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 ジンバブエ通信 2003年9月


■ビクトリアフォールズへのプロローグ − 悪夢の始まり −

 8月に妻やっちーの友達がアメリカから来るということで、彼女は大張りきりで半年以上も前からジンバブエ随一の観光地、ビクトリアフォールズ行きの準備を進めていたのです。
 
 高級ロッジやサファリなどのアクティビティ、ハラレとビック(ビクトリアフォールズ)間の飛行機とすべてを抜かりなく予約し、払い込みを済ませてクーポンと航空券をゲットしました。

 現金も今やゴールドの価値がある500ドル札で用意、これですべてが完璧と思われました。やっちーの友達とはビックで合流し、私達にとっても初のビックを初日から大いに楽しめるはずでした。

○悪夢の始まり 
 当日は、国内線にもかかわらず出発の二時間以上も前に空港に到着し、ジンバブエ航空のチェックイン・カウンターでチェックインしようとしたのです。そして悪夢は始まりました‥。
 
 ジンバブエ航空のスタッフが私達の航空券をコンピューターに入力するや、にこやかな表情が急変。「名前どころか航空券のフライト番号も存在しない」とのこと‥。そして「代理店が間違えて発行したのだ。なんとかするから出発時間の30分前の8時半に来るように」と無表情に言われてしまったのです。
 
 あまりのことに私達は呆然とし、「そ、そんなはずはない‥」と言うのが精一杯。航空券には「ジンバブエ航空発行」としっかり書かれており、スタッフが言った事はどうみてもジンバブエ人お得意のその場しのぎの返答。つまり「なんとかする‥」と言う意味は、ジンバブエでは『絶望』という意味ではありませんか!
 
 私達がビックに行けないだけならまだ諦めがつきます。けれども、友達は、大金をはたいてジンバブエに来るのです。しかもビックで必要なすべてのクーポンは友達の分も私達が持っていて、彼女は予定すら知らないのです。
 
 8時半まで待っていたら、『絶望』なのは分かりきっています。再度列に並んで必死に抗議。けれども返事は同様。それどころか「忙しいからさっさと行け」といった対応。しかも私達と似たような状況の人達がかなりいる様子なのです。

 その中のある外国人は、「今日の次の便は何時?」なんて聞いています。もちろん燃料不足のジンバブエにそんな便があるはずもなく、明日以降の便も予約が一杯だとのこと。

 時間だけが刻々と過ぎていきますが、ジンバブエ航空の作業着を着た小太りのスタッフは「今シャッフルしている」なんてトランプじゃあるまいし、訳のわかないことを言うのみ。
 
 私はジンバブエでの習性で、最悪の事態への対応を考え始めました。最優先は、ビックに到着予定の友達への連絡。次にどうにかしてビックに行かなければなりませんが、陸路では何もかもうまくいって最低2日。これでも3日滞在の予定のほぼすべてが「パー」になるということなのです。

○ジンバブエ航空恐るべし!
 そうこうするうちにチェックインの時間が終わり、離陸時間が近づいて来ました。この直前の時間になって「1名だけ乗れる」とあるスタッフが言うではありませんか! 

 私はとにかく藁をも掴む気持ちで、やっちーだけでも乗れるように頼みました。けれでも、30倍を超える競争率の中、結局乗ることになったのは葬式に参加するというインド系のおばさんとなりました。おばさんは、それはもう大喜びで大きな荷物を持って颯爽と飛行機へと向かったのでした。
 
 カウンター周辺には何十人もの人が取り残されましたが、ジンバブエ航空のスタッフは、仕事が終わったとばかりにさっさといなくなってしまい、ビック行きの飛行機はあっけないほど簡単に飛び立ってしまったのでした‥。
 
 ところが数分後、大きな荷物を持ったあのインド系のおばさんがトボトボとうな垂れて戻ってきたではありませんか!「どうしたの?」と尋ねると、「飛行機の中には入ったが席がなかったので下ろされた」とのこと。
 
 一度大喜びさせてのこの仕打ち! 天国から地獄とはこのこと。さすがに気丈なおばさんも心底参ったよう。話を聞くと昨日からこの調子だとのこと‥。「ジンバブエ航空、恐るべし、侮るべからず!」 私は固く心に誓いました。


■ビクトリアフォールズへのプロローグ − 乗客の運命は −

 残された約30人の乗客は、スタッフもいなくなり途方にくれていました。

 やっと20分ほどすると「今シャッフルしている」と、とんでもないことを言っていた小太りのスタッフが、実は上のマネージャーで、今度は「うちのコンピュータ・システムはいつもこうなんですよ。誰かを入れても他が出ていかないんです〜。」なんて、悪びれずもせず、微笑を浮かべながら話し始めたのです。
 
 残された乗客はたまらず、「なんとかしろ!」と抗議します。ところが答は「国内からは飛行機がすべて出払っていて一機も残っていないからねぇ〜」と、一言。私はジンバブエ航空に頼っていてはまずラチがあかないと思い、最悪のシナリオに沿って行動し始めることにしました。
 
○ジンバブエ航空との交渉
 この残された30人の私達の仲間は、アメリカから初めてアフリカに来たと言う中年のカップルを始め、イタリアからの団体旅行客、イギリスの旅行客などと様々で、もちろん地元ジンバブエ人もいます。

 30人が入れ替わりジンバブエ航空に必死に抗議します。その中で一番果敢に交渉にあたったのが、10人のイタリア人団体を率いる添乗員らしき人。さすがプロ、抗議は気合が入っており、旅行がキャンセルされた場合の賠償問題など専門的な話にも及んでいるようです。
 
 私達も負けずにとにかく抗議し続けました。とりあえずジンバブエ航空は、休憩のホテルの手配まではすんなりしてくれました。さて問題はその先。どうやってビックに行くかです。ジンバブエ航空のマネージャーが対策を考えるとのことで、その後しばらく待機となりました。

 こうして待つ事約2時間。なんと、ジンバブエ航空が特別便を夜に出すと言ったらしいのです。私は耳を疑い、全く信じることができません。ところが例の小太りのマネージャーが出てきて、「夜ビックに飛行機を出す」というではありませんか! 

 私は普通に考えても航空会社が臨時便を出すなんてとても信じられないので、たたみかけるように「100%確実なのか?」とつめよりました。マネージャーの答えは「メイビー(たぶん)、90%」とのこと。
 
 とにかく他に方法はないので、私達は疑心暗鬼でジンバブエ航空の用意したホテルで試験の合格発表を待つような気分での待機となったのでした。
 
 
■ビクトリアフォールズへのプロローグ − 復活の時 −

 ジンバブエ航空が用意した高級ホテルでは、ランチビュッフェと飲み物が無料となりました。ここでも元気なのはジンバブエ人のグループ。

 ビュッフェでは、そんなに取って大丈夫かと思うほどに皿から溢れるほど取りまくります。ハラハラしながら見ていると、当人達が食べる分だけでなく、まるでそういう事が当たり前でもあるかのように、どんどん折り詰めにしてお土産に。そしてまるで普通の宿泊客のようにビールを飲みまくり、なんだか楽しそうではありませんか‥。
 
 ところで、この待機中にビックに到着した友達とは連絡が取れ、幸いにもクーポンなしでロッジの部屋に入れてもらえるとのこと。これで最悪の事態への対応はできました。私達はこの時でさえ半信半疑なので、友達には「今日着けるかもしれない‥」としか伝える事ができませんでした。
 
○チェックイン開始!
 ジンバブエ航空のバスで夜6時に空港に着くと、驚いた事に既にチェックインが始まっていました。どうやらジンバブエ第二の都市ブラワヨに行く定期便を、強引にも倍以上も大回りさせて、ビック経由に変更してしまったらしいのです。日本で言うなら、東京発の大阪便を札幌経由で大阪便に変更したようなものです。
 
 さすがジンバブエ!! 常識を超えたあっけにとられるようなあいまいさといい加減さは、逆に使えばこういう、常識では不可能なことをも可能にしてしまうわけです。そのための燃料は、きっと今を凌げばよいと明日のことは考えず、ちゃっかり他のものから拝借したに違いありません。
 
 一方、本来ブラワヨに行く予定のお客さんはたまりません。30分で着く予定が、2時間以上もかかるわけです。皆揃って文句を言っていましたが、私は心の中で「冗談じゃない、こっちは10時間も既に待っているのだよ!!」と冷たく言い放つのでした。
 
 こうして私達は午後8時近くにハラレを飛び立ち、到着するまで続いた疑心暗鬼にも関わらず、午後9時にはめでたくビクトリアフォールズに到着したのでした。

○あっぱれ! ジンバブエ!! 
 架空の正規航空券を外国でまで大量発行し、それを悪びれもせずいつもの事と対応し、燃料不足の中で定期便の行き先すら変えてしまう国営ジンバブエ航空‥。

 同じ境遇のジンバブエ人の乗客は、こんな状況下、ホテル待機を楽しみ、さらにゲットした大量の折り詰めで、空港のセキュリティ装置で引き止められて、あやうく夜の便すら乗り遅れそうになっている‥。
 
 これだからジンバブエは本当に侮れません。私は今回もジンバブエ、ジンバブエ人の奥の深さを痛切に思い知らされたような気がしたのでした‥。
 
 
 ところで、肝心の一人待つやっちーの友達と言えば、私達の決死の苦労にも関わらず、加えて3年ぶりの奇跡とも言える再会なのに、「あれ、今日着いたの? 私、眠いから寝るね」と、まるでなにごともなかったかのような一言で、自分の部屋にそそくさと消えてしまいました。

 お互い抱き合うような涙の感動の再会を期待していた私達は、一気に全身の力が抜けて、15時間にも及んだ戦いの疲れがどっと襲ってきてしまったのでした‥。



 ビクトリアフォールズのラフティングやチョベ国立公園でのサファリの様子を書こうと思ったら、プロローグだけ終わってしまいました‥。その話は来月号にて。



2003年9月7日(日) 8時 曇りの自宅にて
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