
ジンバブエ通信 2002年12月
今回は、妻のやっちーがムタレ拠点をおいて活動している日本のNGO、「南部アフリカの教育を支える会」からの依頼で、会報のために書いた文章を転載します。NGOへの文なのでちょっと硬めの文章ですが、今のジンバブエの様子がよくわかると思います。
■ムタレからのニュースレター
クリスマスを前にして町がにぎわい始めているムタレからお便りします。
この会の活動拠点となっているジンバブエ第3の都市、ムタレに住むようになって8ヶ月が過ぎました。一般的な「乾いた大地」というアフリカのイメージとは違い、モザンピークの国境に近く山々に囲まれたイースタンハイランド(ジンバブエ東部)の州都になっているムタレは、緑が多く色とりどりの花々がいつも咲き乱れているような所です。
クリスマスパスからの眺め
地元のテレビ局のクイズ番組で優勝者にはムタレへの2泊3日の旅行がプレゼントされています。日本人の殆どは首都ハラレに住んでおり、この地方都市には日本人は協力隊の方を含めて現在4人程しかおりませんが、私はこのちょっとローカルなムタレが大好きです。
さて、そんなムタレに暮しているわけですが、今ジンバブエは独立以来続いている土地問題で欧米諸国との軋轢により激動の最中にあります。欧米諸国による経済制裁や昨年の旱魃などの影響で外貨がなくなり、私が来てから8ヶ月の間に、ジンバブエドルの価値はどんどん下がりました。
ブラックマーケットでは4月にUS1ドル=ZW300ドルだったのが、現在ZW1100ドルになっており、それに合わせて物価は毎日のように値上がりしています。公式発表では少なくとも2.5倍、実際品物によっては10倍にまで上がった物もあります。しかし、政府の公定レートはZW55ドルのままで、ブラックマーケットとの差がなんと20倍,という現状です。
物価はどんどん上がっているのに、輸出業者は海外から受け取ったUSドルの代金を否応なく銀行でZW55ドルで換金させられてしまうわけですから、普通の会社は経営していけません。輸入物はどんどん高くなり、またどんどん不足しています。
また11月で政府は全両替所を無理やり閉鎖させ、銀行で公定レートで換金させる強行手段に出ました。外貨で暮らす私達にとっても深刻な問題で、公定レートで替えると例えば米2キロでさえ今や4500円になる計算で、日本より何倍も高くなりここで暮らしていくことが難しくなります。10月からはガソリンも2年ぶりに危機状態になり、現在も手に入れるのが難しい状況です。
このような経済の混乱、そして昨年の旱魃による食糧不足と、現地の人々は非常に過酷な暮しを強いられています。物価にスライドして給料が急に上がるはずもなく、以前は買えた物が今では手の届かない物になっていきます。それに加えて主食のサザの原料となっているメイズの不足、塩・砂糖油の不足、現在ではサザの代わりに食べているパンや原料の小麦粉も不足してきており、毎日スーパーで長蛇の列となっています。
私ももちろん現地の人に混じって並んでいますが、ジンバブエの人が皮肉で「現在のトレンドはパンの列」と言っている程です。スーパーに買い物に行くと、以前は豊富だった品数の種類もどんどん少なくなってきてため息をつくばかりで、小麦粉やガソリンのために並ぶなんて日本で暮していれば一生経験することはないと思いますが、こちらでは当たり前になってきました。
ジンバブエの北部、南部地域では旱魃による食料危機が深刻で、現在何百人もすでに飢餓により死んでおり、今年も実りの雨がなかなか降らず、人々は暗い表情です。このような苦しい生活状態の中、治安も悪化してきています。
私は現在ムタレ郊外にある大学で、アフリカの他の国々からの留学生と一緒に学んでいますが、皆自分の国の問題を真剣に受け止め、将来国の発展に貢献できることを志す人も多くいます。未来の自分の夢を語ってくれた時はみんな目がきらきら輝いていて、眩しくなりました。
アフリカでは多くの国がまだまだ様々な問題を抱えていますが、皆必死で抜け出そうとがんばっています。そんな姿に触れ、ジンバブエで現地の人々の生活自立を目指し、地域に根ざした援助をずっとしているこの会の活動が、いかにジンバブエの人々に力強い手を差し伸べてきたかを考えると胸が熱くなりました。
苦難の最中にある、現在の状況の今こそ、ジンバブエの人々は真の援助を必要としていると思います。この会の活動が、一人でも多くのジンバブエの人々に希望を与えてくれることを、ムタレより願っています。
2002年12月 自宅より
− おまけ −
やっちーがニッポン放送の『お願いDJ!小林克也のはっぴいウィークエンド』(2年10月12日)にジンバブエから生出演しました。内容は本人は納得していないようですが‥(笑) ここです。
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