大場氏「銅鐸私考」より
大和・吐田郷長柄
旧葛木郡。延喜式式内社が、大十二座・中八座・小五社の中、
四つが鴨族に深い縁故をもっている。
出土地点長柄は、新撰姓氏録によれば、
長柄氏、出雲神につらなる立派な鴨族の故地である。
そのほか、カモ氏近縁の地名も多く、
同じ北葛城郡上牧からも鐸が1口でているが、
隣村馬見村には式内讃岐神社があり、
かつ和名抄散吉郷の所在地で、
銅鐸の古和名「サナギ」と密接な関連をもつと考えられる。
河内高安村恩智・堅下村大県・玉手村玉手山
北高安大竹に式内鴨神社、大県に式内鐸比古・鐸比売神社、
玉手山には式内鴨高田神社。
なお、この一帯は弥生中・後期の大集落群で、
高尾山(鷹ノ巣山)の城塞風な山頂遺跡(鐸比古・鐸比売神社故地?)もある。
摂津川西村栄根、多田村満願寺山、神津村中村
加茂弥生式中期大集落遺跡群の中心に近い栄根、
その遺跡の中心は式内鴨神社の後身であり、
付近から多田村にかけて、住吉の大神郷にふくまれる。
おそらく鴨・三輪両族の居住中心地であろう。
三河国岡崎市洞町
字鴨田は和名抄にいう島田郷、鴨氏一族の居住地。
三河国三和村小島
この三和村は古記にはないが、三輪一族の地名と思われる。
三河国御津町広石、御油町水戸山、八幡村十両、豊川市源祖、
小坂井町伊奈、豊橋市瓜郷
全国に冠たる銅鐸発見密集地の一つということができるが、
和名抄宝飯郡賀茂郷が、この地方に該当する。
萩村所在、上下賀茂両社がその氏の奉社にかかわると思われ、
豊川の対岸、八名郡美和郷、また北方には賀茂村があり、賀茂神社がある。
また、豊川下流御津町には、御津神社が祭神大国主命で、
付近に居住した出雲族が奉斎したものと信じられる。
三河国北設楽郡田峯
三輪川畔で三輪村の隣村である。
同村鴨谷は和名抄設楽郡賀茂郷の名残りか。
また一山こえれば東加茂郡賀茂村である。
遠江国三ケ日町釣、気賀町小野、中川村中川、三ケ日町北方只木
式内弥和山神社、また、三ケ日町英多神社は和名抄にいう英多郷の鎮座で、
古事記にいう「天菩比命之子建比良鳥命遠江国造之祖也」という
浜名県主の治所に奉祀せられた古社と考えられる。
まず出雲民族の占拠治とみていい。
中川村の北、金指町に三和の名のあるのも偶然ではないだろう。
遠江国浜名郡白須賀町鍛冶谷
同町の付近新居町中之郷には、式内大神神社(今、二宮神社と称す)が鎮座せられ
また付近は「和名抄」にいう大神郷に相当する。大神神社については
「新抄格勅符抄」に「大神々戸遠江十戸」とあり、また大神郷については
天平十二年の浜名郡輪祖帳中新居郷内に、神人部安麻呂・神直老田・神人牟志麻呂
和邇神人飯麻呂等二十余人の名がみえるので、この付近に居住した三輪族は相当に多く
その奉斎に係る神社もまた神威顕著にましましたことが推察せされ、
その起源が相当古いらしいこともほぼ窺い得られる。
若狭国遠敷郡野木村堤
発見地東方宮川村加茂が在し、式内弥和神社が鎮座する。
当地東方6km遠敷村大字多田には式内多太神社があって大物主を奉祀している。
故にこの遠敷川に沿う渓谷には、古く三輪一族の分布が認められ、縁故浅からぬ
ことが知り得られる。
因幡国八頭郡加茂村下坂・船岡村破岩
同村字富谷に加茂明神が鎮座せられる。
船岡村西方千代川の上流には散岐村があって「和名抄」にいう「散岐郷」
に比定されるが本地名が「サナギ」と関連すべき推考からみて、銅鐸と有縁の地。
伯耆国東伯郡下北条村米里・泊村・八橋村八橋
まず、下北条村内において、米里の西北方に大字下神があり、
また西南方隣村灘手村には大字上神がある。
いずれも「和名抄」所載の下神郷、上神郷に該当する。
さらに天神川を遡ると、倉吉町の西南方に小鴨村・上小鴨村が並存し、
前者に小鴨・東鴨、後者に鴨河内等の大字が在し、これも同じく「和名抄」の
大鴨郷・小鴨郷に比定されている。同じ天神川から東南に分岐する竹田川の
渓谷に進むと、小鴨村と相対して賀茂村(今、旭村)ががあり、
ここに「三代実録」貞観九年授位せられた加茂神の鎮座を見る。
かくのごとくこの地方一帯が、三輪・加茂二氏族の繁栄したことが明らかであって、
遺品と相応するものが、認められる。
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