アフリカ体験(ケニア編3) - 1
-- 青年海外協力隊 --
■秘境ツルカナ湖へのプロローグ
ケニアに滞在中、旅行者や先輩隊員などから話を聞いて、私がぜひとも行ってみたいところが3カ所あった。
一つ目がアフリカ二番目の高さとキリマンジャロ以上の美しさを誇るというケニア山、二つ目がソマリア近くのインド洋に浮かぶ中世イスラムの面影を強く残すというラム島、そして三つ目がケニアの中でも最も近代化から取り残された秘境ツルカナ湖である。
ツルカナ湖は、東アフリカの高原地帯を南北に貫いて走るグレートリフトバレー内 にあり、北端はケニア・エチオピア・スーダンの国境となっている。湖の南端までは、 ナイロビから約600キロと言ったところだが、問題なのは交通機関がほとんどない事である。協力隊員は車の運転は禁じられているので、私が行くためにはたまに旅行会社がトラックを使ったサファリを企画するのに参加するぐらいしか方法はない。しかし、このサファリは期間が一週間以上もかかる上に、費用もヨーロッパ並みの価格で目が回るくらい高い。そのようなわけで、私はいろいろな知り合いに声をかけ、何とか他の方法で行くことができないものか思案していた。
そんな時、JICA(国際協力事業団)の知り合いの専門家の方々が、ナチョラと
呼ばれる猿人の発掘現場に行くというので、私を誘ってくれたのだ。しかもナチョラ
はリフトバレー内にあるので、もしかしたらツルカナ湖へも行けるかも知れないと言うのだ。
猿人の発掘現場、つまり人類発祥の地というのは非常に興味があったし、運
が良ければツルカナ湖も夢ではない。そして都合のよいことにその発掘現場とは、私の勤務先のケニア国立博物館に、日本から猿人の化石の発掘と研究に来ていたK大の
I先生のフィールドなのである。
私の博物館での仕事は、各部の標本の情報を統合化したデータベースの構築であっ
た。そのためにI先生の所属する古生物学部にも何度も足を運び、ヒアリング調査を
行っていた。データベースの構築をする際、それぞれの部の研究内容をよく理解する
ことは、必要なことであったのだ。
古生物学を理解するためのフィールドの見学なら
ば、職場を離れることも問題はない。つまり一石二鳥、仕事の延長と言うわけである。
私はさっそく博物館の上司に見学のためのレターを書いた。普段英文レターを書くの
はなかなか骨が折れるのだが、こういう時はすらすらと文章が書けるから不思議なも
のだ。期待していた通り、私は館長とコンピュータ部のマネージャーから許可を得る
ことができた。
今回,専門家の方々がナチョラを訪ねることにしたのは、フィールドの見学は勿論 だが、I先生の新たな基地となる建物が現地に完成したお祝いをするためであった。そのお祝いのために、専門家の中の一人K大霊長類研究所のA先生と琴の先生であるその奥さんは、なんとナチョラのためにわざわざ作詞・作曲し、その歌を琴の伴奏で フィールドで歌おうと企画したのだ。さすがにアフリカに来るような方は、発想がすごい。私もこのアイデアがすっかり気に入ってしまった。そこで私たちはフィールドで歌うため、A先生のお宅で合唱の練習を重ねた。
さてフィールドに向かう前日の夜、すべての準備が整いリラックスした私は、近所のケニア人の友達を呼び、自宅で前祝いの酒盛りを行っていた。私の心はすでにナチ
ュラとツルカナ湖へと飛んでいた。皆で、歌うは踊るはの大騒ぎだ。うれしさのあま
り、ついお酒の量もどんどん進んだ。と、その時、思わぬアクシデントが起きたのである……。
かなり酔っぱらっていたためはっきりは覚えていないのだが、なにかの拍子で座っていた私の顔と友達の体がおもいっきりぶつかった。その瞬間、私の右顎にガクッという衝撃と鋭い痛みが走った。一瞬何が起きたかわからなかったのだが、その瞬間か
ら、もう私の口は閉じないのだ。それに言葉もしゃべれない。「ウゥ〜」とうなるのが精一杯である。
友達らが私の顔を見て、「ギャー」と叫んだ。私は理解に苦しみ千鳥足で鏡の所に行き、私の顔を見た。その途端、私の酔いはすっかり醒めてしまった。
鏡の中の私は、無惨にも口をひん曲げて開けた哀れな姿なのだ。
気を取り直し右顎のあたりを注意深く観察してみると、どうやら骨が折れたのではなく、顎がはずれたようだ。これではせっかくの美男?も完全に台無しである。なんとか元に戻そうと手で顎を動かしてみるが、動かすと激痛が走る。しばらく試みたが、やはり無理のようだ。
まさか、こんな顔ではツルカナ湖に行く事はできない。そう思うと顎の痛みより、 そちらの方が辛い。大事な日の前日だと言うのに、本当に情けない。もうこんなチャ ンスはないにちがいない。日本ならば、顎がはずれたくらいどうという事はないかも しれない。しかしここはアフリカである。もしかして、ずっとこのままの顔になるか も…という不安も頭をよぎる。こんな顔で帰ったら、それこそいい笑いものである。
いろいろな思いをやっと振り切り、とにかく朝までになんとかしようと自分に強く言い聞かせた。私はとりあえず、ケニアで唯一信頼できるナイロビ病院に行く事にした。けれども時刻はもう夜の11時、病院に行くにしてもこんな遅くに交通手段はない。そこで友達に、近所の車を持っている知り合いのケニア人に病院まで送ってくれ るよう頼んでもらった。
約30分後、知り合いが車で来た。私の友達もそうであるが、本人より知り合いの方があわてている。私は大丈夫だから落ちつくようにと、言葉にならない言葉で彼らに伝え、ナイロビ病院へと向かった。
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