アフリカ体験(エチオピア編4) - 4
-- 青年海外協力隊 --
■ さらばアジスアべバ
3月26日当日はいつもより早く起き、部屋の片づけの続きを始めた。片づけと言ってもボストンバック一つに貴重品と衣類などを詰めるだけである。アパートの窓から見える外の様子はふだんとまったく変わりなく、通勤の車や人が多く行き来していた。
私たちも情報がないが、一般のエチオピア人はまるで情報が手に入らないだろうからどうしようもない。私たちでさえ知っているのは、ただ外人がどんどん国外に出ているということだけなのだ。けれども仮に危険が迫っている事を知っても、一般の人が国外に出ることは不可能だ。
そうしているうちにマミティのアベニッシがやって来た。荷物をまとめている私を見て驚き「どうしたの」と尋ねてきた。どう答えていいのかわからず、とりあえず「外国人が国外に出ているので自分達もナイロビに行かなければならない、一週間くらいで戻るから」「もし私が1カ月帰らない時はこのお金を受け取るように」と答え、数カ月分の給料を渡した。
しかし、ただならぬ様子と思ったのか「そんなにアジスアベバは危ないのか」「何が起こるのか」と私に聞いてきたのだが、「わからない、必ず帰るから」と答えるのが精一杯だった。
荷物をまとめ終わる頃には、家を出なければならない時間となっていた。アベニッシは「タクシーを拾う所まで一緒に行く」と言って私の荷物を持ち、私たちはアパートを後にした。
私はアジスに戻って来るだろうと思っていたので、それほど深刻には考えてはいなかった。けれどもタクシーが来た途端アベニッシが泣き出し、その姿を見たらもしかしたら戻れないのかとの思いが胸をよぎった。
彼女の肩を叩きながら「すぐ帰るから」と言ったのがエチオピアで使った最後のアムハリックであった。
空港に着くと既に多くの隊員が小さな荷物のみ持って集まっていた。隊員ばかりでなくほかの日本人も見えた。JICAの所長から簡単な挨拶の後、私たちはチェックインの為空港内に入った。
簡単な税関でのチェックの後、私たちはケニア航空に乗り込んだ。窓からは広々とした草原が見えた。もしかしたら、もう二度とこの景色を見れないのではと思い、頭に焼き付けるようにしっかりと見続けた。
アジスで生活している時は、外出禁止令や内戦、その他数え切れないほど辛いことがあり、何度となくこの国を早くを出たいと思うこともあった。しかし、いざ出国するとなるとやはり寂しい。自分には「絶対戻って来る」と飛行機が離陸するまで言い聞かせ続けた。
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