アフリカ体験(エチオピア編1) - 2
-- 青年海外協力隊 --
■ エチオピア現地訓練
現地訓練では、3週間にわたりエチオピア人の先生から公用語のアムハリックを習った。エチオピアには70以上の部族がありそれぞれが異なる言葉と文化を持っているが、実権を握っているアムハラ族の言葉が公用語となったものである。地方に行く とこの言葉も通じない場合もあるが、エチオピアで生活する場合基本となる言葉であ る。
このアムハリックを習っていて一番頭を悩ませたのは動詞の変化で、一つの動詞が
36通りも変化するのでうまく活用させることができない。またこの言葉の特徴は、
アフリカの言葉としては大変に珍しく独自のアルファベットを持っていることで、その数は250個ほどある。この文字は漢字で育った私たちには意外に簡単で1週間ほ
どで何とか読めるようになり、なにかと重宝した。
現地訓練終了後、成果を実戦で試すため私たちはそれぞれ一人ずつ1週間地方へ旅行することになった。エチオピアでは政府の許可をとらなければ、旅行ができないた
めこの旅行は数少ないチャンスである。もちろん内戦が続いている北部へは行けない
のであるが、そこにはエチオピア3千年の歴史を伝える遺跡や美しい観光地があり残念なことである。そのようなわけで私はなかなか行きにくいと思われ、暑いのでエチ
オピア人さえ行きたがらない西の端800キロにあるガンベラという所に行くことに
した。
ガンベラまではバスで3日かかるのであるが、直通のものはなく予約という制度も ないので、毎日夜間外出禁止令(0時から5時)の終わる5時直後にバス停に行かな ればならなかった。当日バスに乗り込む時は乗客はほとんどパニック状態になったが こちらも必死である。体力にものを言わせてなんとか席は確保した。そのようなこと は、その後旅行中毎朝続き大変な負担となった。
8月10日やっとの思いでアジスから乗ったバスは、日本だったら10年も前に廃 車は確実と思われる代物で、椅子にはクッションというものはまるでなく、峠では何 回もエンジンが止まり、その度に乗客みんなで押しがけする羽目になった。運良く走 っていても車内に発するエンジンからの煙はすさまじい。けれどもバスの中では外人 は大変珍しいらしく皆非常に親切で、チャットと言う噛むと覚醒作用のある葉や砂糖 黍、豆などの食べ物を分けてくれたり、私の怪しげなアムハリックにつきあってくれ たりと大いに楽しむことができた。
さてバスがアジスの検問を過ぎるとそこは一面緑の高原で、所々に山があり日本で はまず見ることのできないような雄大な景色が続く。大木はほとんどないものの土地 は豊かなように見える。しばらく行くとバスは山道にはいった。険しい山々やテーブ ル状の台地、深い谷そしてそれらを縫って流れる川は思わず目を見晴らせるものがあ る。それらは水と火山活動のまさに芸術である。しかしこのオンボロバス、私が止まってほしいと思うときは調子がいいのだから、世の中はうまく行かないものだ。
一日目に泊まったのはジンマという町でエチオピア5大都市の一つらしいが、アジ スと比べたら比較にならないほど貧弱で古い町であった。
私たちの乗るバスはその日11時間かけて、午後6時過ぎにアジスから約350キ ロのジンマに着いた。私はバスの中で知り合った人たちと同じ宿に何とか潜り込ませてもらうことにした。
私たちが泊まることになったのはブンナベットと言って、表は飲み屋で奥が宿にな っている所でエチオピアで一番安く一般的な宿である。もともとブンナとはコーヒーのことでベットは家という意味があるが、夜になると 夜の女性とそれを求めて集まる男達が集まり大変賑やかである。
旅行の時はいつもそうであるがその日の宿が決まると安心する。さっそく一人で夜 のジンマを歩いてみた。宿のそばにはブンナベットやスック(小さな店)などがあり なかなか人が多い。人々は暗闇の中で、店の前にたむろしたり飲んだり食べたりして いる。高い建物はほとんどなく、昔イタリア占領時代(1936ー41)に建てられ たのだろうと思われる古い物ばかりである。
歩いてみてすぐ気づいたのだが、アジスでは耳にたこがでるほど聞く「ファレンジ、 マニー、ジャパン」攻撃も全くない。自然な感じで歩いたりいろいろな店を覗いたり できる。アジスで感じるあの人々の苛立った感じも全く感じない。
バスの中での人々の親切さそしてこのジンマでの人々の穏和そうな顔、歩いていて
これが同じ国民かと思ってしまうものがあった。
3日目バスはやっとガンベラのある標高約500mの地を目指して高原を一気に駆
け降りた。その標高差は2千mにものぼり、まさに一直線と言った感じで、降りるの
はいいがこのバスがはたしてまたこの坂を登れるのかしらと心配になってしまった。
私たちは検問のある川の所で休憩をした。その川は茶色の濁流であったが、それをバ
スの乗客はおいしそうに飲む。その光景を見ていると彼らとは体の構造がまるで違う
という思いを強くせざるを得なかった。休憩後しばらく行くと道の脇に戦車が止まり警備していた。そう言えばここはスーダン国境に近い。本物の戦車を見るのは初めて
だがまったく場違いの不自然さだ。
ここまでくると人々もアベシャ(アビシニア高原に住んでいる褐色の肌を持つ人) からアニオック(いわゆるブラックの人)が多くなり、私などが持っていたアフリカ のイメージに近い光景となる。
さらに検問を越えるとやっと目指すガンベラである。ここには協力隊の野菜隊員がいるのでとりあえず彼の家を目指した。アジスからは連絡のとりようもなかったので、 彼は突然訪れた日本人を見て目を丸くして驚いていた。
雨期ということでいつもよりは涼しいとのことだが、高原のアジスから来た私には
結構暑い。乾期には連日40度ほどになるそうだ。彼が水を浴びればと言うので、さ
っそく好意に甘えることにした。外には雨水を貯めるドラム缶があり、それをバケツ
に汲んで便所に運び体中に石鹸を塗り水を浴びる。濁ってごみの浮いている水だがぜ
いたくは言えない、なにしろ飲み水なのだから。
さっぱりした後は彼とガンベラについていろいろと話をした。最初は体重が20キ
ロも減ったり、腸チフスにかかり1カ月ナイロビで入院しなければならなかったりと
大変だったそうだが、人々がアジスに比べて素朴なことや煩わしい人間関係がないた
め、今はここが気に入っているそうだ。
夕方彼の近所に住む友達の家へ連れて行ってもらった。友達の家族は本格的なブン ナセレモニーで迎えてくれた。まず部屋中に30センチほどの緑の細い草をばらまき 独特の臭いのする香を焚く。
バックミュージックはどこか日本の民謡に似ていて哀愁のあるエチオピアの音楽だ。 奥さんが青い生のコーヒー豆を炒るところから始めて、小さな臼でつぶしてポットに入れ炭で沸かす。コップはかなり小さいが同じコーヒー豆で3回飲むのだからちょうどいい。飲み終わるまで1時間以上かかったが、その間はみんなでタチョワット(お しゃべり)で、なんとも言えない優雅な気分だ。
夜は野菜隊員と友達そして私の3人でブンナベットに飲みに行った。テラスでこぼ れるような星を見ながらワインをゆったりと飲む。アジスでは感じられないくつろい だ夜だった。
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