| 蘭町(いのまち) |
| 畳表などを扱う商工業者の住んでいた町。天正13年(1585)郡山城主として入部した豊臣秀長は、城下町繁栄策として同業者による町を形成し、営業上の特権を与えて商工業を保護した。この藺町は、これに属し「箱本十三町」に名を連ねている。 天正19年(1591)8月には地子免除となり、秀長の跡を継いだ秀保もこの保護政策を継いでいる。 元禄の大火(1699)のとき、この町では居宅53軒が類焼している。 天明6年(1786)の調べでは、この町は長さ98間1尺3寸、道幅2間1尺、持家48軒、借家13軒であった。 嘉永7年(1854)6月13日の昼から15日の朝にかけての地震で居宅4棟が倒壊している。 この町は「鍛冶町大門付町割」によって本町・茶町・塩町・魚町・奈良町・雑穀町・西奈良口町・鍛冶町の住民と交代で、鍛冶町大門の勤番を義務づけられていた。 明治維新後の行政所属は、明治9年12月25日から「大和国第2大区2小区」に属し、明治17年7月1日からは「添下郡第23戸長役場」に属していた。 明治21年4月の町村制に基づいて、45カ町村が合併して新しく郡山町となるのに参加して、明治22年4月1日から郡山町となり、藺町は大字となった。そのときの戸数は36戸で、人口は158人であった。 |