アフリカ体験(ケニア編2) - 2
-- 青年海外協力隊 --
■ トウモロコシ畑の中のホームステイ
再派遣の私であったが、扱いは新隊員と同じという事でケニアでも現地訓練を行う事になった。ケニアでは英語が公用語であるが、スワヒリ語は国語のような扱いで英語よりも一般的である。
まず私たちは、ナイロビ市内の語学学校でのスワヒリ語を2週間学んだ。スワヒリ語は日本人に向いているようで、発音はアルファベットをそのままを読むだけで通じるし、文法も不規則な変化が少ないので比較的楽であった。
現地訓練の一つとしてケニアではケニア人の家にホームステイする。私の任地はナイロビなので、活動が始まると田舎のケニア人の家に泊まる機会は少ないだろうから非常に楽しみであった。私は理数科教師隊員の元カウンターパートのパトリックの家にお世話になる事になった。
彼の家はナイロビから西へバスで8時間のキタレという町にある。キタレの待ち合わせ場所で1時間以上待ったが、パトリックはやって来ない。まあこの国ではこの位の遅れは当たり前なのでのんびりチャイ(牛乳の入った紅茶)を飲んでいた。2時間ほどすると、パトリックがやって来た。彼が現れなっかた際の連絡方法がないので、さすがにどうしようかなと考え始めていたのでまず一安心である。
彼の家は乗合タクシーで10分、そこからとうもろこし畑の中の道を20分の所である。家のすぐそばまでやって来た時、パトリックがそこだというのでその方向を見たが、家は全然見えない。
さらにとうもろこし畑をかき分けるようにして家に向かった。突然とうもとこし畑が開け、目指す家が現れた。もうあたりは薄暗くてよくは見えないが、茅ぶきのような家で壁は土でできている。広さは8畳ほどで真ん中がカーテンのような物で仕切ってあって、隣にベットが置いてある。家は独特の土と茅の混じった臭いがした。
まずパトリックの両親と弟、お姉さんなどにスワヒリ語で挨拶と自己紹介をした。どこからともなく、小さな子供たちが6人ほどぞろぞろで出てきてので、彼らにも挨拶した。その後家族が見守る中、夕食はランプの下で山盛りのウガリとカランガ(ケニア風の肉じゃが)である。肉も入っているので、これは彼らにしたら破格のもてなしである。
翌日はパトリックのセコンダリースクールを見に行くことにした。学校と言っても
トタン張りの屋根に窓にはガラスもなく、そのうえ電気さえもない。曇の日には黒板
の字も見えないだろう。ナイロビの学校とは大きな差がある。ちょうど休み中との事で生徒はほとんどいない。
理数科教師隊員の赴任先は大体このようなところで、私の職場と比べて大違い、頭が下がる思いがする。この時は大学を目指す生徒だけが勉強していた。
2日目、セコンダリースクールの先生達の会議があると言う事で、私もついて行った。会議のテーマは、各学校の生徒の成績を集めて生徒がどのレベルにあるかを知ろうというものである。
最初はいわゆる会議にそった討論だったが、ある先生が「今日の会議に来るための交通費が出ない」という苦情を言った。するとその後の討論は、お金の事ばかりの苦情 大会になってしまった。大変な盛り上がりである。
苦情大会がやっと終わり持ち寄った成績を分ける作業が行われた。数学の先生達を中心に黒板に成績を書いて電卓を使って一生懸命計算しているが、どうもそれがまど
ろっこしい。私が暇つぶしに暗算してみると計算結果も間違っている。
そのことを教 えてあげると、その後は彼らが計算した後、私が暗算ですべて再計算することになってしまった。「やはり日本人は違う」と数学の先生を始め皆非常に感心していた。
い くら生活が苦しいといってもこんな会議とこの程度の先生達の計算能力を見せられると「ケニアの将来は難しい」と思わざるを得ないものがあり、非常に複雑な心境であった。
会議が終わると町にある博物館に連れて行ってもらった。そこには、古くからの伝統的な竪穴式の家が展示してあった。なんとその中の一つは、まさしく私が今ホームステイしている家そのものなのです!! 私は思わず苦笑してしまいました。
さて彼らの暮らしをもう少し説明しよう。
彼らの家は部屋ごとに小さな家(小屋?)となっていて家は3つあり、そのほかに台所が1つとシャワールームとトイレがある。
初めてトイレを使った時、家の裏にあるというので、その方向へ行った。なにやら草とぼろ切れで覆った部屋があったのので、これだと思って入ったのである。けれどもいわゆるトイレの穴はない。ちょうど足を置く石があり、水で流した後もある。「なるほど雨期
の豪雨が自動的に流す天然の水洗トイレか!」と感心して、しっかり大の方の用をすま
した。
夕方パトリックがにやにや笑いながらトイレを説明すると言う。変だなと思いながらついていくと、彼は私が使ったトイレの先の似たような小屋に連れて行った。
しかし今度のものはしっかり穴があるのだ。私は思わす頭がこんがらがってしまった。それでは私が使った方は何なのだ? 失礼ながら、私が間違えたのは彼らのシャワールームなのであった。
水道や電気はもちろんない。水は裏の少し低くなった所を掘った井戸らしいところ
からカフェオレ色の水を汲む。ラジカセがあるので乾電池でラジオも聴くこともできる。慣れると思ったよりは快適な生活である。
食事の方は私がお客さんということで、肉入りのカランガを出してくれるのだが、このパターンがその後毎日続くのには、贅沢なこととはわかっているのだが閉口してしまった。彼らはエチオピア人のように香辛料をほとんど使わないので、味と言えば塩だけなのである。
子供たちといえば1日中外で遊んでいて、お腹がすくとその辺のとうもろこしを取 って来て炭で焼いて食べる。ケニアのとうもろこしは色が白くこれが日本と同じ穀物かしらというほど堅いが、焼きたてはこおばしくておいしい。
子供達はまだ英語を全くはなさないので、子供と遊んでいるときがスワヒリ語の訓練というわけである。
5日目、パトリックの親戚の家に行った。この辺では金持ちらしく鶏をつぶしてご馳走してくれた。それにしても彼らの食べることといったらすごい。私も体が大きく日本ではよく食べる方だが、比べものにならない。
一人でウガリをどんぶりで3杯ほどカランガを2杯、皿に山盛りのチャパティ、鳥を半分そしてビールを飲むは飲むは。
どうやら体の作りが全く違うらしい。彼ら曰くラクダのように食いだめができるのだそうだ。
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