アラン・ケイ


パーソナルコンピュータの父と呼ばれる男

 修士学位を取得後、大学院生としてユタ州にあるARPA(Advanced Research Project Agency:国防省高等研究計画局)のプロジェクトに参加。
1969年に書いた博士号論文(Reactive Engine)の中で個人のためのコンピュータとして「Dynabook(ダイナブック)」を発表した。
 XEROXのPARC研究所にて1972年4月に 当時の技術で出来る範囲の「Dynabook」として「Alto 」を作る。その改良版「Star」が完成したとき、Appleのスティーブ・ジョブスがXEROXに見学に来てStarを見て感激し、Lisaの仕様を変更したのは有名な話だ。 XEROX退社後、1981年アタリ社に一時籍を置くが、1984年にスティーブ・ジョブズに誘われアップル社ApplefellowとしてAppleにやって来る。

 数カ月前にAppleを辞めディズニーインタラクティブ社に移ったという話だったが、現在はジェネラル・マジック社にいると云う噂も・・・

 1984年にアップルに来てすぐに、発売したばかりの Macintosh を見て「4リッターのガソリンタンクしかないホンダ」と批判してジョブスが憤慨したというエピソードが残っている。アラン・ケイに言わせると、「Macintosh は批判するに足る最初のコンピュータ」であり「IBM PCはコメントするほどの価値も無い」そうだ。