連載ノンフィクション ミニカの時代


第1回 ミニカにたどり着くまで

 物心ついたときから車好きだった僕は、親が昔からスバルに乗っていた関係で特にスバルが好きである。父が独身時代〜結婚当初は初代レオーネクーペだったし、母の車も初代・2代目・3代目とレックスを乗り継いでいた。僕が高校2年生のときに最終型のレックス660に乗り換えた(これは今でも乗っている)。そんな環境にいたから、大学1年の夏休みには、憧れのレックス360を探しにスバルディーラーへ出かけた。

 今でもそうだが、僕は初代のレックスがなぜか好きである。というのも、僕が小学校1年生(昭和56年)のときに我が家のセカンドカー(当時はセカンドカー自体が珍しかった)としてボロボロのレックスがやってきた。年式は昭和49年式、4サイクル・4ドアのスーパーLというグレードだった。装備はフルオプションといえるもので、ヒーター・ラジオはもちろんのこと、アナログクロックやセンターコンソール、果てはタコメーターまでついていた。しかし、実際は7年落ちだというのに、色は小汚い緑色で、さらにルーバーのあたりがサビで腐っている。走らせればすぐにエンストし、水溜りの上を通過すれば床から水が侵入してくるという、とんでもない代物だった。今思えば、エンストするのはエンジン特性がピーキーだったからで、それにあわせた発進をしてやればエンストはしなかったはずである。

 レックスが来てから、母はレックスを使って新聞の集金の仕事を始めた。たまにいっしょについていったのだが、よくエンストしていたのを覚えている。雨の日などはよく小学校の送迎をしてもらったが、そのときに床からの水の侵入を発見した。タッチアップペイントのなかった時代、母は金物屋から緑色のペンキを買ってきてサビのうえから塗っていたが、色が合ってなかったためによけい惨めな姿になってしまった。よく友達にバカにされたものである。あと、車が来たときからタイヤはスパイクで、舗装路面でもお構いなしにスパイクタイヤで走っていたが、冬を越してからはさすがにスパイクのピンを抜いた。

 そんなひどいレックスだったが、フロントにグリルがあり、そのくせ本来エンジンのあるべきところにエンジンがなく、エンジンのないべきところにエンジンがあるという、その変わった設計(単なる水冷エンジンのRRだというだけの話)と、その強烈なインパクトにより、僕の脳裏にレックスの記憶が焼き付いてしまった。また、当時は近所にレックス360がごろごろしていたのもある。4サイクルのスーパーLが多かったが、2サイクルの2ドア車も走っていたし、中には激レアの4ドアカスタム5やワゴンも平然と走っていた。

 僕がスバルディーラーで見つけたレックスは初代レックス最終型、昭和56年式の「ファミリーレックス」というバンモデルである。70歳位のお年寄りが乗っていた車で、車庫に保管されていた上に距離もほとんど乗っていないという、極上のレックスだった。管理していたのが昔から付き合いのあるセールス氏(現在のレックスも彼から買った)で、聞けばもう車を運転するのが怖くなったので処分して欲しい、と下取りに出したという。そして、そのディーラーでは部品取り用として解体するということも聞いた。僕は550というのが気に食わなかったが、程度は文句なしだし、それこそどこにエンジンがあるのかわからないという、その特異な設計に惹かれ、買うことを決意した。もうすでに廃車手続きはしてあるが、書類は完全に残っている(ディーラーだから当たり前か)ので、車検2年付きで13万円だという。この金額ははっきりいってタダ同然である。ただ、元出はない。夏休みにヤマト運輸で短期バイトしていたとはいっても、13万円という金は出てくるわけがない。そこで、親から借りて買おうと思ったのである。

 しかし、両親は猛反対してしまったのである。理由は、「そんなボロボロの車に乗る必要がない」だの「大学生に車は贅沢だ」だの、いろいろ難癖つけてくる。どうしても両親、特に母はあの初代レックスは気に食わないらしい。でも、金を出す人間からNOを付きつけられれば仕方ない。結局初代レックスは買うことができず、解体されてしまうこととなった。僕が車を手にするのは、それから半年以上過ぎた平成6年の2月のこととなるである。


ミニカの時代 第2回へ

ミニカの時代 目次へ戻る

My Driving Car に戻る