アフリカ体験(ケニア編3) - 2
-- 青年海外協力隊 --
■真夜中のナイロビ病院
夜中の12時をまわった頃、私を乗せた車はナイロビ病院に到着した。ここは仲間 の隊員が何人もマラリアにかかり、その度に見舞いに来たところだ。まったく自分が こんな顎が外れた状態で、ここに来るとは信じられないものがあった。
ナイロビ病院の緊急患者の窓口で受付の手続きをする。受付をしてくれると言うこ とは、どうやら医者がいるということらしく、少し気が楽になった。名前を呼ばれ、 診察室へと通された。初めは看護婦かと思ったが、医者はケニア人の女性である。簡 単な質問の後、レントゲン室へと通された。こんな時間でも技師がいるのは、さすが にケニアで一番の病院というだけはある。レントゲン室に入ると、技師は角度を変え て顎のレントゲン写真を何枚も撮った。
しばらくして先ほどの医者がやって来た。彼女が曰く、彼女は内科で今は外科の医 者がいないのだそうだ。ある程度は予想はしていたものの、これには困ってしまった。 朝までになんとかしないと、ツルカナ湖行きはなくなってしまう。焦ってきたが、こ こで諦めるわけにはいかない。アフリカでは日本では絶対不可能なことも、時には可 能になるのを何度も経験してきたものだ。
「明日、非常に重要な仕事があり、なにがなんでも直さなければならない」と、正面を向くとよだれが流れるので、常に斜め上を向いた無様な格好で繰り返した。ふだんからひどい発音の私だが、この時は自分でも呆れるくらいのひどさだ。だが、そんなことにかまってはいられない。言葉が通じたかは疑問であるが、少なくとも私の熱意は通じているようである。医者が「それでは私がやってみようか?」と尋ねてきた。 こうなったら一か八かである。私は一るの望みをかけて頼んだ。
私が椅子に座ると医者が、私の顎に手をかけた。神様に祈りたい心境とはこのこと
だ。ナイロビ病院の医者は、ケニアでは最優秀だとはわかっているが、やはり不安である。なにしろ職場や町中でケニア人の不器用さは、いやと言うほど見てきている。失敗してよく巷で聞く「ハクナマタタ(No
problem)」なんて言われたら、おしまいだ。
医者がおそるおそる私の顎を動かす。緊張のため私は口だけでなく目も大きく見開き、全身におもわず力が入った。医者の動きは、素人の私から見てもぎこちなく、手にはまったく力が入っていない。ほんの少し動かしては、「どうだ?」と聞いてくる。こ
れでは顎が壊される恐れはないが、直る見込みは全くなさそうである。
何度も試みてはみたが、とうとうその医者は諦めてしまった。さて、どうしようも なくなったのは私である。もう破れかぶれで、「専門の医者をたたき起こして呼んでくれ!」と強引に頼んだ。執ような要求に最後には私の執念が通じたのか、とりあえず連絡は取ってみようと言うことになった。 こういう時の待つ時間が長いこと、長いこと…。時間は刻々と過ぎていった。
ほとんど諦めた頃、看護婦が医者が到着したことを告げた。今度の医者はインド系である。私には、彼が後光を放つ神様のように見えた。期待は大きく膨らんだ。彼は外科医であるし、やはりインド系のほうが信頼できるような気がする。関係ないかもしれないが、私の行きつけの床屋はインド系である。そして何より心強いのは、一見して自信がありそうでなことであった。
まず彼は、自分の両方の親指に包帯を巻き付けた。私の歯で怪我をしないためである。次にその巻き付けた親指を私の下顎の奥歯に当て、全身の力を込めて下に押し下
げた。なるほど、前の医者とはエライ違いである。何度もその押し下げる動作を繰り返した。その度に私は「うっ」と声をあげる。
10回ほど繰り返した後、何の前触れ もなく突然私の口は閉じてしまった。そっと口を動かすと、違和感が多少残るものの動くではないか。私はうれしさのあまり緊張が一気に緩み、その場にへなへなとうづ
くまってしまい、しばらく虚脱状態となってしまった。こうして午前4時、私の顎は元の位置にと修復されたのであった。
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