アフリカ体験 (ウガンダ編) - 1
-- 青年海外協力隊 任国外研修旅行 --
■黒い大陸の真珠、ウガンダへ
青年海外協力隊員が任国外旅行できる国は、派遣国により予め決められている。ケニアではJICA事務所の方針で、任国外旅行ではその中でも二カ国までとなってい
た。
ケニア隊員が行くことの出来る国は、タンザニアの他にマラウイ、エチオピア、ザ
ンビア、ウガンダがあった。けれどもこの時エチオピアは、1991年に私が国外退去したようにとても行ける状態にはなかった。ザンビアも政局が不安定で、隊員は首都に集まってもしもの場合に備えており、渡航自粛の勧告が出されていた。マラウイは平和ではあったが、頻繁にマラウイ隊員がナイロビに来ていたのでその様子はかなり知
られており、私は出来れば他の国に行ってみたかった。
残る選択はウガンダである。ウガンダにしても政局はアミンの時代から不安定で、協力隊員はもちろん活動していないし、観光で行ったなんて全く聞いていなかった。
「それならば私が行ってこよう」それがウガンダへ行くことにした最大の理由である。
調べてみるとウガンダは、その昔英国のチャーチルをして「黒い大陸の真珠」と言わしめたほどで、東アフリカでも最も自然の豊かなところだったそうだ。首都カンパラも以前は驚いたことにナイロビより栄えていたのだそうだ。
また、私はナイロビで個人的に英語を習っていたのだが、私の先生は何を隠そうウガンダ難民で、彼からは「ウガンダは良いところだった」とよく聞かされていて、興
味があったのである。
余談になるが、この個人レッスンの値段は私が外国人ということで割高であったが、
1時間4百円程であった。もちろん協力隊員にとっては、この値段もきついものがあったが、彼からは英語だけでなく難民から見たケニア人についての裏話、あるいは彼
らは危険については特に敏感であったので、いろいろな情報を得ることが出来て非常
に重宝していた。
JICA事務所にウガンダ行きを申し出たときは、「なるべくならやめるように」 と言うことであった。交渉した結果、空路往復使うということでなんとか許可を取り付けることが出来た。国境には半ば盗賊化した反政府ゲリラがいまだに活動しているからである。
私がウガンダに行く前のウガンダに関する知識と言えば、あの人を食っていたとい
う有名なアミンの国というものしかなく、ほとんどゼロに近いものであった。
ちなみ にナイロビではアミンをテーマにした映画が繰り返し上映されており、なかなかの人気である。特にアミンが白人の美人秘書を顎で使うシーンや冷蔵庫から生首が飛び出
すシーンは、場内はざわめきの渦に変わるのであった。
私は夢の島ザンジバルから一度ナイロビに戻り飛行機を乗り換えると、一路あのイスラエル兵がハイジャックされた飛行機を救出したことで有名なエンテベ空港へと向かった。
空港ではやはり予期していたようにコレラのイエローカードがないというこ
とで、足止めされてしまった。しかし今回はキリマンジャロ空港で練習?した言い訳
をマシンガンのように言ったら、20分ほどであっけないほど簡単に許してもらうこ
とが出来た。
この日はすでに夜だったので、タクシーでまっすぐエンテベの町へ行きロッジに宿泊した。ロッジでは日本人が珍しいのであろう、停電のバーでビールを飲みながら夜遅くまで日本やウガンダについて多く語り合うことが出来た。彼らも日本については車や電気製品を通してよく知っていて、日本人については優秀で働き者であると言うイメージを持っているようであった。
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