アフリカ体験(国内訓練編) - 1
-- 青年海外協力隊 --
■派遣前訓練
派遣前訓練は1990年4月16日から7月3日まで合宿形式で広尾と駒ヶ根に分
かれて行われた。私はアフリカ派遣ということでアフリカ・太平洋州圏を訓練する東京の広尾で訓練を受けることになった。
広尾の場合参加者は約150人、主婦もいれば社長、学生、サラリーマン、先生などもいる。その職業や学歴や年齢などもすべて別々の人たちがまったく同じ立場で生活をともにするわけで、それだけでも貴重な経験だったと言うことができるだろう。
さて、派遣前訓練はこのようなお互いの自己紹介から始まった。
今までの仕事が辛いので参加したと言う太平洋州派遣の看護婦隊員
訓練前にタイに行き、人間として悪いことをすべてやってきましたと言う農業土木隊員
自分は中学から不良で、何とかこの機会に立ち直りたいと言う体育隊員
今までの人生うまくいった試しがありません。今度こそなんとかしたいと言う 地下水開発隊員
2年間の禁欲に挑戦すると言う2児の父でもある自動車整備隊員
協力隊こそが自分の青春を燃焼させる場だと言う39才土木施工隊員
このように参加の動機はばらばらで、隊員どうしが変な人たちと言うくらいよく言 えば個性的な人たちの集まりであった。
さて、肝心の訓練のカリキュラムには語学、協力隊講座、任国事情、保健衛生などがあり、それぞれは以下のようなものであった。
語学は、訓練の中で最も重視されているもので、訓練時間の約70%程を占めその総時間数は中学校3年間の英語の時間に匹敵する。講師は日本人も知っているような大学を卒業した外国人で、その質の高さは一般の英会話教室よりも数段上という印象を受けた。
訓練の性格から授業は会話に重点がおかれ、自分の専門分野ごとの授業もある。私などはこの訓練を受けただけで今まで払っていた税金の元をとった気がしたほどである。
クラスは語学力別の2〜8人の小人数制で、授業中は日本語は厳禁である。もっとも訓練も後半になると一日中日本語は禁止となり、その頃になると外国語で夢を見る人も現れる。
というわけで、合宿所内ではあらゆる所で中国語、英語、スワヒリ語、フランス語が飛び交う不思議な空間となるのである。
また終盤には2泊3日の語学研修旅行が行われる。これは語学クラスごとに好きな所へ旅行できるわけであるが、その旅行中にはいっさいの日本語が禁止され、日本で疑似外国を体験するものである。
つまり私たちは電車やバス中はもちろん、レストランや旅館でもすべて外国語で通さなければならない。困るのが一般の人とのコミニケーションで、そのときは私たちの先生が、日本語に通訳するということになる。
けれどもここは日本、各地で私たちは変な人たちと見られ、ある意味では度胸もまでも訓練される結果となる。しかし英語のクラスはまだいい方で、フランス語や中国語のクラス、極め付きのスワヒリ語のクラスなどは、どこに行っても先生が通訳するということになるのである。
この語学訓練は、終了時には全くその言葉を知らない人でも、それぞれの外国語で曲がりなりにも劇ができるほどになるのだから、かなり成果があると言えるだろう。
協力隊講座では「協力隊事業概要」「国際関係と南北問題」「国際協力と援助の哲学」「異文化の理解と適応」「途上国の国造りと適正技術」などを学んだ。講師はKJ法で有名な川喜田二郎氏や亜細亜大学学長の衛藤氏などで、学生時代はともかく社会人の私にとっては、非常に考えさせられる有意義な講義であった。また変わったところでは、 異文化というものを体験するために、アメリカ海軍が開発した「Bafa Bafa」という異文化シュミレーションゲーム等もあった。
任国事情講座には「任国における協力隊の活動と役割」「任国事情研究」などがあった。この講座は、ほとんどの隊員にとって任国は未知の世界であるので、その国の事情通から話を聞くというもので、その内容によって隊員は一喜一憂するのである。
私たちエチオピア隊員は、エチオピアでは隊員は夜6時半以降外出が禁止されていることや国内旅行も難しいことを聞き少なからずがっかりしたものだ。
保健衛生講座では「健康管理及び予防接種」「精神衛生講座」「救急法」などを学んだ。この講座により隊員は協力隊に参加したことを少し後悔し、また今まで馴染みのなかった熱帯病や寄生虫に親しむことになる。
派遣国により病気になる率は大きな差があるが、国によってはほとんどの隊員がマラリアにかかる国もある。ちなみに協力隊で交通事故に次ぎ死亡率が高いのはマラリアである。
訓練期間中に私が接種した予防注射は、破傷風2回、ポリオ2回、狂犬病2回、コレラ2回、黄熱病1回、HBワクチン2回があった。
カリキュラムの主なものは以上のようなものであるが、その他に料理から髪の切り方・ロープの結び方等々を実戦で学ぶ特別講座、体育、一日モトクロスコースを走り回る練習を含む交通安全講座、生活指導、地域社会との交流などがあった。また毎週講座に対するレポートが義務づけられ、試験も2度実施されたのである。
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