アフリカ体験(エチオピア編4) - 2
-- 青年海外協力隊 --
■ 予 感
とにかくここの物価の値上がりはすごい。私が来てからの半年ほどの間に、例えばトイレットペーパーは1ブルから7ブルまで上がってしまった。それでも買えた時は良かったが最近は手に入らず、職場から支給される毎月1個のトイレットペーパーだけが頼りである。まして下痢なんてとんでもない状況である。その他ほとんどのものが約50%は値上がりしている。一般の人よりは多く生活費のある私たちでも生活が苦しいのだから、エチオピア人たちはかなり大変である。
驚いたことに物価は革命後何倍にもなっているそうだが、給料はずっと同じということだ。とにかく私も生活防衛のため、物があるときはとににかく買いまくるようになってきた。1974年の革命も結局は生活が苦しくなったことが原因だったことを思うと・・。
北部前線での劣勢が毎日のように伝えられている。兵士の志気は低く逃げ出すものが後を絶たないそうだ。何しろ不足を補うため、夜浮浪者狩りして前線に送っているのだから仕方があるまい。
エチオピア北部で繰り返し起きている飢餓の原因は、干ばつはもちろんだがこの内戦が大きく影響している。飢餓の時も首都には食料はあったのである。しかし内戦のため食料を運べない、あるいは食料を運ぶことはゲリラを助けることになるというので、政府側が真剣に運ぼうとしないのだ。そいう意味では天災というより人災だということになる。
ところで1990年は、ソ連などから軍事援助がなくなったことや兵士の志気にかなりの差があることなどから、ゲリラ(エリトリア解放戦線 EPLF)はエチオピア唯一とも言える港町マッサワを支配下にいれ、さらに州都アスマラさえ落とそうという勢いである。そしてそのころの際だった特徴は、今までは南下してこなかったEPLFが徐々に首都に近づいてきたことである。
1月にはエチオピア最大の穀倉地帯も支配下におかれたというニュースが入ってきた。さすがにこのニュースはアジスの人たちもショックだったようだ。
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