誰もが認める天才プログラマー
カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)在学中、そこの教師をしていたAppleのジェフ・ラスキンに誘われ、1978年 アップルに入社 26歳だった。アプリケーション・ソフトウェア事業部に所属した後、Lisa プロジェクトに入りグラフィックの基本設計、インターフェース、描画ルーチン(現在 QuickDrawと呼ばれている)を担当。後にQuickDrawは Macintosh に移植された。
Macintoshの開発ではスティーブ・キャプスと共に初期の「Finder」を作り、、その後の総てのグラフィックソフトに影響を与えたペイントソフト「MacPaint」の開発に携わった後。 当時の社長、ジョン・スカリーに「出荷される全てのマックへ HyperCard をバンドルしなければ辞める」と脅した逸話がある、その後Magic Slate(マジック・スレート)というペン・コンピュータの研究プロジェクトも進めたり、MagicCapと言うペンベースの携帯情報機器の開発をしていたが、社内で同じカテゴリーの製品Newtonと争ったが破れ、Appleを退社。
1990年ジェネラル・マジック社(Appleも出資している)に移りMagicCapを製品化、NTTも参加しテストをしていたが、正式には採用されなかった。 '95年の時点では「アップル名誉フェロー」という肩書きで時々Appleでスピーチなどをしていたらしいが、最近名前を聞かない・・・
