アフリカ体験(エチオピア編3) - 4

          -- 青年海外協力隊 --


■ワイルドライフ ’91

 1991年2月17日、イエル山。

 アジスの南約40キロの所にある山で、アジスからもよく見える。会では4つのピークの中で一番低い所まで登る事を予定していた。2時間後、約40人の中で私が一番でそこまで登った。体力には前から自信があったし、キリマンジャロの登るためアジスでも水泳をしたり、よく歩くように心掛けていたので当然に思えた。

 しばらくすると、後から来たドイツの大使館員が私に「本当の頂上まで二人で登ろう」と言い出した。年は40才は越えていそうで、どう見ても私の方が体力がありそうなので気軽に一緒に行く事にした。

 ところがそれは大間違いで、それから道もない登りを4時間まったく休憩無しで頂上まで、そして休むまもなく下りを3時間。下りなどは時間がないので、垂直に見える谷をほとんど直滑降であった。私の足は下りの途中で全くいう事をきかなくなってしまった。それでも泣き言は言いたくなかったので、彼が「大丈夫か?」と尋ねる度に、作り笑いをしながら「だっ、だいじょうぶ」と答え続けた。そしてやっと足を引きずり、夢遊病者のようになりながら麓まで帰ってきたのである。

 何とか日本人の面目は保ったと言うところであろうか。大使館員は帰りのバスの中で山を眺めながら、「Oh,my goodness!」を連発しながら満足そうであった。それにしてもドイツ人は並ではないと言うのが、正直な私の感想である。後で聞いたら、彼は登山が好きでヨーロッパアルプスによく登っているのだそうだ。もちろんキリマンジャロも登ったそうで、この日の登山よりずっと楽らしい。 次の日は、恥ずかしながら、足が全く動かず仕事にも行く事が出来なかった。  

3月2日、オリソ。

 アジスの西約120キロにある町で、小さな小川があるくらいで特に何もないところである。みんなでのんびりと鳥などを見ながら、小川に沿ってハイキングをした。泊まったのは国営のエチオピアホテルである。レストランでは他の外人はパンにステーキなどを食べた。私はよく彼らがそんなまずい物を食べると、すっかり感心してしまった。肉などは完全にタイヤのような物体だし、パンなども釘でも打てそうな代物である。もちろん私はインジェラにワットである。これはどこで食べてもおいしい。どうやら白人というのは、あまり他の国の食べ物や風習にはになじまない人種のようである。その点、日本人は食べ物でも何でも順応力だけはあるような気がした。

 帰りはさらに西まで行き、渓谷とギベリバーを見る。大小の丘と渓谷はなんとも壮観な眺めであった。メンバーの一人が地形に詳しいと言うので説明を始めた。彼によるとこれらの景色は火山活動によるものだそうだ。その帰りにバスが横道に入り、ある川の所で渓谷を見ながら休憩していた。するとその近くはフードフォハングリーと言うNGO(非政府組織)の援助組織のフィールドで、そこで働いている日本人の知り合いとまったく偶然に会ってしまった。彼らはそこで現地式の家に住み、そこで木を植えたり農業を教えたりしているそうだ。私も驚いたが、彼らは「それにしても観光バスがこんな所まで来るとは」とすっかり驚いていた。


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