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 ジンバブエ通信 2003年5月

今回は、一年ぶりに日本に一時帰国した時の感想などを紹介します。

驚きのSARS(重症急性呼吸器症候群)

 ジンバブエから日本に帰国する際、料金が一番安く、香港乗換えと便利な事からキャセイパシフィック航空を使って帰国することにしました。もう一つの重要な使命としては、妻のやっちーに香港で日本のドラマの海賊版一年分を買って来るように命じられていたのです。やっちーは先に一時帰国し、今回は家を強盗から守るため留守番です。
 
 ところが、帰国が近づくにつれてSARSの話題が持ちあがってきました。日本や他の国に住む友人からは「香港だけは行かないように」と忠告され、さすがに私も心配になってきました。香港に住む複数の友人にメールで問い合わせると、在留邦人の感染はなく致死率も低いとの返事があり、予定通りの帰国することに。けれども、香港から名古屋への便が出発数日前に運休となり大阪便になってしまいました。
 
 ヨハネスブルグから香港行きのキャセイパシフィックに乗ると、すぐに医療用のマスクが支給されました。アフリカ人達はこの時点でかなりの人がマスクを着用、フライトアテンダントもマスクにゴム手袋まで着用していました。アフリカで流行しているわけではないので、私などはちょっと違うのではないかと驚いてしまいました。
 
 結局、香港到着直後に予定の大阪便も運休となったことを知らされ、台湾経由での大阪便となってしまいました。この乗り継ぎ時間が10分しかなく、空港内をマスクをしたまま、荷物をかついで端から端まで汗だくの全力疾走となったのでした。
 
 帰りは成田からだったのですが、この時は出発時から全員マスク、そして香港では入国時にも全員が体温を測られるというものものしさでした。香港の空港はそれこそ閑散としており、このSARSの影響のすごさを物語っていました。おかげて、空港からホテルまでのバスは、黒塗りのベンツを独占となりちょっと得したようです。

 それにしても機内や空港ではほぼ100%の人がマスク、地下鉄やバスでもほとんどの人がマスク姿の香港は、なんともSF映画で見た隔離された都市を思わせました。対象的に香港に住む友達らは、いつものように仕事をし、ドラゴンボートの練習に精を出し、私の飲み会にも集まってくれて、いつもと同じ生活をしていることが印象的でした。

 ところでこのSARS騒ぎ、今現在の死亡者が世界中で約400人、致死率5%、確かに原因や治療法が確立しておらず大変なことには間違い無いとは思います。けれどもアフリカに住む者としては、WHOによるとアフリカではマラリアで1日あたり幼児子供3000人が死亡、年間感染者は100万人以上、西アフリカでは髄膜炎で今年死者が1200人以上、致死率は14.8%、コンゴではエボラ出血で死者が140人、致死率は88%であることを考えると、同じ人間なのにムチャクチャ差がある報道、対応なのではないかと思えてしまうのです。


■一時帰国時の日本、香港、ジンバブエの印象とは

○我が祖国 日本  − 夢の国、ジパング −
 1年ぶりに日本のインターネットカフェでウェブサーフィンしたのですが、その速さには驚いてしまいました。ジンバブエでいつも苦労して開いているウェブが、それこそサクサクと表示されるのには感動ものです。体感でもジンバブエとは100倍は差があるように思えました。私には、この差はジンバブエとの技術の差のようにも思えました。そして、普段は見ることができないウェブもたくさん見ることができ、時の過ぎるのを忘れてしまうのでした。
 
 米、ごはんのおいしさは格別です。私などは、ファーストフードのカレー屋さんのごはんに、「これならカレーなしでもごはんだけで十分いける!」と感動してしまいました。反対にジンバブエに戻り、いつもの外米を食べた時は、「これが同じ米か‥」と思ってしまったのでした。(笑)
  
 ところで、今日本は長い不況の中にあり元気がありませんが、私に言わせれば不況の中でもこれだけの経済、社会状況、合理性、教育水準などを維持している日本は、客観的に言ってすごい国としかいいようがありません。あとはもっと日本人が、日本人、日本という国に自信を持って元気を出し、乱れてきたモラルを正して日本人らしさを取り戻せば、不況なんて吹き飛んでしまうのではないかと思えます。途上国から見たら、間違いなく日本は依然として夢の島、ジパングなのです。

○第二の故郷 香港 − ジンバブエとの対極にある地域 −
 1年ぶりの5年間住んだ香港の印象は、香港こそが今のジンバブエといい面でも悪い面でも一番対極にある所なのではないかというものです。
 
 よい面としては、合理性を追求したあらゆる作業、規制の少なさ、超近代的なビル群や道路や空港、情報のアクセスのしやすさ、あらゆるものが狭い地域に集中していることなど。とにかく買物するにしても、食事にするにしても、銀行などでいろいろな手続きをしても、これほど楽に作業が進み、選択の幅があるところは私は知りません。

 スケジュールを立てて、そのままスケジュール通り進む快感は、この1年間私が遠いかなたへ忘れさっていたものです。私にとって滞在するなら日本よりも香港の方が快適なくらいで、故郷に戻った感すらしました。(余談ですが、香港に日本の居酒屋が増えたのには驚きました。出てくる物も日本と変わりません。日本食だけなら日本に戻る必要がないかも‥。)
 
 悪い面としては、やはり空気の悪さ、緑の少なさ、人の多さなどが上げられると思います。私などは町を歩いていて、咽はもちろん、目さえもチカチカして痛くなってきてしまいました。それからちょっと気になったのですが、英語が通じにくくなってきているようです。このまま国際都市を目指すなら、老婆心ながら厳しいと感じました。

○アフリカの大地 ジンバブエ − わが町ムタレ −
 一時帰国する前、日本へ帰国したら、もしかしたらジンバブエに戻りたくなくなるのではないかと思っていたのですが、全くそうはなりませんでした。物がなく、経済がガタガタで犯罪が増えているといっても、それでもこの国、特に私の住むムタレには早く帰りたいと思ってしまうのでした。

 ハラレからバスに乗り、徐々に増えていく緑を見て、さらにムタレに近づきクリスマスパス(写真の峠)から緑に囲まれたムタレの町を見た時は、心の底からほっとしてしまいました。

 世界中どこにも負けないとすがすがしい空気を吸い、果物や野菜がたくさんできる広い庭の家に住み、透き通るような青空の下で2頭の犬と自由に散歩し、夜はこぼれ落ちそうな星を見ていると、これが最高に贅沢な生活かもしれないと思う私なのでした。


2003年5月4日(日) 晴れの自宅にて

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