アフリカ体験(ケニア編3) - 3
-- 青年海外協力隊 --
■I先生の館オープン祝い御一行の旅
92年5月15日午前8時、「I先生の館オープン祝い御一行」(今回の参加者はこのように自称していた)は、その日の宿泊地マララルのロッジで落ち合う予定で、
それぞれの家から4WDにて出発した。
私は家が近いということで、医者のTさんの車に乗せて頂き、霧の中を一路北西へと向かった。Tさんの車には、かわいい二人のお子さんと奥さんが同乗していた。私は昨夜は顎のアクシデントのため、一睡もすることができなかったがその具合もまずまずで一安心である。
ケニアの中をあちらこちら旅行したが、自家用車での移動は始めてであった。一般のケニア人の足であるマタツ(ミニバス)やバスに比べたら、まるで天国のような乗り心地である。
車はナイロビからリフトバレーの縁を進んだ。途中のビュウポイントでカレッジで建築を教えているNさんと合流し、私はNさんの車に乗り換えた。Nさんの車には、H子さんが同乗していた。
このH子さんもまたすごい人で、旅行で来たアフリカが気に入ってしまい、その後会社をやめてナイロビを基地にして、人の行かないような村や奥地を旅行しまくっている人である。なんと既にツルカナ湖にもヒッチハイクで行ったことがあり、その小さな体からは想像もできないほどタフな人である。私がパックツアーの日本人しか知らないケニア人に、ぜひ紹介したいと思った日本人の一人である。
ジルジルという所の手前で、私たち2台の車は数人の警官に止められてしまった。警官らが言うには、スピード違反なのだそうだ。私たちには身に覚えが全くない。その時から私とH子さん、そしてNさんを加えた英語、スワヒリ語、日本語の猛烈な抗議が始まった。
「証拠を出せ!」 「お前の認識番号を教えろ!」
「日本人をなめるな!」 「私は警察学校の校長の友達だぞ!」
「お前は〜族だろう?」 「訴えてやる!」 etc..
日本人をカモだと思っている警官は、度肝を抜かれたのか簡単退散してしまい、後ろのTさんの車に向かった。
後で知ったことだが、Tさんは500シル取られてしまったそうだ。
ナイロビからジルジルまでの約100キロの道は、
今までにも何回も通った道である。道はすべて舗装され、霧が視界を妨げるものの快適なドライブである。ここから車は北へ向かった。途中所々に赤道を示す看板があり、赤道を越えて北半球に来たことがわかる。
一回目の給油は、ナイロビから約170キロのニャフルルと言う所で、ガソリンスタンドでA先生夫妻と会った。先生のパジェロには、しっかりと琴が積み込まれていた。
ニャフルルの少し先からはオフロードである。さすがにオフロードになるとパジェロは速い。A先生の車は、あっと言う間に視界から消えてしまった。
午後4時過ぎ、ニャフルルから200キロ程で、
私たちは無事ナショナル・パーク内に あるマララルロッジに到着したのである。
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