連載ノンフィクション ミニカの時代


第6回 「北海道最果てツアー」に行く

 

 ミニカを買ってから、よくいろんなところに行ったが、中でも想い出深いのは数度にわたる「北海道最果てツアー」である。内容は単純なもので、気分次第で北海道の端っこに行こうというものである。普通、この手のツアーは時間的余裕を持った上で宿を取っていくものなのだが、僕たちの場合はドライブの延長という意味合いが強く、たとえ眠くなっても車中泊で済ましてしまうという、むちゃくちゃな内容であった。

 第1回目は「網走に流氷を見に行こう」ツアーであった。これはその後毎年恒例の行事となるのだが、この時は友人Nと2人で行った。たまたま彼の家で「つまんないなぁ」「暇だなぁ」という話になり、突如僕が「流氷でも見に行くか!」という話をした。結局、1995年の2月13日午前2時過ぎに江別を出発、江別−網走間往復1,400kmを翌14日午後4時に帰ってくるという強行スケジュールを組んで出発した。その間一睡もせず、ぶっ通しで車を運転した。というのも、そうしないと僕のバイトの時間に間に合わないからである。
 とにかく車を走らせる。旭川−北見間の石北峠は完全なアイスバーンで、スタッドレスタイヤに4WDとはいえよくスリップした。急カーブをパワードリフトで切りぬけたことすらある。石北峠の下りを80km/hで下ったのだが、僕は運転に夢中になっていて全然気にならなかったのだが、Nはかなりビビッていた。網走についたのは午前7時過ぎだったが、肝心の流氷は接岸していなかった。そう、時期的に早かったのである。遠い水平線に白い1本の筋が通っていて、かろうじて流氷を見ることができたのだが、2人にとってはかなり不満が残った。それにしても、よくもまぁ、野郎2人でバレンタインデーにドライブしたものである。今思えばとても寂しい1日だった。

 続いて僕とNとWの3人で「函館に行ってやきとり弁当を食べよう」ツアーを組んだ。「やきとり弁当」とは、函館の地場コンビニである「ハセガワストア」の名物弁当で、注文を受けてから豚串弁当を作ってくれるというものである。「やきとり」なのに豚串というのも変な感じなのだが、注文すれば鳥串で作ってくれるから、ウソをついているというわけではなかった。後に僕が函館に移り住んだ時には、この弁当にはかなりお世話になった。
 事の発端は、Nが「やきとり弁当が食べたい」と言い出したのが始まりである。Nは高校時代函館に住んでいて、彼も「やきとり弁当」のお世話になったという。その味が忘れられず、食べに行きたいということであった。
 で、出発したのだが、今でこそ江別−函館間はたいした距離とは思わないが、この頃はとても遠く感じた。途中、Wが熱を出してしまい、彼は「やきとり弁当」を食べられずに終わった。そういう意味では、これも消化不良に終わった旅である。ただ、初めて食べた「やきとり弁当」は、たれが少しくどかったが、確かにおいしく、病み付きになるのもうなずけた。

 さらに、NとMと僕の3人で「稚内でサハリンを攻撃しよう」ツアーという、かなり過激なツアーを組んだ。たまたまこの3人で夜中にドライブに行くことになり、空知の浦臼当たりで帰ってくるつもりだったのだが、「せっかくここまできたのだから、思いきって稚内へ行こう」という話になってしまい、稚内へ行くことになった。途中、留萌のコンビニでMがロケット花火を大量に購入、宗谷岬についたとたんサハリンに向かってロケット花火をぶっ放していた。これがツアー名の由来である。宗谷岬自体は「大潮」という引き潮の日で、岬の柵を越えて10mくらいの磯の距離を歩くことができた。また、天候も晴れで、確かにサハリンがくっきりと見ることができた。
 それにしても、だからといってロケット花火でサハリン攻撃というのも情けない感じがする。結局、僕たちは宗谷岬周辺を海洋汚染しに来ただけの迷惑な人間と化してしまった。その後、宗谷岬の食堂で海鮮ラーメンを食べたのだが、これがかなりまずかった。コンビニで弁当を買ったほうがましだと思ったのだが、何せ稚内にはコンビニが無かったので、我慢するしかなかった。

 今思えば、すべて夜中に出発していた。毎日が暇だった大学生だったということもあったのだろうが、それにしてもよくもまぁ、いろんなところに出没したものである。


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