アフリカ体験 (ザンジバル編 in Tanzania) - 3
-- 青年海外協力隊 任国外研修旅行 --
■私のサンジバルの過ごし方
私のザンジバルでの過ごし方を紹介しよう。まずは昼の部から・・・。
ザンジバルと言えばやはり海である。ザンジバルタウンの近くは砂浜がないので、ホテルの前の海岸で小舟をチャーターして、ほとんど人はいないというブエニ島へ行くことにした。40分ほどで到着した小島は個人の持ち物だそうで、周囲を一周しても数十分ほどである。島の周りは珊瑚礁で所々に白い砂浜が続く、そのイメージは私が夢の中で描いていた南の島そのものである。
海の色は島の近くが透き通った薄いブルー、少し離れると恐ろしいほどの濃いブルーである。私は日本から持参した愛用の競泳用のゴーグルを着けさっそく泳ぎ始めた。
珊瑚礁まで泳いでみると、そこは熱帯魚の楽園である。いるいる小さいのから大きい
のまで、青や黄色や赤の魚の数々。それら原色の魚は決しておいしそうではないが、
見る分にはこれほど楽しいものはない。まるで水中に宝石箱をひっくり返したようで
ある。
さらにいろいろな形の珊瑚の間には、日本でも馴染みのある刺々の丸い生物がたく
さんいるではないか。私は思わず微笑んでしまった。それは私の大好物のウニである。
さっそく素手でかなり痛い思いをしながら数個取り、海岸で試食してみた。しかし、
海が暖かいためか時期が悪かったのか、今一つ味は物足りないものであった。これだ
けたくさんあるのに本当にもったいないことだ・・・。
私にとっては本格的な珊瑚礁の海も熱帯魚達も初めての経験である。時のたつのも 忘れて、一日中マンボウのようにプカプカと海に浮かんでいるのであった。
さて、次は夜の部である。
ホテルのバルコニーで夕涼みの後はザンジバル最大の娯楽、映画の観賞である。ザ
ンジバルはうれしいことに、夜間外出禁止令のアジスアベバや一人で夜歩くにはそれなりの覚悟のいるナイロビとは違い、問題なく外出できる。
映画館の周りには屋台がでており、さっそく揚げダコやらムシカキ、砂糖黍ジュー
スを買い込むと扇風機のまわる映画館でわけのわからない三流映画の観賞である。ザ
ンジバル人も家族で思い思いに映画を楽しんでいる。このような光景を見ると毎日ボロボロになって働き、家ではバタンキューの我が日本の24時間戦士とどちらが幸せ
なのだろうかと思うことしきりであった。
こうして書き進めていると、任国外「研修」旅行とは言っても遊んでばかりではな
いかと思われているのではないだろううか。
協力隊員の名誉の為にザンジバルでの 「本来」の目的の方も少し触れておこう。
私がここにくるために作った?目的とは、
やはり博物館の見学である。そのためにケニア国立博物館の同僚には、ザンジバル博
物館の知り合いに手紙まで用意してもらっていた。けれども訪ねていくとその知り合
いは留守でせっかく詳しく教えてもらおうとしていただけに残念なことであった。
この博物館で目を引いたのは、アラブ人の伝統的な資料とともにリビングストンや 宣教師達の遺品、そして遠く中国製の陶器であった。これらを見ているとますます歴史への興味がかきたてられ、先人達の苦労が忍ばれるのであった。
ところで全く話は変わるが、ザンジバルにも40年程前まで「からゆきさん」がいて、彼女達の営んでいたジャパニーズバー跡があるのにはびっくりしてしまった。彼女達はなかなかの人気だったそうである。機会があれば詳しく調べてみたいものである。
もう一つの目的とは、ザンジバル情報文化観光省で活動中の同期の美術隊員の活動現場の見学である。人々に尋ねること約半日。なかなか見つからないはずで、やっと 見つけた場所はなんと1740年にアラブ人たちが要塞として建てたオールド・アラブ砦 の城壁の中にあり、銃眼の残る四方の塔が活動場所であった。
ここでも残念なことに同期の隊員は本土の方に用事があり留守であった。代わって説明してくれたのが、3年目の先輩隊員である。彼らの活動とはザンジバルの若い人
たちに絵や工芸品作りなどを教えることで、将来的にはそれらをみやげとして売り出
しザンジバルの経済に貢献するというものである。
確かにこの島には特にこれと言っ たおみやげが見あたらない。生徒達の絵を見せてもらったが、これがいかにもアフリ
カの自然の感性を生かした伸び伸びとした絵で、お世辞ぬきにすばらしいものであっ
た。私はなんとかいくつか譲ってもらおうとしたが、今は在庫がないとのことなので
諦めざるをえなかった。
ザンジバルにはわずか5日間の滞在で表面的なことしかわからなかったが、この島ののんびりとした雰囲気や異国情緒、自然は本当に病みつきになりそうなものであっ た。
ザンジバル編 完
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