アフリカ体験 (キリマンジャロ編) - 2

         -- 青年海外協力隊 任国外研修旅行 --


■ キリマンジャロとの再会

 1992年1月13日、午後1時頃キリマンジャロの登山口のある標高1550mにあるマラングという所に着いた。まずタクシーの運転手に紹介してもらった小さなロッジに行く。なかなか清潔そうで値段も手ごろなので、その日はそこに泊まることにした。

 さて、次はいよいよ登山の準備である。とは言ってもキリマンジャロへは一人では登れない。最低でもガイドとポータを雇うことがタンザニア政府から義務づけられている。加えて、私はハイキングの経験はあるものの富士山にも登ったことのない登山のど素人である。そこで一番簡単で確実な方法であるホテルなどで募集してるツアーに参加することにした。

 私はガイドブックに載っているホテルを次々訪ねて交渉して回った。キボホテルなど有名な所は、およそ5日間のコースで入山料から食事、ガイド、ポーター、食事などすべて含んで450ドルほどであった。ツアーに参加する人数が多いと安くなるらしい。けれども覚悟はしていたものの私にとってはきついものがある。

 協力隊員の生活費はケニアでは月約380ドルほど、それを半年間一般のケニア人のように飲まず食わずに近い状態で切り詰めてやっとためたお金である。交渉中はできる限り値段はもちろん食事の内容、何が含まれているかを細かくチェックした。結局ちょっと心配ではあったが、泊まることになったロッジが1泊分のホテル代を含めて350ドルということなので手を打つことにした。しかしツアーと言っても参加者は私ひとりだけであった。

 さっそくロッジのマネージャーからガイドを紹介してもらった。ガイドのサファエリは、年の頃50才くらいの小柄でちょっと眼孔鋭いおじさんだった。「このおっさんがキリマンジャロに登れるのかしら?」私は少し疑ってしまった。

 ところで私がナイロビから持参した装備は、3シーズン用の寝袋と軍手にジャージ、薄手のセーターとジャケット、穴のあいたスニーカーなどであった。麓では何でも借りられると言うことであったので、ほとんど普段の格好でやってきたのだ。素人考えでも6000m近い山に登るには、この装備は不安であった。特にナイロビで買った偽物リーボックは心許ない。そのことをガイドに尋ねると「Hakuna matata (心配ない)」と言う。「とりあえず夏なのだから大丈夫なのだろう」と高を括ってしまった。

 夕方、村の中を散策しているとついに雲の切れ目からキリマンジャロがその雄姿を見せた。麓まできているので全体の形は見えない。雪をかぶった平たい頂上のみが見える。一年前エチオピアから内戦悪化のためケニアに避難中に、ケニア側からその姿を見ていたが、あのときは目の前にあるのに登れないというジレンマで一杯だった。しかし今度は違う。私は思わず気合いがはいってきた。


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