの祈りの通り、私たちをすべての点で幸いにしてくださいます。
人間関係も家族も経済も祝福してくださいます。健康も支えて下さいます。
みなさん、年配の方々も「人生まだまだ」これからです!
私たちは、神からも人からも好意を得て、まわりの人々に天の御国の良い影響が広がっていきます。
人々が救われて共に主を喜び礼拝するようになります。
また、職場にも、住んでいる地域にも、そしてこの日本に神の御国が広がっていきます。
経済に関して言えば、全員がすごいお金持ちになるわけではありませんが、
しかし、経済も必ず祝福されます。不思議なくらい必要は満たされるんです。
イエス様は言われました。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)
信じる方は、アーメンと言いましょう。


  次に、2節、3節をご覧ください。
「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」
ニュージーランドのような場所はそこらへんにたくさん牧草地や泉、川があります。
しかしイスラエルは違います。牧草地や泉、川がたくさんあるわけではありません。
イスラエルでは、荒野のようなところで羊を飼っていることが多いのです。
ですからイスラエルの羊飼いは、羊のために牧草地や泉を見つけてあげなければなりません。
今日、私たちもイスラエルの羊のようです。
私たちは便利な高度に発達した日本の首都圏に住んでいますが、荒野のような、
砂漠のような時代に生きています。
新聞を読むと、悲惨な事件や問題ばかりです。
そして、この世の終わりの時が近付いて来ていますから、人々の愛が冷え、
悪魔悪霊の活動が活発です。

  昔、こんな歌がありました。東京砂漠という歌ですが、メロディをあまり良く覚えていませんが、
「あなたの傍で ああ 暮らせるならば つらくはないわ この東京砂漠。
 あなたがいれば ああ うつむかないで 歩いて行ける この東京砂漠。
 あなたの愛に ああ つかまりながら しあわせなのよ この東京砂漠。」
みなさん、イエス様が共にいてくださるから、私たちはうつむかないで歩いて行けるんです!
つらくはないんです!しあわせなんです! アーメンでしょうか!
私たちの羊飼いである、イエス様に感謝しましょう。

  イエス様は私たちを緑の牧場に導き、そこに伏させて下さいます。
イエス様は本物の平安を与えて下さいます。アドナイ・シャローム、主は平安!
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
(マタイ11:28-30)と
イエス様は言われました。
みなさん、イエス様のもとで休ませていただきましょう。そしてイエス様から学びましょう。
たましいに安らぎが来ます。

  緑の牧場、すなわちイエス様のもとで食べるものは、神のみことばです。
毎日、聖書のみことばを読み、学びましょう。
毎日聖書を読むこと、これはクリスチャン生活に欠かせないものです。
詩篇に、「あなたは私の隠れ場、私の盾。私は、あなたのみことばを待ち望みます。」(119:114)
とあります。
また、「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。
主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。」
(詩篇107:19-20)
とあります。

  そして、みことばだけでなく、やはり祈りに励んで聖霊に満たされることこそ大切です。
「いこいの水」というのは、それは聖霊様のことです。
イエス様は「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
(ヨハネ4:14)、
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、
生ける水の川が流れ出るようになる。」
(ヨハネ7:38)と言われました。
みなさん、毎朝みことばを読み、毎朝祈って聖霊様に満たされましょう。
みことば漬け、それだけでなく、聖霊漬けになりましょう!
そうすれば、この渇いた不安の時代にあっても、いきいきのびのびと生きていけるんです。
神様のいのちに満ち溢れて、毎日、何かわくわくしながら生きていけるのです。
周りの人々もそんな私たちを見て、イエス様が与える水を飲みたいと思うようになります。
イザヤはこう言っています。
「主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。
あなたは、潤(うるお)された園のようになり、水のかれない源のようになる。」
(イザヤ58:11)  

また、みなさん、夜、眠りにつく時も、祈ってから寝ましょう。
ダビデは苦しみの中で「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。
主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」
(詩篇4:8)と祈りました。
みなさん、主が守って下さいます。


そして3節、「主は私のたましいを生き返らせ」てくださいます。
イザヤ書で、主は、「わたしは、… 心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」
と言っておられます。
(イザヤ57:15)
私たちが主に信頼し、へりくだって主に従うならば、主は私たちのたましいを生き返らせ、
いつも、新鮮な喜びを持って歩むことができるようにしてくださいます。
「神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(1ペテロ5:5)

  また、3節には「御名のために、私を義の道に導かれます」。とあります。
イエス様は、エゴー・エイミ・ヘー・ホドス(ギリシャ語)、私は道だ!私が道だ、私こそ道だ!
と言われました。
茶道でも、書道でも花道でも何でも、道と名がつくものは深いです。
人が作ったものでも、たとえ「石の上にも3年」やっても、とても極められるものではありません。
まして神様の道はもっと、はるかに深いです。
毎日、祈って、聖書を読む、毎日この繰り返しがとても大切です。
毎日その時間は確保するようにしましょう。
神様は日々、私たちを取り扱い、磨き、主に似る者に変えてくださいます。
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、
栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
(2コリ3:18)
主に似るものに変えられていく、これこそが、私たちの目標です。



  U:主はともにいて、勝利させてくださる。
さて、4節、5節ですが…
ここで言う「死の陰の谷」とは、シナイの荒野(あらの)という場所を指し、
そこはとても寂しい暗い場所です。
私たちはそういう死の陰の谷を歩かなければならないことがあります。
私たちは真っ暗な荒野をひとりで歩んでいかなければならないようなことがあります。

  私は10年くらい前のことですが、アメリカのアリゾナ州の砂漠みたいな荒野みたいなところを
車で走っていました。ひとりで車を運転していました。
そのうちに、荒野に突然、大きな岩が突き出ているそういうとても景色の良いところがあったので、
そこで車を止めてその景色を眺めていました。
砂漠の中に通っている道ですから、あたりはとても静かで何の音もしません。
しかし、変な音がし始めたのです。ポタ、ポタ、ポタ、という音でした。
それは止めてある車から聞えました。調べてみたら何と驚いたことにラジエーターが
壊れて水が漏れていました。
それで、祈りながら車を走らせて、なんとかエンジンがオーバーヒートせずに、
焼き付くことなく、近くの町に着くことが出来ました。
しかし、その時、お金がなくてラジエーターを直すこともできなかったので、
いろいろな入れ物に、ペッボトルなどに水を入れて車に積んで、夜中の涼しい間に
車を走らせることにしました。

  そうやって、アリゾナからカリフォルニアのロサンジェルスまで帰ることが出来たのは、
主の守りがあったからです。
荒野を通って町から町に走り、次の町についたらまた水を補給して、という具合にして、
走っていたのですが、真夜中の荒野はとても寂しいところでした。
真っ暗な荒野はなんにもない、まったくなんにもない世界です。
風だけがヒューヒュー吹いていて、そのうちに車を走らせていたら砂漠になってきて、
私は天気予報など気にしないで走っていましたから、そこで砂嵐みたいなものにまき込まれて、
非常に怖い思いをしました。
まわりには、だれもいないし、真っ暗で、ものすごい風が吹きつけてきて、
砂で前が良く見えない、風で車ごと吹き飛ばされてしまうような気がしました。
思わず叫びました、「主よー!」
すると、車の助手席にイエス様がまるで座っているようなものすごい臨在が溢れ出してきました。
アドナイシャマ!主はここにおられる!私の心は平安に満たされ、しばらくするとその砂嵐もやみました。
主は素晴らしいです。ハレルヤ!  

みなさん、実際、荒野は真っ暗で寂しいところです。
しかし、私たちの人生の荒野というのはアリゾナの荒野よりももっと辛く寂しく、
そして厳しいところですね。
でも、私たちは時にはそこを通って行かなければならないことがあります。
誰もいないかもしれない、友人もいない、今まで助けてくれた人もいない…
しかし、そこには主がおられます。主が私たちと共におられます。
主こそ私たちを助けてくださるお方です。アーメンでしょうか。  

ダビデは敵(アブシャロム)に追われて荒野にいた時、なんと荒野を聖所だと言ったことがあります。
ダビデはユダの荒野にいた時に、「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。
水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って
気を失うばかりです。
私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。
あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。」
(詩篇63:1-3)
と言って荒野で神を讃美しています。
ダビデは荒野に取り囲まれていましたが、ダビデの心に荒野はありませんでした。
それは、神がすべてを支配しているという信仰があったからです。
あの使徒パウロは、牢獄の中に閉じ込められた時、神を讃美しました。
そうしたら、奇跡が起きて、牢屋の扉が全部開いて、パウロはそこから解放されました。
みなさん、今、人生の荒野のような場所を歩いている方がいたら、主に心を向けて、
主を讃美しましょう。
みことば漬け、聖霊漬け、プラス讃美漬けになりましょう。そして、奇蹟を期待しましょう!

みなさん簡単な歌ですからここで、「イエスは勝利を取られた」という歌をみなさんと一緒に歌いましょう!


みなさん、主は私たちと共におられ、助け出して下さいます。
主が力強くあなたのその困難な状況にご介入してくださいます。

  みなさん、私たちは心地よい状況に置かれているときには、霊的に怠惰になって、
神に感謝することもせず、神を求める思いもどこかにいってしまうことがあります。
これは、今私自身にも問いかけながら申しあげますが…
私たちは、恵み深い神様への感謝が欠けていませんか。
神は私たちを妬むほどに愛しておられるのに、神に対する私たちの愛はどうでしょうか。
聖書を、新聞や雑誌よりも、喜んで読んでいるでしょうか。
不信仰になっていませんか。聖書の約束を信じないことは、神を偽り者(うそつき)にすることです。
祈りを怠っていませんか。礼拝を怠っていませんか。神様にささげること、
献金することを怠っていませんか。
そして、私たちは滅びにむかってしまっている友人知人のために祈っているでしょうか。
また、私たちは自分を捨てて、十字架を負うというイエス様の弟子の道を歩んでいるでしょうか。
私たちは霊的に怠惰にならないように気をつけなければなりません。

  しかし、私たちは困難な状況が来ると必死になって神を求めます。熱心に祈ります。
飢え渇きをもって、真剣に神に従うようになります。
ですから、いろいろな問題に悩まされている人は幸いだと言えます。
祈らざるを得なくなるからです。祈って祝福の主に信頼する者となれるからです。
みなさん、熱心な祈りこそが私たちの人生に祝福をもたらしてくれます。

  詩篇23:4ですが、「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」とあります。
「私の慰めです」とありますが、これは原文のヘブル語を見ますと、
イェナハムニーという言葉で、「私を守る」とか「私を励ます」、あるいは「私を力づける」とも
訳せる言葉です。
そしてこの「むち」というのは、敵を追い払うためのものです。
私たちがまったく気づいていない時でもイエス様は悪魔悪霊どもを追い払い、
私たちを守って下さいます。
また、この「むち」は、羊を叩くものではなくて、羊が間違った変な方向に進み出した時に、
羊の目の前の地面をピシッと叩いて、「そっちに行くな、あなたが行くべき道はこちらだ」と
示すものです。羊を方向転換させるものです。
そしてこの「むち」は、神のみことばです。すなわち聖書のことばです。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」
(Uテモ3: 16)  

また、ここに書かれている「杖」とは…、
柄(え)のところが傘のようにくるっと曲がっているもので、羊が荒野の穴や谷などに落ちて
動けなくなっている時にそこからやさしく持ち上げて助け出すために使われました。
みなさん、主は私たち一人一人をとても大切にしておられます。
杖はまた、羊が、崖が迫っているような危険な道を通る時に、羊飼いはその杖を
やさしく羊のわき腹にくっつけて危なくないように押して導きます。
また、ひつじ1頭1頭を、先がくるっと曲がっているその杖で持ち上げて、
その羊の状態をチェックします。
病気になっていないか、怪我をしていないか、などチェックします。

  みなさん、この「杖」は、聖霊様を象徴しています。
聖歌に「聖霊来たれり 聖霊来たれり 天下りし 慰め主」という歌がありますね。
イエス様は、「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたに
お与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」

(ヨハネ14:16)と言われました。
聖霊様は人格を持っておられます。聖霊様は私たちを助け、守り導いてくださいます。
私たちの状態をチェックしてくださいます。

  もしも私たちが、みことばと、聖霊様によって罪を示されているならば、
神のみことばと聖霊様に従って徹底的に悔い改めなければなりません。
そうしなければ、暗い、何かに縛られている生活を続けることになってしまいます。
イエス様を信じてせっかく救われたのに、約束された自由と祝福を存分に味わうことができず、
この地上で不幸なクリスチャンライフをすごすことになってしまいかねません。
みなさん、私たちはそれぞれ何か罪が示されているならば、それを神に告白し悔い改めなければ
なりません。
この詩篇の作者であるダビデは、人妻を奪い、その夫を殺害するという罪を犯してしまった
ことがあります。
ダビデは、罪を示された時にすぐに悔い改めました。

  私たちは、聖霊様によって罪が示されているならばそれを出来る限り早く告白し悔い改めたほうが
絶対に良いです。
私たちは罪の告白と悔い改めをあとまわしにしていると、ずっとそのようにしていると、
悔い改めに導く聖霊様が「もうあなたの好きなようにしなさい」、と言われて働いて下さらなくなる
ことがあります。
そうすると、悔い改めようと思っても心から悔い改めることが出来ない、
そういう状況に陥ってしまいます。恐ろしいことです。
そうならないうちに、完全な赦しと解放が与えられるのですから、私たちは、はやく悔い改めましょう。
「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、

すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:7-9)

  私たちは、聖霊様によって指摘されている罪があるならば、それをしっかりと告白し
悔い改めなければなりません。
そして聖霊様を歓迎して、聖霊の力によって自分を変えていただきましょう。
そのためには、やはり祈ることが大切です。
パウロは、「キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、
罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」
(ローマ8:2)とローマ人への手紙に書きました。
私たちは自分の肉の力で努力しても解放されません。
ですからそれよりもはるかに強い御霊の力により頼んで解放されなければなりません。
このいのちの御霊の原理を頭の知識で納得するだけではなくて、実際に体験するには
どうしたら良いでしょうか。
「ああ、これだこれだ」、とはっきりわかるくらいにこのみことばを体験するにはどうしたら良いでしょうか。

  それは、聖霊様に働いていただかなければなりません。
みなさん、聖霊様はどうしたら働いてくださるでしょうか。
何にもしないでただ待っているだけではだめです。
聖霊様は私たちの熱心な祈りによって与えられます。
イエス様は言われました「求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」
(マタイ7:7-8)
「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」(ルカ11:13)
みなさん、祈らなければ聖霊様の働きを望めませんから、いつまでたっても解放はやってきません。
特に朝の祈りをしないと、一日中心が束縛されたままになってしまい、むなしい一日を過ごす
ことになってしまいます。
ですから、朝の祈りを大切にしましょう。
特に、朝の祈りは心の解放と主のあらゆる祝福がかかっています。  

みなさん、確かに、朝早く起きるのはつらいです。私だって早朝起きるのはつらいです。
今は特に寒いですから、布団から抜け出すのが辛いです。
また、春がくれば春眠暁を覚えず、夏になればうだるような熱帯夜であまり眠れず、
秋になれば夏バテで体がだるくて、朝早く起きるのはつらいです。
しかし、私たちの決断で、布団から片足を外に踏み出したら、主がもう一方の足を出してくださいます。
私たちが1歩踏み出すなら、あとは聖霊様が助けて下さいます。
みなさん朝の祈りの時間を確保し、朝の祈りを大切にしましょう。
教会の早天祈祷会に参加できる方は参加して、家が遠い人は家で、
早朝から仕事がある人は15分でもいいから、朝、祈りましょう、祈りの祭壇を築きましょう。  

さて、詩篇23篇の5節ですが、
このみことばは、イスラエルの王様ダビデが息子のアブシャロムにクーデターを起こされて
逃げている時のことが背景になっています。
まるで、日本の戦国時代のようなものです。下克上の世界、肉親の骨肉の争いの世界です。
ダビデの軍隊がマハナイムと言うヨルダン川の東のほうにある場所に逃げると、
息子アブシャロムたちの軍隊がすべてヨルダン川を渡ってダビデを迫いかけます。
この時ダビデは、息子が起こしたクーデターのショックと逃避行で疲れて、気力を失っていました。
また、ダビデは自分たちの態勢を立て直す余裕もありませんでした。
しかし、ダビデが逃げ込んだ地域に住む人が突然、ダビデのところにやってきて、
ダビデ一行のために、ベットと多くの食べ物、飲み物、食器をプレゼントしてくれました。
(2サムエル17:24-29)
みなさん主はそのように私たちをいろいろな方法で助けて下さいます。守って下さいます。
「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。
主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。」
(詩篇118:6-7)
「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」(箴29: 25)
と聖書にあります。
みなさんも不思議な主の守りを経験したことがおありでしょう。
まるで戦争のような状況の中で、不思議な平安が与えられて乗り越えて行くことが出来た方も
いらっしゃるでしょう。
ダビデも神様の守りによって、敵に余裕で勝利することが出来ました。

  しかし、残念なことですが、ダビデの息子はダビデの部下によって殺され、
ダビデは非常に悲しみました。
しかし、ダビデはこの詩篇23篇を書くときには悲しみを乗り越えて、
主は「私の頭に油を注いでくださいます。私の杯はあふれています」と語っています。
これは、喜びの表現です。
みなさん、私たちクリスチャンは、聖霊の油を注がれた者です。
イエス様に従う者は聖霊の油注ぎを受けています。

  そして、今、この時代における敵というのは、人間ではありません。
私たちの敵は人間関係や問題の背後にいる悪魔悪霊です。
教会での人間関係、家族関係、親子関係、職場での人間関係、いろいろな問題の背後にいる
悪魔悪霊が敵です。
そして私たちに油が注がれているということは、私たちは神様の権威を委ねられているということです。
イエス様は言われました。「確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、
敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。
だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」
(ルカ10:19)
信じる方は、アーメンといいましょう。
イエス様はさらに、「信じる人々には次のようなしるしが伴います。
すなわち、イエス様の御名によって(わたしの名によって)悪霊を追い出し、
…病人に手を置けば病人はいやされます。」
(マルコ16:17-18)
また、Tヨハ 4: 4 には「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。
あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」
とあります。
私たちと共におられる主はすばらしいですね。
イエス様の御名によって悪魔悪霊に立ち向い、悪魔悪霊どもを追い出しましょう。

  ただし私たちは神からの権威が委ねられているからといって、悪霊追い出しにばかり夢中になって、
いつも悪霊ばかり見ていてはいけません。
イエス様は忠告されました。「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、
喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」
(ルカ10:20)
ダビデも言いました「あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。」
(詩篇51:12)
みなさん、イエス様にこそ注目して、救いの喜びに満たされ続けるようにしていただきましょう。
また、喜んでイエスさまに仕えることができるように、
ますます聖霊様に満たされることを大切にしましょう。



  V:祝福を持って追いかけてくださる主
次に、詩篇23篇6節ですが、主はいつくしみと恵みを持って私たちを追いかけてくださいます。
これは、驚くべきことです。
そして「主の家」とは、神様の臨在があるところです。
神様がまさにそこに満ち満ちているところです。

  パウロはこの地上にいる時に、天にある霊的祝福(エペ1:3)をすべて体験し味わいたい
と思って、神を追いかけた人です。
パウロは、「私は、ただ捕えようとして、追求しているのです。」とピリピ人の手紙に書いています。

  私は、弟の子供、3歳の男の子ですが、前に彼と追いかけっこをしました。
初め子供は、キャーキャー言いながら喜んで私を追いかけていました。
私は大人ですから、捕まる寸前のところでパッと身を交わして、子供につかまるわけがありません。
だけれども、つかまりそうになってあげると、子供はもう大喜びです。
それで、今度は逆に急に、私がこどもを追いかけ始めると、子供はもう興奮してキャーキャー
言って大喜びで走っていきます。
それで、私がつかまえて抱きかかえるともう大喜びで顔をくしゃくしゃにして、子供は最高潮です。

  みなさん、神様と神様の子どもである私たちとの関係はこれですよ。
ですから、あなたが神様を追いかけているうちに、そのうちに神様が祝福を持って
あなたを追いかけてきてくださるんです。
そして、主の臨在に包まれます。
私の弟のその子供ですが、「またもう一度やろうと言われて」、何回かやるうちに、
私はもう疲れて、ついていけなくなって、もうおしまいということになりましたが…、
神様は人間とは違って疲れませんから、私のいのちの日の限りそれを続けてくださるのです。
私たちが神様を追い求めるならば、何回でも神様は祝福を持って私たちを追いかけてきてくださいます。
そして、主の臨在に包まれた人生になります。
パウロは、「それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。」と言っています。
私たちは、この、エキサイティングな、わくわくする信仰生活をおくろうではありませんか。
みなさん、先週のディボーションの個所に「御子イエス様に口づけせよ」英語で言うと
Kiss the Son,(キス・ザ・サン)「御子イエス様に口づけせよ」というみことばがありましたね。
みなさんイエス様とラブラブですか?
  私たちはどこにいても主の臨在を体験したいですね。ですから、いつも主を追い求めましょう。
主は「いつくしみと恵み」を持って追いかけて下さいます。
「いつくしみと恵み」それは、私たちが喜びにあふれて生きるようになるためのものです。
それは、私たちがキリストの愛の深さ、広さ、長さがどれほどのものであるかを、知るためのものです。
また、それは、私たちがいただいているビジョンの実現であり、病気のいやし、解放、問題の解決…
それだけではなく、主は「私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方」
(エペ3:20)です。



  結び:主は私の羊飼い〜宣べ伝えようこの喜びを!
みなさん、「主は私の羊飼い、私は乏しいことがありません」
この素晴らしい私たちの主イエス様を、飼い主、我が主を、この喜びを私たちは多くの人々に
伝えていきましょう。
イエス様は、「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。」(ヨハネ10:16)
と言われました。
私たちはその人々、教会の外にいるまだ救われていない人々を、
イエス様のもとに導かなければなりません。

 
私は去年、台湾に行く機会があったのですが、着いてから二日目に観光に行きました。
私は故旧博物館が目当てだったのですが、その観光には、大きな偶像の宮に行くことも
含まれていました。
それでツアーガイドさんは、偶像の宮に来るとその説明だけをして、
拝もうとせずに遠巻きに見ていて、私たちも勿論、遠巻きにして見ていました、
それでお互い偶像を拝まないので、不思議に思ってどちらからともなく話しかけたら、
お互いクリスチャンで、思わずそこで一緒にハレルヤ!と叫んでしまいました。
その人は、偶像の説明しなければならないツアーガイドの仕事をやめるために、
他の仕事を探していると言っていました。  

また、観光が終った後、私は中国語の聖書を買おうと思って本屋さんに行こうとしていた
のですが、台北の駅で迷ってしまいました。
そうしたら親切な駅員さんが来ていろいろと教えてくれました。
しかし、私は中国語がぜんぜんわからず、また駅員さんは英語を話せなかったので、
困ったことになってしまいました…
そうしたら急に向こうの方から ある人が来て綺麗な日本語で話しかけてきて、
通訳を申し出てくれました。それで、私が中国語の聖書を買いたいのですと言ったら、
「もしかしてあなたはクリスチャンですか」、と言われて、またそこでもハレルヤ!
その通訳をしてくれた人もクリスチャンだったんです。
そして、なんとキリスト教書店の場所を丁寧に教えてくれました。
その日、会った二人のクリスチャンは、表情がとても生き生きしていて私の印象に残りました。
私は神様に何か語られているような気がしました。
それで、後になって知ったのですが、今、台湾はクリスチャンがどんどん増えているそうです。
近いうちに台湾のクリスチャン人口は総人口の10%を超えるだろうと言われています。
私はそれを知って、決して競走ではないですが、先を越されたような気になりました。
韓国はクリスチャン人口が35%以上、中国はすでに約一億人くらいのクリスチャンがいると
言われています。
ところが日本は99%がまだ救われていません。1%だけがクリスチャンです。
私たちはますます日本人の救いのために祈り、ますます伝道して行こうではありませんか。

  みなさん、今年の日本アッセンブリー教団の標語は「出て行って福音を宣べ伝えよ」、
「ああ、麗しいかな、良き知らせを告げる者の足は」です!
福音を宣べ伝えることは、イエス様からの命令です。
イエス様は言われました「恐れないで、語りつづけなさい。黙ってはいけない。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って危害を加えるものはない。

この町には、(この日本には)私の民がたくさんいるから」(使徒18:9-10)
みなさん、福音を宣べ伝えていきましょう!


  それでは、しばらく御霊によって、御霊に導かれるままに、自由にお祈りしましょう。
どうぞご起立下さい
<祈り>



  私たちは人生の暗いトンネルを通らなければならないことがあります。
先がよく見えませんから、つまづきます。不安ですから、ゆっくり歩かなければなりません。
何が飛び出してくるかわからず、気味が悪いです。
トンネルがどれくらい長いのか見当がつかないことがあります。
しかし、トンネルには必ず出口があります。入口があるのですから出口があります。
あなたは、トンネルの中に入ったままで終わることはありません。
さらに、トンネルを通る時には不安ですから、主よあなたにより頼むようになります。
祈らざるを得なくなります。
そして、実はトンネルは目的地までの距離が短縮されることを私たちは知っています。
トンネルは海や山のような通行不可能な場所につくられているからです。
そして、トンネルを抜け出た時の喜びは、解放感にあふれています。
飼い主、主よ、私たちを導いてください。
私たちを助け導き解放し、恵みを注いでくださることを感謝します。
主の御名をほめたたえます!



<救いへの招き、祈り>
今日、まだクリスチャンでない方で、私もイエス様を信じて救われたいという方が
おられましたらどうぞ手をあげてください。その方のためにお祈りします。
まだクリスチャンでない方で、私にもイエス様が必要だと言う方がおられましたら、
どうぞ手をあげてください、その方のために祈ります。
感謝します。主の御名をほめたたえます。
それではどうぞ私に続いてお祈りしてください。

  「イエス様、私はあなたを必要としています。私の罪のために身代わりとなって
十字架で死んでくださり、ありがとうございます。そして3日後に復活されたことをほめたたえます。
私は今、イエス様あなたを、私の救い主、人生の導き手として受け入れます。
イエス様、今、私の心にお入りください。
イエス様、あなたを信じます。
あなたが私のすべての罪を赦してくださり、永遠のいのちをあたえてくださり、
神様の子どもとしてくださり、救ってくださったことをありがとうございます。
イエス様、私の心の中心で私を導き、あなたの望むような者に、私を変えてくださることを感謝します。
 イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」  

それでは、みなさん、イエス様を信じておられますね。


  それでは、いやしの祈り、解放のいのりをしましょう! 
<いやし、解放のミニストリー>

 

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