ヒマラヤ遠征
Mr.Masa
■憧れのヒマラヤ遠征
雪山に抱かれた国ネパールを訪問し、神々の山々のヒマラヤを歩く事は、長い間私にとって夢であった。実は、日本から95年にヒマラヤに行くつもりで、半年以上も前から飛行機の予約までしていたのだが、香港に赴任が決まり行く事が出来なくなっていたのある。
■■いざ、ネパールへ
96年1月4日午後9時半、ロイアルネパール航空でカトマンズへ到着した。
まず空港の両替所では、計算通りのお金をよこさないという歓迎を受ける。行員は、3度ほど念入りに数えてから手渡したので、明らかにお金をくすねるつもりである。「しょうがないなぁ」と思いながら、銀行の5mはあるカウンターの端から端までいっぱいにお札を並べ、他の人にも聞えるように抗議した。行員は不機嫌な顔をしてはいたが、素直にお金を返してくれた。
イミグレーションでは、ビザを取るためにUS100ドルを払ったら、またしても係官がお釣りをよこさない。またかと思い、少々あきれて抗議すると今度も素直にお金を返してくれた。
次に税関では、荷物が少なすぎるということで取り調べを受けることになった。いろいろな国を旅行したことがあるが、さすがに荷物が少ないので取り調べというのは初体験である。
確かにヒマラヤにトレッキングにしては、スニーカーにトレーナー、そしてデイパックというのは少なすぎるかもしれない。私自身、香港で日帰りでハイキングに行く時と装備が同じとは妙な感じがしていたが、いつもの旅行と同じでほとんど手ぶら状態なのである。
取り調べでは、これより貧相な装備でアフリカ最高峰キリマンジャロも登った事もあるのだと説明したが、これがますます不信に思われたようだ。なんとか取り調べが終わると、この日はカトマンズのタミール地区と言う所に無事落ち着いた。
■■古都、カトマンズ、パタン
標高1300mの盆地にあるカトマンズには、あちらこちらに赤茶色の古い寺院が立ち並ぶ。町全体がくすんだ赤茶色と言ってもいいかもしれない。旧王宮のあるダルバール広場やそのまわりに広がるバザールは、特に古い時代の面影を濃く残している。そこではたくさんの人が昔ながらに行きかい、祈り、買い物をしている。
寺院と一口に言っても、ヒンズー教と仏教の影響を受けているので、日本や中国のものとはかなり趣が違う。神様も、猿、象、鬼のようなものであったりと言う具合である。また壁にはみごとな彫り物がしてあり、香港などとは違い昔から高度な文化があったことを偲ばせる。
バザールなどをうろついていると気分はまるで中世だ。商品は、素焼きの壺や竹の屑カゴなどの生活雑貨やカーペット、スパイス、あるいは肉をその場で解体して売っているところもある。おそらく何百年もの間、この雑踏や独特の匂いは変わっていないのだろう。バザール好き、庶民的な買い物好きの人には天国のような所だ。
カトマンズのすぐ南には、パタンと言う古都がある。ここは町全体が博物館と言ってもよいほどで、いろいろな種類の寺院が点在している。カトマンズより昔の雰囲気が残っていて生活の匂いも強いので、私はここの方がずっと気に入った。
パタンを歩くと、あちらこちらに古くから使われているダーラと呼ばれる水汲み場がある。ダーラは、地面を四方40mほど深さは3mほど、回りをレンガで固めてあって、その中に大きな水の口がいくつかあり、水が絶えず流れつづけている。
人々は、昔ながらにここに次々に来ては水を汲んだり、食事のしたくや後片付けをしたり、長い髪を洗ったりしてる。ダーラの縁に腰をおろして眺めていると、庶民の生活がよくわかり、とてもおもしろいものがあった。
まるで他人の家の台所とお風呂を覗いているようなものである。思わずの時のたつのを忘れてしまうのであった。
■■ヒマラヤの麓の町、ポカラ
1月6日、朝7時発のミニバスで今回のトレッキングの基地となるポカラへ向かった。 カトマンズの周辺の山を越えると早くも憧れのヒマラヤが姿を現す。カトマンズの周辺の山でさえ2000m以上の標高があり、けっして低いわけではないが、桁違いに高く雪につつまれた山々は別格だ。はるか遠くに見えるあの山まで行くのだと思うと、自分でも気合が入ってくるのがわかった。
しかしそれよりも印象的だったのが、初めて見た急斜面を切り開いた段々畑である。スキー場で言えば、上級者コースをさらに倍ほどきつくしたような傾斜に幾段に切り開かれた畑は、驚き以外のなにものでもない。
畑は山の傾斜に沿って、見事な曲線を描いて、まるで山にできた緑の細波のようだ。先祖代々少しづつ木を刈り岩をどけて開いたのだろうその努力は、想像を絶するものがあった。
2時に湖の町ポカラ(800m)のバス停に着くと、山のようなホテルの呼び込み人に追い回された。バスの他の旅行者は、屋根の上に乗せた荷物を取るので時間がかかるが、私の場合は荷物がないのでその必要もなく、呼び込みの第一陣に襲撃されたわけである。正直言って、あまりのしつこさとやかましさには、さすがの私も閉口した。
なんとか呼び込みからのがれると、ホテルがある湖へと向った。ここまでくるとさすがにもう呼び込みはいないので、ほっと一息である。
ホテルを見つけるとさっそく明日からのトレッキングに備え、ガイドの手配をし、寝袋やダウンジャケットをレンタルショップで借りた。そして夜は、湖のほとりのレストランでビールと分厚いステーキで英気を養なうのであった。
■■一日目 アンナプルナへ、トレッキング開始
翌日、夜明けと共に外に出ると、昨日は完全に雲に隠れていたアンナプルナの山々が、山の上に広がる雲のそのまた上に迫力を持った立体感で連なる。それもそのはず、ポカラからの標高差は、7000mもあるのだ。ポカラは亜熱帯の地だが、頂上付近はものすごい寒さに違いない。麓からでも氷と雪で凍りついているのがよくわかる。
さて、いよいよトレッキングの始まりである。目指すは8000m級の山々囲まれたアンナプルナ内院にあるアンナプルナベースキャンプ(4100m)だ。
朝7時半、ガイドのハルカと共にタクシーでフェディという所まで行き、そこから林の中の急坂を登り始めた。まだまだこの辺は、地元の人達の生活のための道。しかしこの道ですら、私にとってはかなりの急坂である。時には農家の庭先を通り、思わず道からはずれ、他人の家に入って行きそうにもなる。
まわりには美しい段々畑が延々と続き、刈り取った藁が積まれていたり、藁を燃やしたりするのどかな農村風景である。ふと足を止め眺めているだけで、気持ちがなんとなく落ち着くのがわかる。
2時間程でダンプス(1799m)と言う山の尾根にある村に到着。正面には、きれいな三角の形をしたポカラの象徴とも言えるマチャプチェレ(6993m)が堂々とそびえ立つ。
ここまでは非常に快調だったが、ダンプスのポリスチェックでトレッキングの許可書を提示すると、入山料を払っていない事が判明した。私はカトマンズで許可書を取ったので、まったく知らなかったのだが、ポカラのイミグレーションで入山料を支払うことになっているらしいのだ。これはまったくの大失敗。ここで払う事は不可能とのことで、ポカラで払って出直すようにとのことである。
日程はぎりぎりなので、ここで1日のロスは致命的だ。「ポカラへ戻るしかないのか…」と思いながらも、ガイドのハルカと共に必死に頼み込んだ。
延々2時間ほど粘ると日本人は信用できるとのことで、特別にこの先3日後に通過するポリスチェックで払えばいいことにしてもらう事に成功した。ほとんど諦めていたので命拾いしたような気持ちである。
3時半、森を抜けてポタナという所に到着。この日は、この標高2100mの地で宿泊。ポカラとは標高差が1300mもあるので、寒さが違う。日が暮れる頃には、カトマンズで買ったセーターがないととても過ごせたものではない。
同じ宿にはベルギー人、ノルウェー人の女の子2人、香港人の女性が1人、それからもう1年近く大学を休学して旅行しているという日本人などがいて、夜は薪の火を囲みながら楽しく過ごした。
■■二日目 急坂で膝ガクガク
山へ入って2日目の朝、6時半頃宿の外に出ると、目の前には昨日登ってきたポカラの方からオレンジ色の太陽が現れてきた。ひんやりとした森の空気は新鮮そのものである。 日の出に見とれていると空は徐々に明るさを取り戻し、アンナプルナサウス(7219m)、ヒウンチリ(6441m)、マチャプチェレ(6993m)が木々の間からくっきりと見え始める。この時期、空が一番綺麗に晴れ美しいのは、なんと言っても早朝である。
この日は標高2100mのポタナから9時に出発した。そこからの道は、下りの急坂で岩がごろごろしており、さらに濡れており非常に歩きにくくてたまらないものがあった。
お昼頃には、1646mにあるランドルンへ到着。ここで先に出発していた同じ宿の人達と再会し、お昼を一緒にとった。他の人達は、目の前のモディー・コラーと言う谷を一度降りて、向かいに見えるガンドルンと言う村に向かった。
この日私達は既に500mは下っているので、ここからさらに数百メートル谷底まで下り、また2000mまで登るのは、見るからにきつそうだ。香港人の女性などは、既にこの時点で顔がひきつっていた。
私の方は、谷沿いにアンナプルナ内院に向け徐々に川底まで下った。川沿いに歩いて、ニューブリッジという所に3時半頃到着。2ヶ月前から週末は香港のトレイルを歩いて準備していたものの、情けないことに早くも2日目にして左足の膝が痛くなってきた。ここで無理をしても仕方がないので、この日はニューブリッジに泊まることにした。
■■二日目 宿での過し方
宿ではもちろん電気もガスも水道もない。だから日が暮れるまでの数時間は非常に貴重である。もちろん、本を読んだりすることは、日暮れまでしかできない。
ところで私のガイドのハルカだが、1年半ほど前に田舎から出てきてガイドを始めたとのことだが、それまではアルファベットも読めなかったとのこと。それ以来、毎日独学で英語の勉強を続け、今ではガイドに支障がないほどに上達している。彼はトレッキング中も夜は寝るまで英語のテキストとノートは手放さず、とにかく私もあきれるほど暇があれば勉強している。
さらに彼は最近、英語の他に日本語もというので、日本語も毎日勉強している。というわけで、私とハルカはこの日も二人で黙々と勉強。彼が本を音読していて発音が違うと私が直してやるということを日暮れまで続けるのであった。 夜ともなると寒いので、ハルカと共に宿の台所で過す。もちろん、客用のリビングもあるのだが、なにより暖かいし宿の人と話しができるのが魅力である。
料理しているのは地方から出稼ぎにきているという若い女性で、一つしかない薪のコンロを使い次から次へと手際よく料理する。この薪で微妙に火加減を調節しながら、スープやチャパティ、ピザなどなんでも作ってしまうのは、私に言わせれば神業ある。
まわりには近所の女性達も集ってきて、おしゃべりをしながらの料理。私はすっかり彼女たちと仲がよくなり、身振り手振りや歌などで楽しく過ごした。そしてなによりうれしかったのは、台所にいるおかげでお客さんに出す料理は、すべて私がビールを飲みながらコンロの所で試食するという幸運に恵れたことであった。(^_^)v
■■三日目 ヒマラヤの露天風呂とスペシャルピザ
トレッキング3日目、ハルカによるとこの途中に露天の温泉があると言うことなのである。その話しを聞くと、温泉が大好きでしかも1日に7カ所の温泉をハシゴしたり、時には徹夜で露天風呂に入浴してきた私が、素通りできるわけがない。実を言うと前日からの膝の痛みと筋肉痛も非常に気になっていたのである。
ニューブリッジから1時間程でジヌーと言うところに着き、そこから15分ほど下った沢のそばに温泉があった。そこにはなんとしっかり4m四方の湯船もあり、頭などが洗えるように蛇口のようなものまである。私はさっそく服を河原の石の上に脱ぎ捨て、湯に浸った。するとそこはもう極楽状態である。疲れが体の隅々から徐々に抜けていくのがよくわかった。 お湯は単純泉で、日本人にはちょっと温めだ。しかし、この気持ちよさは万国共通のようで、他の外国人もガイド達もみな満喫しているのがわかる。谷底にあるのでしばらくは日陰だったが、緑の山の間から太陽が見えはじめると、顔は太陽、体は温泉でほんのり暖まり気持ちのよさは倍増だ。
他の人達とトレッキングの情報交換しながら思う存分入浴し、体や髪を念入りに洗い、最後に着ていたものをすべて洗濯すると身も心もさっぱり生き返った。
温泉から戻ると1951mの地にあるチョモロンまで1時間ほど急坂を登り、この日はそこに宿泊である。チョモロンが今回のトレッキングでは最後の村になるので、下界での贅沢をすることにした。
ここはピザが名物だそうで、夜は宿のおばさんご自慢のチョモロン・スペシャルピザにモモと言うチベット餃子、そしてビールで夕食ある。
ヒマラヤの山々に露天風呂、その上ピザはこの村で取れるチーズが特においしいし、標高2千メートルの地でもビールが飲めるのは、たまらないものがあった。
■■四日目、五日目 雪に四苦八苦
山へ入って4日目、この日はチョモロンから緩やかな上りを雄大な山々を見ながらヒマラヤホテル(3100m)まで歩く。宿に着く頃には気温もだいぶ下がり、雪も降り始めた。
5日目、朝起きると外は昨夜から降った雪で一面真っ白である。歩きはじめるとトレイルも雪に隠れてなかなか見分けがつかない。私が道を見失うたびに、ガイドのハルカが違うと教えてくれる。途中いくつもの沢を渡らなければならないが、沢は凍結していて非常に危ないものがある。
それにハルカによれば、この辺は深い谷になっていてよく雪崩も起きるとのこと。実際、上を見上げるといつ雪崩が起きても不思議はないように雪が迫り出し、時折雪の固まりが崩れ落ちてくる。またトレイルの所々には、雪崩のため放棄された山小屋が点在する。いよいよヒマラヤトレッキングになってきた。
3時間を四苦八苦しながら登ると3650mの地にあるマチャプチェレベースキャンプである。付近はもう膝までくるほどの雪で、スニーカーの私にとっては、地獄の行軍になってきた。この日宿にたどり着くころには、私はついに靴も脱げないほどヘロヘロになってしまったのである。(^^;
宿では雪のために、ロッジからほんの3m離れたトイレに行くのも一苦労である。もっと恐いのは、トイレの中では床も凍り付いていて立っているだけでも不安定なのである。いつ穴に滑り落ちるかわかったものではない。他の男性を観察すると、どうも誰もトイレは使っていない様子である。私も身の危険を感じたので、それにならうことにした。
大変なのは、この日唯ひとりのオーストリアからきた女性である。トイレに行くたびに帽子に手袋、ダウンジャケットに登山靴で完全武装して、吹雪の中へ突入するのであった。
■■六日目 いざ、アンナプルナベースキャンプへ
山へ入って6日目、この日はいよいよ今回のトレッキングの目的地である標高4100mアンナプルナベースキャンプである。
朝異常な寒さで目が覚めると、部屋の中に置いてある水筒の水はもちろん、コンタクトレンズケースの中のレンズも保存液と共に完璧に凍りついていた。レンズを体温で解凍し、目に恐る恐るはめる。水筒の水はどうにもならないので諦めた。
外は雪が深く、前日までのスニーカーにジャージではとても歩けそうにない。宿の人が私の姿を見かねて、膝から下をカバーするものを貸してくれ、レンタルしてきたダウンジャケットでなんとか身仕度を整えた。いつもながら、他の人々と比べると貧相な装備は不安になる。
朝7時に出発すると、新雪なのでとてもスニーカーの私が前を歩く事は不可能である。積雪は、時には腰まで埋まるほどもある。ハルカの歩いた足跡をそのまま慎重にたどる。が、ちょっと油断すると、片方の足が腰まですっぽり雪の中だ。高度も上がってきたので、呼吸も苦しくなってきた。
苦しさのあまり立ち止まり、ぜぇ〜ぜぇ〜していると、ふと「なぜサラリーマンがせっかくの休暇にこんな苦しい思いをしているのだろうか?」と言う思いが頭をよぎる。「南の島のリゾートにでも行っていれば、今ごろは‥」などとも思ってしまう。それにしても濡れたスニーカーの中の足が冷たい事と言ったらない。真剣に凍傷になるのではないかと心配になってきた。風もあるので体感温度は軽くマイナス20度はいっているような気がする。
40分ほどすると三角形のマチャプチェレの上から太陽が顔を出てきた。アンナプルナ内院が、一気に息を吹き替えしてきたような瞬間だ。
空が黒っぽいブルーからコバルトブルーへと変わっていく。日が当たるにつれて気温が上がり、さっきまでの地獄のような寒さから徐々に解放されていく。それとともに四方を8000m級の山々に囲まれた内院の様子が次第にはっきりしてきた。
2時間弱でアンナプルナベースキャンプに到着。キャンプは8000m級の山々に囲まれたすり鉢の様な所だ。
4000mまで6日かけて登ってきたものの、目の前の山との標高差はまだ4000mもある。とても私などが太刀打ちできる山ではない。8091mのアンナプルナTを始めとして、これらの山はまさに神々の山と言わざるをえないものを感じる。
それぞれの山が不思議な表情を持っている。そしてそれぞれの山々が一体となってアンナプルナ内院をより一層、とてつもないスケールの雪と氷と巨大な山の芸術にしているようだ。
抜けるような真空を思わせる青い空、そこに浮かぶとぎれとぎれの雲、360度に広がる険しい山々と張り付く氷雪、さらに眼下には真綿を引き詰めたように広がる雪原とくっきりと残る一本のトレイル……。 私は今までの苦労も寒さもすべて忘れ、時を惜しむように味わうのであった。そして次の夢であるエベレスト遠征を誓うのであった。
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