アフリカ体験 (ザンジバル編 in Tanzania) - 1
-- 青年海外協力隊 任国外研修旅行 --
■憧れの島、ザンジバルへ
キリマンジャロ登山後、モシ(キリマンジャロの麓の町)のYMCAに2日間滞在したが、山 頂からの直滑降の後遺症はまったくひどいものだった。私の見るも無惨な姿を見て、 誰が私がアフリカ最高峰まで登ったことを想像できただろう・・。 その間マンダジ (アフリカンドーナッツ)だけで過ごしたのだが、 YMCA内の店に買いに行くのがキリマンジャロ に登るより大変に思えたほどである。
何とか歩けるようになると、私は次の目的地ザンジバル島へタンザニアの首都ダル ・エス・サラーム経由で向かった。私としては飛行機は余り好きではないのだが、運賃は協力隊がもつし時間がないので飛行機を利用することにした。
「なぜザンジバル島か?」 これを説明するためには、話をエチオピア隊員時代に
遡らなければならない。
とりあえずエチオピアには海があった。(今は海側はエリトリアという国になり独
立した) けれどもその頃は、30年も続く内戦のため行くことは窮めて難しかった。
また、私の住んでいた首都アジスアベバでは、もちろん海の幸など滅多にお目にかかれなかった。なにしろタコやイカは悪魔の化身と恐れられている国である。
余談になるが日本から荷物を送る場合、エチオピアではとんでもない税金をかけられ、盗まれることも多い。隊員にとっては死活問題である。しかしそれをただ黙って見ている私たちではない。荷物の上に包装をとったスルメを数枚並べておけば、彼ら
はその臭いとともにその姿に恐れおののき、税金は驚く程安くなり物を盗られることもなくなるのである。荷物を受け取った後、スルメを食べれば一石二鳥と言うわけである。
海、海の幸と言ったらエチオピア隊員にとっては、特別の思い入れがあったのである。そのようなわけでエチオピア隊員は、任国外旅行には大抵買い出しにナイロビ、そしてリゾート?のため海へ行くのが一つのパターンであった。その海の中でも人気があったのがインド洋に浮かぶ楽園ザンジバルで、悲しいかなケニアに半年住んだ私 ではあったが、その習性がまだ残っていたと言うわけである。
ザンジバルはその昔ペルシア、ポルトガル、アラブに支配された歴史を持つ。そのため今でもいろいろな面でアラブの色を濃く残しており、東アフリカでも異色の雰囲気と文化を持つ所なのである。
タンザニアの正式名称が「タンザニア連合共和国」と
言うのは、タンガニーカ(大陸側)とこのザンジバルを合併したためできた名前であ
る。そのようなわけでザンジバルの人々は、今でもザンジバルは一つの国と考えてお
り、そのことを誇りにしているのである。
ところで、ザンジバルに行く途中で首都ダル・エス・サラームに一泊したのだが、その砂だらけでゴミゴミした町には少々がっかりした。海に近いため、砂はコンタク トレンズをしている私にはわずらわしく、滞在中はずうっと涙にうるんだ目をしてい なければならなかった。首都を近い将来移転するためだと思われるが、これならアジ スアベバの方がよっぽど落ち着くように思えた。
ここでは私の本来の任国外旅行の目的?である博物館を見学したが、これまたケニ
アと比べたら貧弱な展示で、オルドバイ渓谷の有名なジンジャントロプ・ボイセイ(人類の祖先)の他は、おもしろそうな物はほとんど見あたらなかった。
この町で一つだけ気に入った所は、アメリカ人経営の
Sno Ice Creamで、内装はとてもタンザニアとは思えない、まるでディズニーランドのような所であった。ここの
アイスクリームは、舌はもちろん、身も心もとろけるようなそれはそれはおいしい物
でした。
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