アフリカ体験(エチオピア編2) - 1
-- 青年海外協力隊 --
■ 新居、そして噂に聞いた絶世のエチオピア美女
アジスアベバの住宅事情は非常に悪い。それはこの国が1974年の革命以降社会主義政策をとってきたからで、特に外人が住めるような場所となると探すのがますます難しい。そんなわけで、私も一つ前の隊次の自動車整備隊員とエチオピアの銀座ことピアッサにあるアパートに住むことになった。
エチオピアの銀座に住んでいると言ってもここはエチオピア、私たち隊員は治安が悪いということから、JICA(国際協力事業団)事務所から夜6時半以降の外出は禁じられていた。(12時以降5時までは外出禁止令のため誰も外には出れない)
そのためほとんどその恩恵にあずかることはできなかった。それでも時々事務所の目を盗んで行ったブンナベット(飲み屋)は、緑と赤のネオンでギンギラギンでそこで待っている夜の女性とたむろする男達の熱気、そして独特のあの切ないエチオピア音楽は一種独特の世界を醸し出していた。
けれども期待に反して、噂に聞いた絶世のエチオピア美女というのには会うことができなかった。その道の通によると革命前までは美女がたくさんいたらしいが、革命以後アラブ人が金にものを言わせてめぼしい美女を連れて行ったと言うことだ。革命の影響とはいろいろあるものだと私などは感慨を深くしたものだ。
ピアッサのアパートに住んでいての一番の楽しみは、マミティー(お手伝いさん)の部屋にブンナ(コーヒー)を飲みに行くことである。彼女達は屋上にある一人3畳ほどのマミティー部屋に住んでいた。
彼女達のブンナは舌にどろりと感じるこくのあるもので、これをお著子を一回り大きくしたようなカップで飲む。全部で3杯飲み、その間中はタチョワット(おしゃべり)である。話題はいろいろで、エチオピア人の中の噂話から代々の隊員達の話とただ楽しいだけでなく、私にとっては貴重な情報源であった。
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