無限の住人地図

大江戸まっぷ(江戸城より東)★江戸東部★

葛飾(かつしか)
逸刀流により、ここより東の道場が壊滅した。現在の葛飾区。

向島(むこうじま)
逸刀流本山の天邦道場がある場所。桜の名所として有名で、18世紀頃からは庶民が行楽を楽しむ場所となり、大名や商人の別荘も多かった。現在の墨田区北西部。

本所(ほんじょ)
無天一流本家・浅野道場がある場所。凜はここに住んでいたと思われる。また宗理が鏡師の修行をしていた頃に住んでいた場所でもあり、ここで浅野虎厳と知り合った。1657年の明暦の大火のあと、市街地として発展した。現在の墨田区南部。

辰巳(たつみ)
深川の別名。江戸城の南東(辰巳)に位置したことからこう呼ばれた。逸刀流懇意の遊郭「雪待」や、槇絵が働いていた遊郭「藤原苑」のある門前仲町、珠崎たちが百琳を監禁した木場も辰巳にある。辰巳は諸国から運ばれてくる物資の陸揚場・集散地として発展し、江戸で最も大きい岡場所(幕府非公認の遊里街)があった。辰巳芸者は吉原芸者の「派手」に対して「粋(いき)」を売りにした。現在の江東区西部。使用例「オメーみたく乳くせェのじゃ、〜で10両にもならんだろが」。

浅草(あさくさ)
ここと千束村の間にある林で、卍と凶が戦ったと思われる。浅草寺の近くに凶が泊まっていた宿「滝口」がある。

千束(せんぞく)
凶戴斗が生まれ育った村。浅草と奥州道の間にある。現在の台東区北部。

奥州道(中)(おうしゅうどうちゅう)
凶の妹が蹴鞠をしていて、参勤交代の武士に斬られた街道。千住と白河(陸奥国)を結び、千住から途中の宇都宮までは日光道中も兼ねる。五街道の一つ。

小伝馬町(こでんまちょう) 
無骸流の根城となっている湯屋がある場所。幕府の牢獄があった町。
右腕のすげ代え手術を受けた出羽介は、ここの牢獄の揚座敷で静養した。
現在の東京都中央区の北、秋葉原の南東。

日本橋(にほんばし) 
尸良が生まれた場所。真琴が働いていた男娼街・芳町も日本橋にある。1603年に架けられた橋の名前が周辺の地名になった。江戸の交通・運輸の中心であり、五街道の起点。現在の東京都中央区北部。

八丁堀(はっちょうぼり)
卍が斉藤辰政と戦った場所であり、町の住む家があった場所。江戸町奉行所の与力・同心の屋敷が多くあった。斉藤辰政がここに住んでいたということは、町奉行所の同心(現在の警察官)だったのだろう。現在の東京都中央区、銀座の東。


★江戸西部★
牛込(うしごめ)
卍と凜がはじめて出会った場所。卍が1年半住んでいた納屋があり、現在の卍と凜の活動拠点。また、近くに天津が剣の修行をしていた森がある。カエルと野伏せり(武装集団)が多いらしい。現在の新宿区東部の地名。
使用例「気が付けば〜村の辺まできているのよね」。

四谷(よつや)
卍と閑馬永空が戦った場所。甲州道の両側に発達した町で、都市の出入り口の関門である大木戸があり、江戸の西の玄関口だった。現在の新宿区南東部。山田浅右衛門吉寛の屋敷がある平河町は、ここから少し南東に行ったところにある(現在の千代田区)。
使用例「誰も追うなんて云ってねーぜ。〜の木戸を出たあたりでカタをつけりゃ済む事だ」

内藤新宿(ないとうしんじゅく)
卍、凜、尸良が天津を斬るために待ち伏せした場所。関東奉行・内藤氏の屋敷の一部だったところからの呼び名で、甲州道の日本橋と高井戸の間にあった宿駅。ここと品川、板橋、千住をあわせて四宿と呼ぶ。現在の新宿区新宿一〜三丁目。

石神井(しゃくじい)
凜と百琳がこのあたりの河原で、浮浪者となった偽一と再会した。

中山道(なかせんどう)
百琳と真理路が天津を待ち伏せし、珠崎ら逸刀流剣士と戦った街道。板橋から信濃、美濃を経て、草津で東海道に合流する。東海道と共に江戸と京都を結ぶ道だったが、東海道より人の往来が少なく、距離も長かった。五街道の一つ。

甲州道(中)(こうしゅうどうちゅう)
天津、凜、卍らが加賀へ行くために通った街道。またここで尸良が薬売りを殺し、卍が手形を奪うために火瓦たちと戦い、凶と尸良の死闘が繰り広げられた。江戸日本橋から甲府を経由し、下諏訪で中山道に合流する。途中に小仏関がある。五街道の一つ。

品川(しながわ)
逸刀流副将・隅乃軒栄と八角蔦五が住んでいたところ。二人はここから向島に向かう途上で無骸流に殺された。東海道の第一宿で、宿場町として発展した。

東海道(とうかいどう)
偽一が天津を待ち伏せした街道。江戸日本橋から品川、小田原、浜松、大津を経由して京都までつながる。途中に箱根関や大井川の難所があった。五街道の一つ。


★江戸外★
小仏関(こぼとけのせき)
甲州道に設置された関所。武蔵国多摩群上長房村にあった。凜が上長房村の中屋惣八の手引きで、砂登の妹・砂和になりすまして越えた。また、この界隈に卍と凜の人相書きが張り出された。現在の東京都八王子市裏高尾町に小仏関跡がある。

高尾山(たかおさん)
現在の東京都八王子市にある標高600mの山。使用例「生後間もなく〜に捨てられ、以後親切な猿に育てられてきましたという感じだよキミは」。

上乃原(うえのはら)
この近くで尸良が卍を待ち伏せし、その後尸良と凶戴斗が戦った。甲州道の宿駅。宿場町、市場町として栄えた。現在の山梨県都留郡上野原町。使用例「尤もこっから〜は目と鼻の先だ。すぐさまソレを持ってって…そこに医者でもいりゃあ或いは元に戻るかも知れねえな」(10巻P177)。

栗原(くりはら)
凜はここの木賃宿に泊まった後、近くの湖で水浴びしていてお金を盗まれた。甲州道の宿駅。現在の山梨県山梨市南部。

諏訪(すわ)
ここで凜と卍が再会し、卍・槇絵・凶が心形唐流剣士たちと諏訪湖のほとりで戦った。
下諏訪は甲州道の終点で、中山道の宿駅。現在の長野県諏訪市。

白川郷(しらかわごう)
槇絵が住んでいた小屋がある場所。現在の岐阜県北西部、荘川流域の渓谷部の地名。かやぶきの合掌造りの家が今も残るところとして有名。

白山(はくさん)
凜はこの山を越えて加賀までたどり着いた。また、帰路も天津と共にこの山を越えた。石川県(加賀)、福井県(越前)、岐阜県(美濃)の三県にまたがる山々の総称。最高峰は標高2702mの御前峰。山頂近くに積雪が多いため、この名が付いた。

金沢(かなざわ)
加賀の城下町。全国有数の大都市だった。密花が天津を案内し、兼六園のあたりを見てまわった。

加賀(かが)
北陸地方の国。心形唐流の伊羽指南所がある。江戸時代は前田家の所領だった。現在の石川県南部。


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