アフリカ体験(エチオピア編3) - 2

          -- 青年海外協力隊 --


■革命記念日とマスカル祭

 エチオピアには、独特の暦があり西暦1990年は1983年であり、1年は13ヶ月で新年は西暦の9月11日である。そして翌12日は革命記念日である。ちなみにエチオピア時間というのもあって、朝の6時が0時なので気を付けないと話しがあわなくなる。

 ここでエチオピアの革命について簡単に説明しよう。

 1974年2月、軍のクーデターが起こるまで、エチオピアは世界最古の帝国、戦前はムッソリーニの侵略に抵抗し、戦後はアフリカの独立の父と見なされていた。一方では、エチオピアはアフリカ大陸最大のアメリカの軍事拠点であり、またイスラエルのアフリカ進出の上陸拠点でもあった。「ソロモンとシバの女王の第二二五代目」「ユダヤ族の獅子王」であったハイレ・セラシェ皇帝の44年という世界最長記録の専制政治を支えていたのは、キリスト教会、大地主・貴族、軍隊の三大支配力であった。

 ところがそのうちの一つの軍が帝国に反乱を挑んだのである。さらにキリスト教会の底辺にいた教会神父たちが、兵士の「賃上げ、待遇改善、汚職の追放」の要求に呼応した。2週間目にはいるとこれらは階級闘争の様相がでてきた。皇帝は立憲君主制への移行で乗り切ろうとしたが失敗し、内閣の辞職とともに軍が政権を握った。こうして「神の子」ハイレ・セラシェはついに皇帝の座を奪われたのである。

 1975年にはいると軍事政権は社会主義化を宣言し、今度はソ連と急速に接近し始めた。軍事政権内では、メンギスツ中佐が次々と仲間を粛正し勢力を握り、ついには大統領となったのである。

 私は革命記念日の朝早くアビヨット(革命広場)へ行ってみた。道はエチオピアの旗を持った人や社会主義特有のスローガンを持った人でごった返していた。けれども彼らは自主的に来たと言うよりは、各地域や職場ごと動員されて来たようで、どうも熱気は感じられない。9時頃からアビヨット前の道路でパレードが始まった。軍隊のパレードもあっさりと終ってしまった。北部内戦で劣勢が伝えられていたので、ここに動員する余裕も無いようであった。

 パレードが終わると、大統領のメンギスツがまったく同じ型の車8台でやってきて、その中の一台から現れた。これは暗殺を避けるための偽装で、彼はいつもこのような方法で移動した。40分程演説しただろうか、けれどもすべてアムハリックなのでほとんどわからなかった。本来ならば革命記念日は国威を示す場なのであるが、どうも私はもうメンギスツもそろそろ終わり近しという印象を受けざるをえなかった。

 マスカル祭はエチオピア最大のお祭りと言われ、新年のマスカルの花が咲き乱れる9月の下旬に行われる。以前はマスカル広場(革命広場)で盛大に行われていたのだが、現在はピアッサの広場で行われる。仕事の方を早めに終わらせ、期待して見に行った。けれども期待は完全に裏切られた。祭は3メートルほどのたいまつに火をつけその回りで軽く踊るもので、大した盛り上がりもなかった。

 またしても革命の影響である。ソ連型社会主義と独裁政権のため、言いたいことも言えない、物はない、不平等な社会、そして国の大切な文化まで衰退させている状況には、日本人の私ですら無性に腹が立ってきた。私の好きなエチオピアの良い面がどんどん失われているようで、つくづく残念でならなかった。もちろんこのことは、エチオピアではけっして人の前では言えない事であった。なにしろどこに秘密警察やら密告者がいるとも限らなかったのだから…。


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