箱本制度とは、一言で言えば郡山城下で、実施された自治制度のことです。


ここの画像は上記サイト「さひたふ藩」よりお借りしています。




 
     
 

ご朱印箱
箱本制度について

天正13年(1585)9月、豊臣秀長が郡山に入城してから、大和郡山城下町繁栄の為に、商工業保護の政策として同業者を一地区に集め、営業上の独占権を与えました。こうした特権を書き記した文書を御朱印箱と呼ばれる箱に納め、封印をして一ヶ月交代で「内町十三町」と呼ばれる外堀の中にある本町魚塩町堺町奈良町今井町紺屋町蘭町綿町材木町雑穀町柳町茶町豆腐町の13の町の中で、1ヶ月づつ持ち回りました
内町というのは原則として外堀の内側にある地子(じし)免除の町をいい、古来からの慣習で「内町十三町」と呼んでいました。順番に当たった月の町が「箱本」となり、この御朱印箱を町内の会所に置いて、表に長さ2尺の紺地木綿に白地で「箱本」と染め抜いた小旗を2間余りの竿に付けて立てる習わしだったそうです。

「箱本」となった町の年寄が郡山町中全体の責任を負う事になっていました。
年寄とは、各町に置かれた世話役の1つで、「年寄・月行事・丁代」の世話役が各町にいたそうです。重要な問題の時は、前回と次回と・今回の箱本の当番町三者で処理することになっていました。
箱本の仕事は、治安・消火・伝馬・藩からの伝達事項の通知・課税の徴収・訴訟の処理・株仲間の統制・宗旨改・南都祭礼の奉仕・高札場の管理・変死体の処置など広範囲に及んでいたそうです。、中でも、治安・消火・伝馬が主な仕事だったようです。

治安は、柳町・高田町・鍛冶町の三大門の勤番、50余りあった木戸支配などで、防火・消火は柳町・堺町にあった火見櫓への番人の派遣、火災の折りにはいつでも駆け出せる火消しの準備とその資金の準備で、運輸・通信は人馬の力に頼っていた時代なので、藩の公用に伝馬としての馬の献上とその馬の世話などでした。

郡山箱本の特色は各町が平等に町政に参与する仕組みで、世襲のような独裁的な制度はなかったようです。

後に、門外に出来た町を「外町十三町」(東奈良口町・観音寺町・野垣内町・高田町・南大工町・裏柳町・柳6丁目・東岡町・西岡町・外5丁目・外矢田町・何和町・平野町)と呼び、「外箱本」という制度も生まれました。

また、「内町十三町」には車町・鍛冶屋町・矢田町・新紺屋町・中町・新町・川中町・西奈良口町・北大工町・洞泉寺町という枝町も生まれました
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