大和郡山市で著名な人物を紹介するコーナーです。太字の名前は詳細を別ページへリンクしています。あいうえお順に紹介しています。 故郷大和郡山歴史事典(大和郡山市発行)と郡山百話(大和郡山ライオンズクラブ発行大鎌淳正氏著1500円)から引用させて戴きました。
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名   前 読み方 生  涯
  履   歴
三枝蓊 さえぐさ
しげる
?-1868 西椎木浄蓮寺で生まれる。僧名を浄尚といい、改名して青木精一郎と称した。今村文吾に漢学を、伴林光平に国学を学び、のち上京して東本願寺の学寮に入った。天誅組に参加して因幡国に逃れ、画を業とした
桜井元重 さくらい
もとしげ
生没年不詳 柳澤吉里に仕えた儒臣、北村季吟の門人。若いころから和歌を好み、長じて一家をなした。享保15年(1730)の冬『草庵集難註』(2巻2冊)を刊行した時、服部南郭、柳里恭が序文を贈り、谷口元淡が跋文を寄せている。いずれも当時の一流の文人学者であり、「解」及び「註」が精細で文章の意味もよくわかり、この書が出て、初めて『草庵集』の真価を味わい得ると好評であった。
佐藤三左衛門 さとう
さんざえもん
生没年不詳 郡山での金魚飼育の始まりがいつごろからであったのかはよく分かっていない。伝承によれぱ宝永年間(1704-11)に佐藤三左衛門が金魚飼育に精通し、子孫相次いでその業を伝えたといわれている。佐藤家は代々三左衛門を名乗り、矢田筋に住んで明治の初年ごろまで養魚を続けていたという。実相寺に墓がある。
佐瀬政春 さとう
まさはる
剣術指南。得意技に双手突(もろてつき)があり天下一品であった。島谷八十八の師匠。  
慈雲 じうん 1717-1804 真言宗正法律の開祖、延享元年(1744)27歳で河内長栄寺に住み、戒律を講じた。柳澤保光は慈雲を深く尊敬し、仏弟子の礼をとり、しぱしぱ城中に迎えた。師の飲光の一字をもらって飲明を称した。その著『方服図儀』には柳澤里恭が乞われて序文と挿図を寄せている。死後朝廷ではその徳の高いのをたたえて尊者の称号を贈った。文化元年12月没。河内高貴寺に葬られる。
島左近 しま
さこん
不詳−1600 名は勝猛、筒井氏に仕えた武将。筒井定次伊賀転封後、家中の紛争を嫌い筒井家を去り、一時、豊臣秀長に仕えた。その後、石田三成は左近の豪勇を惜しんで、自らの知行の半分2万石を与えて召し抱えた。関ケ原の戦いで死去。
島谷八十八 しまたに
やそはち
剣聖。巡査から剣道範士となり、旧制郡山中学の嘱託教授として全国制覇の功績がある。
清水洞郁 しみず
どういく
1664-1730 狩野派の画師。柳澤吉里に従って郡山に住む。御書院詰150石。郡山藩札は享保15年(1730)12月15日より領内で通用したが、その下絵を描いた洞郁はその通用を見ず、直前の11日に没している。光伝寺に葬られる。
城忠兵衛 じょう
ちゅうべい
生没年不詳 片桐氏譜代の重臣。『旧記』によると「片桐に過ぎたるものが二つある」といわれ、1つは片桐氏江戸屋敷の門柱がはなはだ大きく、1つは忠兵衛の器量の大きさを、はやした言葉である。
庄六 しょうろく 生没年不詳 16歳の時、10年の年季奉公で藺町の畳屋忠兵衛方に住み込む。身を粉にしてよく働き善行を尽くした。年季が明けた後も何かと主家に尽くし、宝暦13年(1763)郡山藩主柳沢信鴻から銭3貫文を与えられて賞されている。庄六はその後大阪の富商の婿となり、その家を継いだ。このことは、『和州郡山庄六行状聞書』という本になっている。
杉山重水 すぎやま
じゅうすい
1753-1807 城戸(きど)月庵の弟で名を政常、重水は号・柳澤藩の儒者、才識非凡といわれた。文化4年没、外川発志院に葬られる。
瀬谷桃源 せや
とうげん
1823-1890 奈良人形師。柳澤藩士の家に生まれ、岡野松寿、森川杜園らにあこがれて彫刻家を志し一家をなし、明治6年52歳の時奈良大仏殿前に居を移した。同23年没。長男梶蔵も二代桃源を名のり、一刀彫の名手と評された。同41年没。
詮海 せんかい 1786-1860 稗田常楽寺の僧。詩文、和歌、狂歌をよくした。寛政5年(1793)8歳で融通念仏宗に帰依し、興留の西念寺東海和尚について得度し、詮海と号した。同12年、15歳で常楽寺住持となり戒珠院、常楽主人、天竺老人などと号した。万延元年没。いつの年いつの頃ぞと思ひしが今日の今日今ぞ往生という辞世の歌を残している。
専至道 せんしどう 1752-1817 永慶寺4代目住職。詩文をよくし、釈らい庵と称して宝暦、安永(1751-80)の詩人95人の作を集めた『大和風雅』に6篇の詩が採録されている。文化14年没。
滄海 そうかい 生没年不詳 薬園寺住職。詩文をよくし、宝暦(1751-64)、明和(1764-72)、(1772-81)ごろの大和の詩人95人の作を集めた詩集 『大和国雅』に釈覚浄として10篇の詩が収録されている。在職中、吉野山桜本坊、五台寺を兼職していた。
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