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 ジンバブエ通信 2002年5月

■国外退去の危機

 外国で働くときには就労許可なるものが必要となります。これがないと、いわゆる違法滞在外国労働者になります。ジンバブエに赴任が決まり入国管理事務所に申請を行うと、1ヶ月で取得できるとのことでした。1ヶ月日本で待ちましたが、そこはジンバブエ、そんなことはまったく当てにありません。

 そのようなわけで赴任時には観光ビザで入国して、公式には働かないで許可を待つことになりました。(このようなことは他の日本人を含めジンバブエでは普通のことです) 

 ところが5月のある日、非常に厳しい入国管理事務所の係官にその事見つかってしまい、いきなり7日以内の国外退去命令を出されてしまったのです。国外に出ると言ってもここは首都から260キロ離れたムタレ、まず航空券がそう簡単には手に入りません。それから一番頭が痛いのが家のこと。赴任以来かなりの出費をして電化製品、家具などを買い込んでいるのです。それを家の中に残したまま出国しては、泥棒にクリスマスプレゼントするようなものなのです。それを避けるには、どこか安全な場所に保管しておかなければならないわけです。それからもっと深刻なのは、出国してもいつ戻れるかまったく保証がないことです。もしかしたら1年もなどと。ここまで考えると目の前が真っ暗になってしまいました。

 国外退去が宣告されてから、退去のための準備と一縷の望みかけて再度係官と交渉することを同時に開始しました。ところが再度係官と交渉し、ジンバブエでは非常に一般的なのですがお金、つまり賄賂で国外退去の取り消しを試みました。(驚いたことに最近は自動車の免許まで賄賂がないと取得できないそうです) ところがこれが逆効果で「刑務所にいれるぞ、この部屋からとっとと出て行け!!」とまで言われてしまったのです。

 私は、これで万事休すかと思い、夜も眠れず食事も喉を通らなくなってしまいました。そのことを妻に話すと、妻が知合いに相談しました。すると係官も人の子、一般的に女性には弱いらしいことがわかりました。そこで私達は駄目でもともとと、最終日に最後の賭けをすることにしました。

 作戦はこうです

・私は完全に嫌われているので、低姿勢で沈黙を守り妻だけが話す。
・就労許可を申請中にジンバブエに滞在できないことはまったく知らなかったことにする。
・他の係官には滞在は問題ないと言われていたことを述べる。
・私達がジンバブエの国、ジンバブエ人、そしてサザ(こちらの主食)が大好きだと伝える。
・私達がいることでジンバブエ人に仕事を与え、ジンバブエ社会に貢献できることを切々と言う。
・なんとか係官の力で私達を助けてくれてと訴える。

 最後の突撃に備えて、私達は夜遅くまで内容を念入りに作成し、妻がそれを暗記し、繰り返し練習を行いました。

 当日、入国管理事務所に恐る恐る出向き、妻が迫真の演技で涙を流しながら練習の成果を切々と述べると、不思議なことにあれほど不機嫌な係官がまるで人が変わったように話を聞き始め、なんと最後には私と固い握手まですることになったのです! 結局、夕方別の場所に呼ばれると、8000円の週末を過ごすための資金(彼らは賄賂とは絶対言いません)で滞在を許可してもらうことに成功したのです。

 ちなみに私が国外退去を命じられたその同じ日、日本に住んだことがあるという知合いのアンゴラ人(9月から京都大学に留学予定)は、同じくビザの問題で同じ係官に実際に刑務所に入れられました。1週間後、彼は300USドル(こちらでは大金)の保釈金で刑務所から出所してきましたが、刑務所では1週間食べ物もなく、夜はこの寒空の中で毛布1枚とパンツだけで過ごさなければならなかったそうです。私と妻も一歩間違えば同じ目にあったはずで、この話を聞いてぞっとしてしまいました。


2002年5月31日 自宅にて 
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