アフリカ体験(エチオピア編2) - 4
-- 青年海外協力隊 --
11月5日、JICAの所長から急にボレのアパートに引っ越すように言われた。ピアッサのアパートには不満もなかったし、引っ越すとなればまたいろいろと揃えなければならないので内心は複雑な心境であった。
ピアッサのアパートから車で2往復。私の部屋は、ボレにある比較的新しいアパートの3階である。間取りは8畳ほどのリビングと6畳ほどのベッドルームで、小さいながらもキッチンとバスルームもあった。
残念ながらバスタブはなかったが贅沢は言えない。なにしろ以前には知り合いの独身の大使館員が住んでいたところである。冷蔵庫も電話もご飯を炊くための圧力釜(アジスは標高が高いので必須である)さえもない部屋であったが、一人暮らしというものは非常に落ち着き安らいだ。
ところで、先輩隊員の紹介で新しいマミティを雇う事にした。名前はアベニッシ。彼女は外人のところで働くのは初めてと言う事であった。英語は全然話せないが、若くまじめそうであった。給料は週6日で月60ブル。(1ブルは約70円、しかし実際の価値は25円程)
日本人の感覚からすると信じられない安さだが、ここでは特に女性は仕事があるだけで運がいい。もっとあげたい気はするが、これでも相場以上なのである。(協力隊員のくせにお手伝いと思う人も多いと思いますが、この国ではお手伝いがお手伝いを雇うような国なのです。)
一家族10人程が月100ブルくら いで生活しているのも珍しくなく、その割に他の途上国と比べて物価は安くないので、私にはどうやって彼らが生活しているのか不思議である。
彼女は前のマミティと違って日本食が全く作れないので、この日からは昼食に加え夕食もエチオピア料理となった。さすがに夜はエチオピア人の主食のインジェラ(ヒエの一種を発酵させて作るクレープのような褐色の酸っぱいパン)ではなく、鍋で炊いたちょっと芯の残るご飯だが、おかずはワットというシチュウのようなものである。
このワットは、バルバレという唐がらし等から作る香辛料がたくさん使われるので、真赤でかなり辛い。日本人は初めは食べられないほどである。
その日から私はこの食生活を2ヶ月以上続けていたらだんだん慢性的に下痢するようになってしまい、ついには体重が10キロ以上も減ってしまった。さすがにこれには驚き、その後はアベッシに暇を見つけて日本食の作り方を教え始めた。
彼女は頭がよくまじめで、私が知っているてんぷら・肉じゃが・カレー・コロッケ・餃子・ハンバーグ・焼きうどん・チャーハンなど、すべて作れるようになってしまった。特にコロッケなどは友人の家のパーティーに持って行くほど評判がいい。それにつれて私の体重も何とか元の重さに近づいたのであった。
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