
「ペルー・インカ」「ボリビア・アマゾン」欲張り遠征記
「アフリカ体験 キリマンジャロ編」「ヒマラヤ 雪のアンナプルナベースキャンプ」「エベレストぼろぼろ遠征記」に続く海外ハイキングのレポートです。99.1.16
■インカ、アマゾンへのプロローグ
「南米」「アンデス」「太陽の帝国インカ」‥。これらの響きは、子供の頃からどうしようもなく私の心をそそり続けてきた。ある日南米の旅行ガイドを読んでいると、「インカトレイル」というものがある事を知った。ハイキング好きの私にとって、この「インカ」と「トレイル」の組み合わせは、まさにパーフェクトだと言えた。さらに調べてみると、インカトレイルのクスコから隣国のボリビアへ抜ければ、これまた憧れの「アマゾン」でのジャングル・トレッキングまで可能らしいのだ。
香港からの旅行日程では、片道30時間に及ぶ長時間のフライトや12時間の時差、そして4000mを超える高地への順応の必要性から、インカトレイルだけでも最低2週間はみなければならないらしい。しかし、旅行と言うと普段の性格から一転、どうしようもなく欲張りになってしまう私は、無謀にも約2週間でインカトレイルとアマゾンジャングルの両方のハイキングに行くという計画を立ててしまったのである。
■インカの都、クスコーまで
9月27日早朝4時、ペルーの首都リマ着。この間ほとんど寝ていないのと時差12時間、そして機内での飲みすぎのため、頭がくらくらする。時間があればリマで休まねばらないところだが、そのまま富士山の標高に近いクスコへ一気に飛ぶ。
香港から2日ががり、約30時間のフライトでやっとクスコ(標高3500m)へ到着。案の定空気が薄いため、ちょっと歩くと息が切れる。自慢の明晰なはずの頭脳?であるが、標高と睡眠不足に時差ボケ、そして二日酔いのため思考力はない。タクシーで町へ行くと、坂を登ったり下ったりヒーヒー言いながら町全体が見渡せる1泊US10ドルの宿を見つける。ホテルで高山病に利くというコカの葉のお茶、コカティを立て続けに5杯がぶ飲みするとベットに崩れ落ちてしまった。(コカの葉はコカインの原料だが、ペルーでは日本のお茶のような感覚で飲まれている。もちろん合法)
旅行ガイドには、インカトレイルに行く前は、最低2,3日クスコに滞在して高地順応するようにとある。これを無視するとほぼ間違いなく高山病になるらしい。早くもヘロヘロの体がこのまま持つかは不安であるが、強行するしかないのだ。
■インカトレイル開始 トレッキング1日目
朝5時起床。ボーッとはするものの頭痛はない。旅行会社のミニバスで3時間ほどでトレッキングの基点となるK88駅へ到着。トレッキングのメンバーは16人。休憩の時に言葉を交わすが、半分以上の人には英語も通じない。
9時半、いよいよインカトレイルの始まりである。各々バックパックを背負って歩き出す。トレッキングのメンバー16人の他にガイドが1人、ポーター兼コックが3人が同行する。歩き初めはサボテンや身の丈の倍ほどもあるリュウゼツランの生える乾燥した道が続く。サングラスをしていても風が強いのでコンタクトレンズの私には砂埃が辛い。標高は2800m位なので息苦しさはない。
途中で階段状の遺跡を丘の上から見下ろす。観光案内にも載っていないようなマイナーな遺跡だが、実にりっぱな遺跡である。ツアーを選ぶ時、英語を話すガイドという条件で選んだのだが、私達のガイドのウイリーは、まったく英語が話せないことが判明。ガイドの説明が一言も分からず、このすばらしい遺跡が何なのか最後まで不明のままだ。
■インカトレイルの最難関、4200mの峠越え トレッキング2日目
9時にトレッキング開始。この日はインカトレイル最大の難所、4200mの峠越えである。私は高山病への恐怖から、私達のグループ16名の最後尾から歩き始める。前日から元気のいい若いデンマーク人のマイケル、イギリス人の建築家ピエール、オーストラリア人の彫刻家テリーがまもなく視界から消えた。私は最後尾で若いイスラエル人のカップルの後ろをゆっくりと大地の感触を確かめるように登る。
後ろのグループのメンバーは、10分も登ると息をゼーゼーさせて休憩である。時差ボケが残るものの私はまだ余裕である。かえって彼らの休憩に付き合うとリズムが狂い登りにくい。私は作戦を変更しゆっくり登るが、極力止まらず登るようにした。
傾斜がきつくなっても私はペースを変えず止まらない。そのうちグループのメンバーを最後尾から1人、また1人と抜きだした。4000mほどの高地になると、15人全員を追い抜き、さらには他のグループのメンバーまで次々抜き去る。もちろん、私も苦しいのだが他の人はもっと苦しいらしい。ドラゴンボートで鍛えた肺に感謝だ。標高差1200mの登りの途中、私が休憩したのは服を替えた1回のみ。通常4〜5時間の予定を1時間10分というスピードで4200mの峠に出てしまい、自分でもびっくりしてしまう。
しかしこの驚きも長くは続かなかった。私のグループのメンバーが待てども待てどもさっぱり登ってこないのだ。4200mのアンデスの峠は、吹きさらしで小雨模様、期待していたアンデスの山々は見えず登ってきたトレイルが微かに見えるのみ。雨混じりの風は猛烈に寒い。グループの次のメンバー、フランス人のモハメッドが到着したのが、私の到着後45分もしてからである。それから1時間も待ってすらメンバーは半数も揃わないのだ。私の体は芯まで冷え込み、吹き込む雨で服もずぶ濡れ。もうこれ以上は耐えられず、既に登ったメンバーと一緒に次のキャンプ地に下山することにした。
1時間ほど下った標高3500mの場所にあるキャンプ地は、真ん中に封鎖された小屋があるのみ。どしゃ降りの雨の中、がたがた震えながら小屋の外で数時間も待つ。死にそうな寒さだ。火はもちろん食べ物もない、服も完全に濡れている。結局、最後のメンバーが到着したのは、私達が到着してから4時間も後のことであった。
■驚異のインカの石畳 トレッキング3日目
この日は7時出発。このあたりからはインカ時代のオリジナルの石畳が続く。4000mの山の中まで見事に舗装されている様は、驚異以外のなにものでもない。前日のキャンプ地から300mほど登るとインカの関所兼宿屋だったという半円形の遺跡が現れた。さらに1時間ほどでサヤクマルカという3500mの尾根に立つ遺跡に到着。靄のため視界があまり利かないが、緑が非常に濃くなってきている事がわかる。これはアマゾンから吹き上げる湿った空気によるものだ。
この日の行程は比較的楽で昼の休憩にはグループ全員がなんとか揃う。3日目ともなるとグループのメンバーとも仲良くなるのだが、残念ながら私はスペイン語がまったくだめである。チリから来た女性などは、お人形のようにかわいらしく、スペイン語が話せないのが心底悔やまれた。
雨の中、3時にはこの日のキャンプ地プユパタマルカ(3500m)に到着。ここには宿泊施設やシャワー、そして簡単なレストランやバーもある。もちろん、私達はテントで寝るわけであるが、ここはもう下界にかなり近いといってよい。
■空中都市、マチュピチュ トレッキング4日目
トレッキングの最終日は6時の出発。約1時間ほどで一気に1000mほど下る。天気はこのトレイル4日目にして初の晴天で、歩いていても気持ちがいい。
7時には「太陽の門」と呼ばれる場所に到着。すると突然眼下に世界遺産にも指定されているマチュピチュ遺跡が姿を現した。ここまでいくつものインカの遺跡を見てきたはずだが、私は思わず「あっ」と声を上げてしまった。空中都市の名のとおり、山々に囲まれた威厳さえ漂う遺跡はまさにインカの世界そのものだ。
真っ青な空の中に遠く雪を抱いたアンデスの山々、マチュピチュ、そしてそのすぐ右側にはワイナプチュ峰が続く。私は時間を忘れしばしその場に立ち尽くすのであった。
マチュピチュに到着すると、そこからはマチュピチュのガイドについて2時間ほど遺跡を見学する。都市部、住居、神殿、段々畑すべてが驚き対象であるが、特に見事な剃刀の刃も通さぬほどの石積み技術は、その昔の高度な文化を物語るかのようであった。
■クスコからボリビアの首都ラパスへ
インカトレイルの翌日、ボリビアのアマゾンへ向かうため、朝8時発の高原列車でチチカカ湖(4000m)にあるプーノに向かう。4000mの高地の眺めはすごいの一言。手前の潅木が時折見られる高原にはアルパカの群れ、その後ろには雪を抱いた山々。私は列車の連結器に座り時を忘れて景色を眺めつづけた。この汽車にはスチュワーデスのような女性がいて、食事や飲み物を席まで運んできてくれる。少しリッチな気分だ。4319mの最高高度付近になるとさすがに寒くて連結器の上はつらくなる。チチカカ湖畔の町プーノ(3850m)には、夜7時に到着。
翌朝8時発のバスでボリビアの首都ラパスへ向かう。途中のチチカカ湖のどこまでも青い色が印象的。昼の食事は、チチカカ湖に突き出した半島の町コパカバーナというところで、名物のマスを肴にチチカカ湖を見ながらビールを飲む。幸せな時だ。
世界最高所にある首都ラパス(3650m)に夕方5時到着。前日11時間の汽車、この日は11時間狭いバスでの移動で疲労は隠せない。ラパスでは3つ星のホテルでもまったく英語が通じず、ホテルに部屋を取るだけでスペイン語の会話帳や身振りを交えた大騒ぎ。加えて土曜なので銀行も両替所も閉まっていて、どこへ行っても両替できない。結局無理矢理お金を替えて食事をするだけで数時間もかかることに。
■ラパスから憧れのアマゾンへ
目的地はアマゾンの町ルケ。ホテルで行き方を聞いたが要領を全く得ない。私に残された時間は、往復のバスの2日を含むたったの4日間のみ。仕方なくとりあえず早朝バス乗り場に行くと、ミニバスで途中の町コロイコを目指す。
道は、4600mの岩だらけのすばらしい景観のユンガス山を通過すると、どんどん狭くなりしまいには未舗装かつ、やっと車が1台通れるほどになる。それが山の斜面を張り付くようにくねくねと下り続ける。道の脇は落差300mもある恐怖の絶壁だ。コーナーではまるでミニバスが空中に浮いているようで、車の中からちょっと覗くだけで目眩がする。聞くところによると年間200人がここで命を落としているという。各コーナーには、犠牲者のための十字架がもの悲しく並ぶ。最初は十字架を1つ2つと数えていたが、すぐに数え切れなくなり途中であきらめてしまった。
3000mほど下り、コロイコ(1730m)には11時半に到着。その日の夜行バスでルケに向かおうとしたが、日曜日なのでバスはないとのこと。「もう日程的にアマゾンはだめだ」とすっかりがっかりして、US$30で最高級の5つ星ホテルに泊まることにした。しかし、ホテルにチェックインしレストランで分厚いステーキを食べると再びむらむらと闘志が湧いてきた。「ここまで来たら行くしかない」と思い直し、翌日の夜行バスでルケに向かう事にする。
■アマゾン・ジャングル探検
夜行バスはコロイコを午後3時出発。すぐ暗くなるが座席が非常に狭く、私にはまっすぐ正面を向いて座ることすらできない。その上猛烈に揺れるので私は朝までまったく寝る事ができない。朝7時にルケ着。すぐに旅行会社をあたるのだが、当日では無理だと断り続けられる。やっと旅行会社を見つけ、ガイドのネグロとポーターと共に徹夜のままボートで夢のアマゾン川支流を登り始めた。
アマゾン川は茶色の文字どおりの濁流。その回りに緑のジャングル。私のガイドのネグロはこのアマゾン出身だ。キャンプ地に到着する前に彼の家に寄る。アマゾン川の側にある粗末な家だが、回りには人の丈の何倍もあるバナナの木にたわわにバナナが実り、その他にもパパイア、アボガド、ココナッツなどがあふれんばかりである。まるで南国の楽園だ。とても食べきれないらしく多くは木になったまま腐っている。これでも雨季にはもっとなるというのだから、さらに驚いた。この辺の人は食べるだけならば、まったく働く必要がないだろう。私はアマゾンの底力を見る思いがした。
川を溯ること2時間ほどでキャンプ地に到着。休む間もなくネグロとジャングル探検にでかける。ネグロが蛮刀で道を切り開いた後を恐る恐る歩く。あちらこちらから不気味な動物の鳴き声が聞こえる。ジャングルは昼でも夕方のようだ。私には普通の木にしか見えないのだが、ネグロがいろいろな木の効能や使い方を説明してくれる。一番驚いたのが水の木で、2mほど枝を切るとそこからまるで水道のように水が出てくるのだ。私は喉を鳴らしながらその水を飲んだ。
ジャングルから帰るとネグロとポーターが夕食の準備をしている間、私は憧れのアマゾン川に飛び込み泳ぐことにした。水はミルクコーヒー色だが、徹夜の体にはひんやりとして気持ちがいい。ものすごい勢いなので、海水パンツは何度も脱げ、そのままパンツを掴んだまま体ごと流される。
夕食の後は真っ暗な中、アマゾン川で夜中までピラニアを釣る。餌は握りこぶしほどの豚肉の固まりだ。時々ワニの目が川の中で光る。私は日中幾度もパンツが脱げながらもここで泳いでいた事を思い出し、背筋が寒くなってしまった。こうして前日から続いたアマゾンの長い1日は終わり、深い満足感を感じつつ蚊帳の中に倒れ込むと意識を失うのであった。
■ふらふらの帰路
香港から30時間のフライト、4200mを越えたインカトレイル、ラパスまでの列車とバスの強行日程、そこから16時間の夜行バス。その間、時差が12時間、標高差が4000m、気温の差が30度。加えて睡眠不足と慣れない熱帯でのジャングル探検で疲れは限界に近い。しかしもう私には時間がまったくない。朝あわただしく準備するとボートでルケに戻り、11時発のバスに乗る。
行きの失敗に懲りて比較的大きなバスを選んだのだが、運の悪い事にこのバス途中で故障。途中で行きのバスよりさらに小さなバスに乗り換える羽目に。この狭いバスに21時間。通路さえ荷物と人で埋まっており、まったく身動きはできない。これと比べれば、ペルーまでの30時間のフライトは天国であった。
体は完全に消耗し、さらに悪い事にひどい下痢だ。やっとラパスに到着したころには、私はすっかり病人と化していた。 気力だけを頼りに翌朝7時ラパスを立ち、マイアミで飛行機待ちの1泊を経て、再び30時間のフライトの後なんとか香港に無事帰還。 私の欲張り遠征は、ふらふらになりながらも大きな達成感と満足感をもって終了した。
ペルー、インカトレイル & ボリビア、アマゾンの写真集はここです!
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